第二章:親と子、それぞれの歩み方

宮内家―1

 帰宅すると両親に質問攻めされそうになったが、昼食を済ませてからリビングで話すことになった。テレビでは俺の実名と緑の女神の使者について報道され、昼食が喉を通りにくかった。両親も同じだったみたいだが、父親あいつは舞い降りた幸運に夢見心地だったのだろう。

 昼食後に三人でリビングのソファーに腰掛け、テレビは雑音にしかならないので電源を落としてから本題に入る。


「二人は使者について、どれだけ知ってる?」


 四女神教が崇拝する女神によって召喚された者達を使者と呼び、前世の記憶が蘇り後天的に加護を授かる。約二千年前の先代の使者は国を造り、大和の王族となった。

 貴族であれば国の起源を頭に入れているだろうが、二人は平民である。平民にも使者の知識が浸透しているのか、先に確認しておきたかった。


「王族のご先祖様が女神様の使者で、前世の記憶と加護を持つと本に書かれていたな」


「正解、それで合ってる」


「そうなの? そしたら……黎人にも前世の記憶と加護があるの?」


「どちらもある、記憶喪失から回復するような形に近いのかも。ただし俺は特殊な事情があって、記憶を引き継げていない」


 人格の形成は遺伝、環境、幼少期における経験と体験が影響を与えると諸説ある。使者のケースだと前世の人格に引っ張られるパターンより、記憶喪失から回復する方が正確なニュアンスだろう。

 俺の場合は元のの記憶がすっぽりと抜けており、から変質するのではなく差し込まれた。母親は俺がではなくなったのだと残酷な現実を突きつけられ、顔を曇らせた。


「嘘……黎人は黎人ではなく別人なの? 貴方は一体誰なの? 私達の黎人は何処に行ってしまったの?」


「落ち着け、母さん。黎人の話を聞くんだ」


 母親が取り乱したが、父親が肩を抱いて落ち着かせる。いきなり息子の中身が完全に別人だと告げられれば、誰だって正気ではいられない。

 しかし、その点だけは告げねばならなかった。母親に嘘を吐いてまで、元の黎人として振る舞いたくなかった。


「特殊な事情というのが、元のは命を捧げて俺を召喚した。事故だったのか、故意だったのか。その点は確かめようがないが、空となったこの肉体に俺が入ったんだ」


「う、うぅ、黎人……どうしてそんな馬鹿な真似を……」


「…………」


 母親が涙を流し、実の息子が既に亡くなっていた事実に嘆き悲しむ。父親が無言で母親の背中をさすり、怪訝そうな面持ちで疑問点を口にした。


「元の黎人の記憶が無いのに、何故俺達が両親だと知っている? それに黎人は黎人のままだったじゃないか」


 赤の他人が宮内黎人の肉体に宿ったとすれば、両親の顔と名前すら把握していない。だというのに俺は両親の顔どころか完璧に宮内黎人を演じ、関わった回数こそ少ないが不信感を抱かなかったのだろう。

 そこで母親には申し訳ないが、爆弾を投下する。


「幸か不幸か、宮内黎人は別世界の俺を……二十歳の宮内黎人を召喚した。だから父さんと母さん、宮内剛と宮内榛名をよく知っているし、俺はのままなんだよ」


「そんな馬鹿な! 偶然にしては出来過ぎている、母さんをこれ以上悲しませるつもりか!?」


(唾を飛ばすな、汚いな)


 父親に胸倉を掴まれ、間近で怒声が発せられた。以前の俺ならばポッキリと心が折れていたが、ただただ唾が飛んで汚いと思うくらいだ。

 俄には信じ難い事実を打ち明けられた挙げ句、別世界の俺という爆弾発言。それは別世界の宮内黎人も亡くなっていると意味し、母親は声を押し殺して泣いていた。


「俺が自殺に至った経緯は当事者だから語れるが、もしも……俺と同じ理由で自殺行為に走ったとしたら、どうする?」


「何を馬鹿げたことを……もういい、その話はまた今度だ。それよりも今後について―――」


「黙って聞けよ、クソ野郎」


 胸倉を掴む手を振り払い、父親を押しやる。父親はリビングの床に尻餅をつき、頭に血を上らせて茹でタコのように顔を赤くしたが、見下ろして淡々と述べた。


「お前は中企業以上の企業に就職しろと何度も言い、俺が働き始めたら会社を辞めて老後まで面倒を見てもらう予定だった。こっちの俺にも同じような事を言って、追い詰めたんだろ?」


