緑の女神の使者

 中央区、市民には中央と略されて呼ばれる行政区の一つだ。駅を中心に商業施設と行政機関が集まり、神社仏閣も多い。

 街並みもぼんやりと憶えているが、見覚えがない建物と店が建ち並び、人々の様相も異なっていた。特に武器と防具を携えた少人数の集団が目立ち、冒険者のイメージに当てはまる。


「あの人達はもしかして冒険者?」


「中央ダンジョンに潜る冒険者でしょうね。実技演習でダンジョンに潜る機会があるから、それまで我慢したら?」


「学生の間はバイト代わりに始めようと思っていたが、やはり禁止なのか」


「在学中の冒険者活動は禁止されてないけど、成績が悪くなったり欠席日数が増えると禁止されると聞いたわ」


 高校生でも冒険者活動を行えるらしく、学業を疎かにしなければ咎められないようだ。

 車窓の外を夢中で眺めていると、石造りの立派な教会が見えてきた。正面入口の重厚な扉、それより上に四人の女性を象った綺麗なステンドグラスが四女神を崇める教会だと示しており、目的地であった。

 運転手の雫が車両を歩道に寄せて停車し、運転席から降りてドアを開けてくれた。


「皆様、中央区の四女神教会に到着しました。足下にお気を付けて降車して下さい」


 ドアに近い俺から順番に車から降りると、黒い祭服で身を包んだ男性が出迎えた。


「華蓮様からご連絡を頂いております、緑の女神様の使者様。中で聖女様と大司祭様がお待ちです」


「え……お祖母様が此方に?」


「華蓮様が東京から聖女様を連れて参られたのです。ささ、どうぞ皆様」


(華蓮さん、東京からシンシアさんの祖母を連れて来る為に別れたのか)


 華蓮が何処で合流するのかと思えば、シンシアの祖母を東京から連れて来る為に動いていた。聖女を認定式に立ち会わせ、俺が緑の女神の使者と証言できる人間を一人でも増やすのが狙いであろう。

 男性に案内されて教会の正面入口前に移動し、両開きの扉が開け放たれた。内部は十字形のバシリカ型と呼ばれる構造になっており、規則正しく配置された座席には疎らに教会関係者らしき人々が着席し、最奥の祭壇前では高齢の男性と年配の女性が二人で話し合いの最中であった。

 案内役の男性に促されて歩くと、ベンチに座った人々から一斉に視線を送られた。


「最後の使者様が見つかったのね」


「これで緑の女神様の使者だと騙る者が現れなくなるわ」


「今度こそ本物だろうか……」


「華蓮様と聖女様が足を運んで下さったのだ、間違いない」


(使者を騙る奴がいたのか、そりゃ疑心暗鬼にもなる。申し訳ない事をしてしまった、認定式が終わればこれから迷惑を掛けないで済む)


 使者を騙る者が度々現れて迷惑を被り、教会関係者は半信半疑という様子である。このような形で見ず知らずの人々に迷惑を振り撒いているとは自覚しておらず、平気で嘘を吐ける無神経な人間は何処の世界にも居るのだ。

 ベンチの最前席には華蓮の姿があり、コクリと頷いた。そして祭壇の前に居る二人の人物が俺達に気付くと、話を切り上げて歩み寄って来た。

 純白の祭服に布製の五角形の冠、通称ミトラと呼ばれる帽子を被った四十代前半らしき女性に挨拶される。


「初めまして、緑の女神様の使者。シンシアの祖母であり聖女、プリエラ・ヤーニングと申します。華蓮様よりお話は伺っております」


「初めまして、プリエラ様。えーっと……シンシアさんのお母様では?」


「よく間違われますが、正真正銘シンシアの祖母です」


(若々しいのは奇蹟の効果なのか? 失礼だし黙っておこう、口は災いの元だ)


 艶がある金色の長髪と優しげな青い瞳はシンシアと瓜二つで、老いを感じさせない美しさがあった。対してプリエラの隣に立つ年配の男性は眉間に皺を寄せており、明らかに不機嫌そうである。