「出鱈目を言うな! 父親に向かってなんて態度だ、使者だからといい気になるな!」


 勢いよく立ち上がった父親に左頬を殴り飛ばされ、リビングの壁に激突した。衝撃で家具の上に置かれていた写真立てが床に落ち、ガラスが割れて散らばった。華蓮の殴打に比べると弱く、壁に激突するまで飛んだのは演技である。

 写真立てを拾い上げると、幼いと両親の三人が笑顔で写る家族写真が入れられていた。撮った場所こそ違うが、似たような写真が元の世界にもあったような覚えがある。

 宣戦布告で済ませるつもりだったが、本格的に戦う決心がついた。飾ってあった場所に写真立てを戻し、口撃による反撃だ。


「それがお前の本性なんだよ、クソ野郎。俺を出来損ない、役立たずと呼び、母さんにまで当たり散らす屑だった」


「黙れ! お前の虚言に付き合ってられるか、口を閉じろ!」


 父親が俺を押し倒すと馬乗りになり、何度も頬を殴りつけてくる。自身の気が済むまで、俺が無駄口を叩けなくなるまで、幾度も拳を振り上げた。

 母親が父親を止めようと腕を掴むが、邪魔だと言わんばかりに振り払われた。一般人と中堅冒険者の膂力の差は圧倒的で、母親はリビングの端まで吹き飛んだ。


「このクソ野郎! 母さんまで巻き込むな!」


「うごぉ……!?」


 馬乗りになった父親の腹部を殴りつけ、悶絶した隙に抜け出した。それから首根っこを掴むと玄関から外に出て、通路から父親を階下に放り捨てる。中堅冒険者なだけあり、空中で身を翻し華麗に着地を決めた。

 俺も階下に飛び降り、マンション前の道路で父親と対峙する。何事かと野次馬根性丸出しで通行人が集まる中、俺の意思を告げた。


「厄祓いだ、お前とは母さんと一緒に縁を切らせてもらう。今生でもお前は邪魔にしかならないと確信できたからな」


「ここまでやったんだ、冗談で済まされないぞ! 黎人ォ!」


 父親は我を失い、激情に身を任せて殴り掛かってきた。その拳を片手で受け止め、お返しに顔面を殴りつける。

 鼻の骨が折れたのか、鼻血を噴き出してぶっ飛ぶ父親。それでも諦めず、立ち向かってくる。


「元の世界でも俺の子供であったのなら、親の言うことを聞け! 親を大切にしろと教わらなかったのか!」


「母さんは大切にするが、俺から搾取する事しか考えないお前が父親面するな」


「それが間違いだと言っている、俺はお前の為を想って」


「元の世界のお前と同じ言い訳だな、笑える」


 実は元の世界で一度だけ父親に反抗したが、そっくりそのまま同じ台詞を吐かれて暴力を振るわれた。


【俺はお前の為を想って】


 いいや、否である。俺の意思を度外視し、偽りの思いやりを与えて飼い慣らす。悪徳企業と同じ手法で子供を隷属化させ、自身が金銭的に不自由なく暮らせるよう、中企業以上の企業に就職させようと企んだ。

 そうして出来上がったのが生きる意味を見失い、人生を浪費するだけの駄目人間である。このような事例がどれだけあるのか調べようがないが、夢と希望を失った人間の末路なんてこんなものだ。


「何よりも……お前、心当たりがあるから話を逸らそうとしただろ」


「………………」


「馬鹿だよな、って。お前の言葉なんて無視し、自分の事は自分で決めれば良かったのに」


 大人が正しいと、親が正しいと信じていた。しかし実際はどうだ、狡猾な敵は身近に居たのである。地球ガイアも信じていたのだろうが、前途多難な道のりを強いられていると悟り、死という逃げ道を選択した。

 父親の殴打と蹴り技にカウンターを打ち込み、無傷でダメージを蓄積させる。次第に皮膚が切れて血が流れ、野次馬達の顔色が青褪めていく。

 そんなのお構いなしに隙があれば仕掛け、強烈な一撃をぶち込む。中堅冒険者なので生命力が高く、気絶する気配がない。気絶しない方が好都合、存分にぶん殴れる。


「オラァ!」


「げぅふ! ぉあ……うぁ……」


 ただでさえ口内が切れて血塗れだったのが、バキリと歯が折れて血の海と化す。満身創痍ながらドバドバと生成されるアドレナリンに突き動かされ、父親は倒れずに活動を続けた。


「黎人は……俺の息子なんだ。使者であろうと……親孝行するのが筋ってもんだろ。元の世界でもそうだったのなら……尚更だ」


「俺はお前を信じないし、関わりたくない。別世界であろうと、お前は根本から変わらない」


「口答えするな……俺はお前に恩を返される権利がある、黙って従えよ!」


 父親が火事場の馬鹿力を発揮させ、速度と威力を高めた肉弾戦を仕掛けてくる。それでも短期間ながらに正しい努力を積み、身体能力任せの暴力に対応できるまで成長した俺には届かない。

 返り血が頬を伝い、両拳が鮮血で塗れてきた頃になって、血相を変えた母親が俺と父親の間に立ち塞がった。


「止めて、黎人。これ以上お父さんを傷付けないで」


「どうしてこんな奴を庇うんだ……元の世界とコイツは変わらない、今後母さんも手を上げられかねないのに」


「黎人、貴方は何が目的でこっちにやって来たの? 復讐が目的でやって来たの?」


「俺は―――」


 母親に問われて、答えられずに口ごもる。

 復讐は望んでおらず、父親との縁切りが目的で円満解決は最初から諦めていた。先に手を出してきたので喧嘩を買ったが、一撃をお見舞いする度に積もり積もった鬱憤が晴れた。

 清々しい気分だったとも、苦しんでいたのが馬鹿馬鹿しいと思ってしまったとも。人間も所詮は動物の一種、純粋な力量で白黒はっきりさせるのが大好きなのだ。

 心が別の道はなかったのかと疑問視し、母親の問い掛けによって行動目的に揺れ動く。そんな最中に父親が母親を抱き寄せて口を塞ぎ、隠し持っていた短剣を首元に突きつけた。


「人質だ、あいつ人質を取ったぞ!」


「騎士団に通報しろ、親子喧嘩どころではない!」


「うるせえ! これは俺達親子の問題だ、余計な事をするな!」


 野次馬達が騒ぎ始めたが、父親の怒声で静かになった。

 父親が歪に口の端を吊り上げ、自身の立場が優位になった途端に口がよく回る。


「流石に手を出せないだろ、黎人! 母さんを傷付けたくなかったら、俺の命令に逆らわないと緑の女神に誓え!」


「―――落ちるところまで落ちたな、下衆が」


「何とでも言え、楽して生きる為ならば何だってやるのがヒトなんだ。早くしろ、母さんがどうなってもいいのか!」


「下衆の分際でヒトを語るな、馬鹿げた誓約を結ばれる緑の女神様の身にもなれ」


 女神への誓約は生涯をかけて守る約束とも言い換えることができ、破ると天罰が下るので気軽に結ぶものではない。

 鋭利な刃が柔らかい肌に触れ、母親の首筋から血液が滴り落ちた。だけども母親は俺に潤んだ瞳を向け、心配せずとも大丈夫と幼子に語りかけるように作り笑顔を貼り付ける。


(そうか……母さんもずっと、下衆に縛られてきたのか)