 白い祭服に白い短髪、年季を感じさせる皺。蓄えた白髭と彫りの深さは厳格さを表現し、俺を懐疑的に思っているのだろう。


「私は四女神教の大司祭を務める松林まつばやしだ。貴殿が緑の女神様の使者か?」


「はい、俺は緑の女神様の使者に違いありません。これ以上騙る者が現れるのは忍びないので、認定式を始めませんか?」


「貴殿に言われるまでもない。お嬢様方は席に着きなさい、プリエラ様も宜しいですな?」


「そうですね、認定式を始める宣言をお願いします」


 燈里達が最前列の席に着き、松林とプリエラが壇上に登った。松林が手を挙げると照明が落ち、教会内が薄暗くなった。

 静まり返った中で静寂を破るように、松林が声を張り上げる。


「これより緑の女神様の使者、宮内黎人様の認定式を執り行う。進行は私、四女神教の大司祭である松林と、聖女様で有せられるプリエラ・ヤーニング様の二人で進める。異論はないな!」


 誰一人として異論を唱えず、賛成の意を示す形で祈りが捧げられた。

 腰を軽く前に倒し、胸の前で右手の握り拳を作る。四女神教の一般的な祈り方らしく、何かしらの意味が込められているのだろう。


「それでは宮内黎人様、壇上にお上がり下さい。我々と共に緑の女神様へ祈りを捧げ、緑の女神様の言葉に耳を傾けて下さい」


「はい」


 四人の女性を象った石像が並ぶ祭壇に近付き、壇上で二人に合わせて祈りを捧げる。右拳を胸の前で握り、軽く頭を下げた。

 数秒と経たずにフワリと、身体の内側から浮かび上がるような感覚があった。エネルギー体が物質界の肉体から抜け出て、松林とプリエラも同様にエネルギー体で奇蹟を目の当たりにする。

 祭壇には荘厳な装飾が施された玉座に座る絶世の美女が肘掛けに肘を置き、俺達を見下ろす映像が投影されている。

 床を埋め尽くす新緑の長い髪、邪な気持ちを微塵も感じない慈愛に満ちた優しい翡翠の瞳。不気味な程に顔の造形から、異性を虜にして止まない豊満な美の肉体を半透明の衣が秘し、美女が緑の女神と物語っていた。


「こうしてお会いするのは初めてですね、イア様のご友人である黎人さん。私は緑の女神と崇め奉られる存在、フリネス・グリーズと申します」


「お会いでき光栄です、フリネス様。緑の女神様の使者と正式に認定されるべく、教会に足を運びました」


「おや、私と対話が可能なのですね。華蓮さんの下で修行した成果でしょうか? ですが五日間も不眠不休での修行は感心しません、もしも体を壊したらどうするのですか。休息を忘れるのはめっですよ」


「はい、すいません……」


 一方通行の交信を想定していたのか、俺の返答にフリネスが感心する。エネルギー体に意識を移す練習を行い、エネルギー体での活動を経験済みなので対話を行えるのだ。

 けれども五日間、不眠不休で修行に励んだ点は看過できず、子供を叱るように諭されてしまった。女神の叱責を受けるなど、喜ぶべきか嘆くべきか悩ましい。


「首を長くして待っていたので、手早く用件を済ませましょう。松林大司祭、聖女プリエラ、此処に黎人さんを緑の女神の使者であると認めます」


 フリネスに息を吹き掛けられると、俺の身を螺旋の風が包み込んだ。我が子を優しく抱擁する母親のような温もりがあり、全身が安心感で満たされる。

 やがて風が霧散し、フリネスは慈しみを込めた笑顔を向けた。


「これにて認定式は終了です。時には道に迷い、時には寄り道を余儀なくされるでしょうが、正しき道を歩めるように願っております」


「ありがとうございます。期待に応えられると断言できませんが……自分なりに頑張ります」


 期待に応えてみせると断言すべき場面だがそこまで自惚れておらず、確約できない約束はしない主義なのだ。

 未来は未知数、道は手探り。俺は俺の速度で歩むしかなく、自分なりに頑張ると伝えるのが精一杯である。


「松林大司祭、聖女プリエラもありがとうございました。そろそろ精神がお辛いでしょうから、現世に戻しましょう」


 エネルギー体が器に押し戻され、意識が現世に回帰した。松林とプリエラは大粒の汗を額から流し、肩で息をしながらどうにか平静を保つ。

 何となく気怠い感覚が残るものの、二人と比べて疲労が少ない。


「緑の女神様は宮内黎人様と対話し、我々は感謝の言葉を賜った。四女神教大司祭、松林言録げんろくは此処に宮内黎人様を緑の女神様の使者と正式に認定する」


「右に同じく、聖女プリエラ・ヤーニングは宮内黎人様を緑の女神様の使者と正式に認定します。賛成の方々は祈りを」


 参列者が一斉にベンチから腰を上げ、祈りを捧げた。俺達だけでなく、参列者にも何かが視えたのだろう。

 祈りが終わると拍手が巻き起こり、腰を曲げて感謝の意を伝える。頭を上げると松林に肩を叩かれ、右手を差し出された。


「貴殿は紛うことなき緑の女神様の使者だ。疑ってしまい申し訳なかった、貴殿の今後の活躍に期待する」


「いえ、俺が先延ばしにしたせいで迷惑を掛けました。申し訳ございません」


「―――そう気に病むことはない、使者を騙る者には相応の報いがあるだろう」


 松林と固い握手を交わすと、眉間の皺が解れた。握手を終えるとすぐに険しい顔付きとなり、小声で囁かれた。


「イア様の名は大司祭以上の者しか知らない教会の重大機密、貴殿はイア様とも交流があるのか?」


「ええ、まぁ……他の使者とは異なる事情がありましてね」


「私は緑派に属するが、他の派閥にイア様との交流があると漏れないようくれぐれも注意するのだ。他派閥から勧誘されかねん」


「ご忠告どうも、精々気を付けます」


 四女神教の内部では四つの派閥があり、イアの存在は階級が高い聖職者のみが知る重大機密。地球ガイアの意思、四女神の上位存在は秘匿されているのだ。

 幸いにも松林は緑の女神派閥なので緑の女神との対話内容は伏せられるが、別派閥の大司祭が認定式を執り行っていれば、イアの友人という肩書きが広まっていた。


「報告があるのでそろそろ失礼させてもらう。貴重な体験をありがとう、困ったことがあれば力になろう」


「ありがとうございました、松林大司祭。その際にはよろしくお願いします」


 松林がお付きの聖職者に支えられ、覚束無い足取りで退場した。プリエラも疲労の色が窺えるものの松林ほどではなく、シンシアの隣に座って一息ついている。


「大丈夫ですか、プリエラ様」


「少し休憩すれば大丈夫です。黎人様は緑の女神様と対話為さったのですから、お疲れではありませんか? それに五日間も不眠不休と、緑の女神様が仰られていましたよね?」


「流石に六日目はキツそうなので、今日は寝ますよ」


「五日間も不眠不休の状態で緑の女神様と対話するだなんて、どんな身体と精神してるのよ……高ランク冒険者でもないのに」


 燈里に呆れられ、プリエラには苦笑されてしまった。

 意識を手放してる間は何も感じず、何も考えず、嫌な事を忘れられるので現実逃避の一種として睡眠が好きだった。しかし、寝る間も惜しんで修行に励むようになってから、睡眠時間が無駄に感じてしまう。

 華蓮みたいに不眠不休で活動できる段階に至れば解決だが、残念ながら人間の枠内である。最低限の睡眠を取り、身体と精神を休ませねばならない。

 話してる間に華蓮が合流し、華蓮はプリエラを労った。


「お疲れ様、プリエラ。エネルギー体での観測は疲れたでしょう?」


「労いの言葉をありがとうございます、華蓮様。華蓮様の修行と比べれば平気だと思っていましたが、私も歳ですね……」


「お祖母様は華蓮様の下で修行を積んだ経験が?」


「そう、今から五十年も前になるわ。奇蹟を上達させるべく、華蓮様の下で修行したの。黎人様は弟弟子に当たるのよ」


「私は奇蹟を使えないから、私なりの観点で助言を与え、稽古をつけただけ。奇蹟が上達したのは偏にプリエラの努力の成果よ」


「またまた、ご謙遜を」


(華蓮さんが聖女であるプリエラ様の師……なるほど、それでプリエラ様を連れてこれたのか。ここまで出来過ぎていて、華蓮さんに畏敬の念を抱いてしまうな)


 聖女を気軽に連れ出せるのは華蓮くらいで、本来であればこちら側から東京に赴かないと会えないだろう。加えて聖女だって暇ではなく、予め時間を作るように伝えていた。

 華蓮の思惑通りに事が進み、まるで華蓮を中心に物事が進んでいるように映ってしまい、尊敬と恐れの両方が入り混じる。

 プリエラがシンシアの手を取り、悲痛な面持ちで言葉を交わす。


「シンシア、積もる話があるのに……ごめんなさい、東京に戻らないといけないの。セリーナは引き止めておくから、安心してね」


「―――ありがとうございます、お祖母様……」


「燈里ちゃん、シンシアをお願いね」


「はい、シンシアは一条家が身の安全を保証します。プリエラ様はセリーナ様の対応をお任せします」


 シンシアが世話になっていたのはプリエラ公認らしく、燈里だけでなく一条家もシンシアを保護するのに賛成なのだ。シンシアの性格的に母親と近衛恭一に従ってしまい、引き離すのが最善という考えであろう。