 幼い頃から母親は下衆に口出しせず、何事も黙って了承した。そうして命令に従って生き続けた結果、奴隷根性が身に付き隷属化してしまった。

 俺よりもその身を鎖で雁字搦めに拘束され、尊厳と自由を長い間奪われ続けた。正常な思考回路を狂わせる程に、一番の被害者は俺ではなく母親なのだ。


防護鎧エナマ


「無詠唱魔法だと!?」


 無属性下級魔法、防護鎧エナマは半透明の鎧を身に纏う防御魔法。母親が半透明の鎧に包まれ、短剣が弾かれた。

 怯んだ隙を逃さずにアスファルトが罅割れる程の脚力で踏み込み、下衆に高速で吶喊するとがら空きの顔面に推進力を上乗せした正拳突きを叩き込む。


「がぶぶッッ!??」


 間抜けな声を残して下衆の身体が錐揉み回転しながら雑木林の中に突っ込み、戻って来ないのでようやく意識を失ったらしい。血の気が失せた母親が崩れ落ちそうになったが支え、誰かが通報したのか数分で空飛ぶ爬虫類に騎乗した甲冑姿の騎士が駆けつけた。

 事情聴取を受けている間に燈里を乗せたリムジンが現れ、気絶した母親共々乗せられて連行された。


「気は済んだ? あれだけ派手に殴り合ったのだから、不満足だなんて言わないわよね?」


「…………」


「ねえ、聞かせてくれない? 宮内君が何故あんなにも実の父親を嫌悪するのか……周囲の人間には貴方が暴走しているようにしか映らないもの」


「……ああ、いいよ。誰かに聞いて貰った方が楽だ」


 ぽつりぽつりと元の世界での親子関係から、地球ガイアの宮内黎人と入れ替わったことを吐き出した。前代未聞の内容に燈里は額に手を当て、判断に苦しんだ。

 地球ガイアでの因縁ではなく、元の世界から続く根深い因縁が引き金になっており、元の世界と同一の思考回路である下衆はどう転んでも邪魔者にしかならない。世間一般では毒親と呼ばれる、シンシアの母親とは別方向での残念な人だったのが根本的な原因だ。


「目撃者が父親は宮内君に誓約を強要したと証言し、使者を利用するのは重罪よ。父親が刑務所送りになるけど、それでもいい?」


「合わせて母さんと離婚してくれたら、完全に縁が切れる。俺は下衆と金輪際関わりたくない」


「妻を人質にして傷を付けたのだから、父親が有責で別れられるでしょう。ただ……母親の気持ちは、意思は聞いたの?」


 そう言われて、座席に仰向けで寝かされている母親の顔を覗いてしまう。俺も下衆よろしく、母親の意思を尊重できていなかった。

 母親なら味方になってくれると思い込み、母親から下衆を引き離せば幸せになれると自己完結し、下衆と遣り合った。


「起きたら訊いてみる……何と言われようが、全て俺の行動が招いた結果として受け止める」


「宮内君、いいえ宮内さんと呼ぶべき? シンシアよろしく、貴方達も被害者。これからどうするか、うちで預かるからその間に決めればいいわ」


「ありがとう、迷惑を掛ける。呼び方は黎人でいい、中身は成人済みだがこっちの肉体は十六歳だ」


「―――調子が狂うわね、黎人君がそんなに落ち込むだなんて」


「燈里さんが思うほど俺は強くない、自身を抑制できずにこの様だ」


 己自身を曝け出し、真正面からぶつかったのは初めてだった。華蓮を除いて直接人を殴ったのも初めてで、心器を顕現させなかっただけマシである。仮に心器を顕現させようものなら、下衆を切り殺していたかも知れない。


「母さんの前で下衆を切り捨てなかっただけマシか……この先何度、人間と戦う機会があるのだか」


「無いと断言できないのが残念なところね。世の中には平気で人の命すら奪う輩が潜み、返り討ちにしても文句は言われない。もしかして怖気付いた?」


「ただの確認だよ」


 どんなに争いを避けようと、必ず避けられない戦いがある。今回の件はその一つで、今後も逃れられない衝突が待ち受けている。

 人間が動物の枠組みから逸脱するか、己自身が動物の枠組みから逸脱しない限り、争いに巻き込まれるのが現実なのだ。心の疑問に差し当たり納得がいく答えを得られ、肩の力が抜けた。

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