「プリエラが長時間、東京から離れているのは都合が悪いわ。そろそろ行かないと」


「はい、帰路も安全第一でお願いします。またね、シンシア、燈里ちゃん。黎人様もまたお会いできる機会を楽しみに待っています」


「東京に赴く機会があれば立ち寄らせていただきます」


「さようなら、お祖母様プリエラ様


 華蓮に連れられてプリエラが退場し、燈里とシンシア、雫が祭壇の四女神像に祈りを捧げてから車に戻った。肩の荷が下りたのか気が抜けてしまい、欠伸が止まらない。


「ふぁ……ふぅ、何だか長い一日だった」


「だらしない、家まで送るからそれまで仮眠でも取ったら? 宮内君の家は特定済みよ」


「プライバシーの侵害だ……」


 公爵家の情報網は侮れず、平民の家を特定するのは容易いだろう。プライバシーの侵害だと訴えても、勝ち目などない。

 家と聞いてリビング、そこからテレビが連想され、前に久世美波が報道されていたのを思い出し、燈里に尋ねた。


「そういえば松林大司祭が報告すると言っていたが、緑の女神様の使者が確認されたとメディアで取り上げられるのか?」


「教会側から報道関係者に流されて、実名報道されるでしょうね。両親に明かしてないの?」


「いずれ明かそうと思っていたが、母さんはまだしも父親あいつには明かしたくなかった。父親あいつは俺を搾取子としか見てないから、喜んで燈里さんと婚約しろと言ってくるのが目に見えてる」


「父親で悩みを抱えているのね……シンシアよろしく、宮内君も苦労するわね」


「そう、父親あいつの件もあるから、なるべく婚約は考えたくなかったんだ」


 燈里から憐れみの視線を注がれ、情けなくて顔を両手で覆うしかない。

 俺が緑の女神の使者だと判明し、公爵家の長女である燈里との縁談が持ち上がれば、父親あいつは小躍りして後押しされる。俺と燈里の幸せを抜きに、自身の生活が楽になると信じての後押しだ。

 母親は逆にあれこれと心配し、不安な気持ちに苛まれるだろう。緑の女神の使者と言えど、自身の子供であるのは変わりないのだから。


「宮内君なら説き伏せるなり、縁を切るなりできそうだけど……宮内君の父親はそんなに強いの?」


「華蓮さん曰く冒険者の中堅程度らしい。元の世界から続く因縁だ、俺自身の手で片付けたい」


【親の為に真っ当に働け】


【お前はどうして役立たずの世話をする!】


【お前と結婚したのは間違いだった、こんな出来損ないが生まれて予定が狂った】


 父親あいつから吐き捨てられた罵詈雑言が脳内で再生され、腹の底から憤怒が湧き上がる。俺だけならばまだしも、自身の妻である母親まで酷く当たり散らしていた。

 本当に馬鹿だった、本当に愚かだった。所詮は口先だけ、まともに取り合わず流せば良かったのに、何故逃げたり抵抗しなかったのだろう。

 シンシアが怒気に当てられ、小さく悲鳴を漏らした。燈里はシンシアを庇い、俺を落ち着けようと言葉を掛ける。


「―――複雑な事情があるみたいね。宮内君には協力するから、力を借りたい時には遠慮せずに言いなさい」


「ああ、ありがとう。ごめん、父親あいつから吐き捨てられた悪口を思い出したら、苛々してしまった」


「い、いえ……黎人様も親の事でお悩みなのですね」


「今生でも長引かせたくない、早めに終止符を打つよ。どんな結末になろうとも、知ったこっちゃない」


 手の平で拳を受け止め、乾いた音を鳴らす。縁を切りたいと最初から願っていたのだから、円満な解決法を探らなければ取るつもりもない。

 実の父親から憎悪を抱かれようと、殺意を向けられようと屈しない。まだ父親あいつの本性を知らない母親が悲しみ、俺に失望しようとも、その時はその時だ。

 スマートフォンを開くと両親からメールが届いており、内容は緑の女神の使者についてだった。帰宅後は真っ先に元の世界での話を聞かせ、宣戦布告である。

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