第29話 心象世界(沙条真琴) 第二幕

 瑞稀が廊下の突き当たりにある扉の前に辿り着く。勢いよく押し開けると、次の瞬間。


 開け放たれた扉から、待ってましたと言わんばかりにゾンビの大群が躍り出る。瑞稀は現実世界ならありえないレベルのバックステップで、後方に大きく跳躍した。


「――はっ! ようやくお出ましやな、アホ瑞稀!」


 ゾンビの軍勢の向こう側。薄暗い部屋の最奥に、果たして世界の主の姿はあった。


 あったけど……その姿のあまりの面妖さに、私は言葉を失った。


「ほら、どやどやっ! このゾンビ共、キモいやろ⁉ めっちゃキモいやろ⁉ うっひょー、このゲーム、超絶おもろいなぁ! こんなに愉快な気分になったの、生まれてはじめてやわ!」


 突き当りの部屋でゾンビと同じく肌が緑色に変色している沙条さんが、遺体を安置する場所と思しき台の上に腰掛けながら、ゲーム機のコントローラーをガチャガチャやってた。


 ……なにあれ? 私とカナは半ば呆然とする。でも襲われてる張本人の瑞稀は呆気にとられるわけにもいかず、華麗な剣さばき、いや、スコップさばきで、迫りくるゾンビ共を蹂躙していく。首を跳ね、胸を貫き、柄で殴り、足で蹴飛ばす。たった一人で四、五十体のゾンビを相手取る瑞稀の戦いっぷりは、まさに獅子奮迅といったところだ。しかし、その雄々しさとは裏腹に顔面の方は、それはもう凄まじい引きつりっぷりだった。夜叉面みたいだなぁ。


「っ、ああもう……! 喧嘩ふっかけるにしても、もうちょいマシなモチーフはなかったのかよ⁉ さっきから、立ち込める腐臭に吐き出しそうなんだけど……⁉」


「お生憎様。うちはあんたを改心させるためにこの世界に呼び込んだんや。あんたが嫌がることしなきゃ、意味あらへんやろが」


「改心だって? 笑わせるな! 一体、私のどこに改めるところがあるっていうんだ……!」


「んなもん、おおありに決まっとるやろ! うちのこと意地でも殺そうとする、腐りきったその性根や! いや、瑞稀だけやない。その向こうにいるカナと澪もや。あんたら全員、耳の穴かっぽじってよう聞き! うちは一度死んだ身とは言え、あんたらの都合で霊素に返されたりするのなんか、真っ平や! うちの要求はただ一つ。うちの回収なんかせず、あの鏡の中でずっと生き続けさせてもらうことや……!」


「は、はぁ⁉ 沙条さん、あなた、何を言って……⁉」


 カナが驚愕の声を上げる。私も声こそ上げなかったけど、驚きを隠せなかった。


 沙条さんの主張はつまるところ、霊魂回収そのものに対する拒絶だ。未練を晴らしてもらって霊素に返る。そんなのは真っ平御免。肉のない不自由な身体のままでいいから、このままずっと生きさせていて欲しい。そういう主張。


「瑞稀は言うまでもあらへんけど、澪とカナも知っとるやろ? うちは小二の頃からずっと監獄みたいな病室の中に幽閉されて、ろくに外にも出歩けんくて、学校にも行っとらんのや。だけどそんなもん、ほんまの意味で生きとったとは言えへんやろ……!」


 切々と感情の滲み出たその声に、私は息を飲んだ。必死にコントローラーを操作しながら訴えかけてくる沙条さんの表情には、抱えていた哀しみや虚しさが滲み出しているかのようで。


「生前のうちは、生きているようでいてその実、ゾンビみたいなもんやったんや。ただ服を着て息をしているだけの死肉。生者のフリをしているだけの屍。ならせめて、霊魂になってからくらい自由に生きさせてやるのが、人情ってもんやろが……っ!」


 沙条さんの叫びに呼応するかのように、ゾンビの攻撃の激しさが増していく。果敢に立ち回っていた瑞稀は劣勢となっていき、ジリジリと後退を余儀なくされる。奥歯をきつく噛み締めながらスコップを振り回し、どうにか突破しようと躍起になっている。でも先程までの余裕げな表情はすでになく、限界が近づき始めているのは疑いようがなかった。


「まずい、瑞稀さんが……!」


 たまらずカナが部屋の中から飛び出した。しかし間髪入れずに、「引っ込んでろ、馬鹿!」と瑞稀さんから激しい怒号が飛んできて、足を止める。


「なんや、こんなときにもカナに格好つけな気が済まんの? ……ま、そっちのほうがうちとしては都合がええけど。ほら瑞稀、どうしたん? 動きにキレがなくなってきてるで?」


 瑞稀とは対照的に余裕綽々といった体で、口の端を釣り上げる沙条さん。手先のコントローラーの操作音をやけにうるさく響かせながら、更に瑞稀を攻め立てていく。


「そもそも、あんたらの言う霊魂回収っておかしない? 心残りを晴らして霊魂を霊素に返す。そう言えば聞こえはええけど、それって結局はあんたらの都合やろ?」


「そんなことないです……!」カナが堂々と異を唱える。


「だって霊魂はもう、亡くなっている存在じゃないですか。なのに、強い悔恨を抱えたまま死んでしまったせいで成仏できずにいる。だったらその無念を晴らしてあげて、自然と霊素へと帰れるように手助けしてあげるのが正しいことで――」


「だから、それが押し付けがましい言うとるねん!」


 向けられた鋭い眼光に私は怯む。唐突にぽん、と左肩に手を乗せられた。カナ? 急になに……と思ったものの、カナは私の右隣だ。そしてその腕は、私の肩になんか回されていない。


 瞬間、凄まじい寒気が走った。勢いよく振り返ると、ゾンビが「ぅぅぅ……」と唸っていた。


「い、いやぁぁぁぁ……っ⁉ キモいっ! キモすぎやだ悍ましすぎる……っ⁉」


 私がビビって前に跳ぶと、カナが立ちどころに霊槍を出してゾンビの腹を貫いた。だが息つく間もなく、階段の方から大量のゾンビが押し寄せてくる。


「っ、挟撃かよ……! ああもうっ、数多すぎ! これじゃ、時間の問題だ……!」


「え、えぇ⁉ い、嫌だよ私、こんなキモいのに押し潰されるとかっ⁉」


「嫌なら澪も何かして! その辺の部屋から、バリケード作れそうなの持ってきて!」


「うん、わかった……!」私にしては珍しく、えぇ……めんどい……、とか思ったりしなかった。それほどまでにゾンビというやつの醸す生理的嫌悪感は凄まじいのだ。


 私は慣れない力仕事に手間取りながらも、部屋の中にあった机やベッドを無理やり廊下に引きずり出して即席のバリケードを築いた。カナと一緒に背中を押し付けて、ゾンビ共が突破できないよう必死で守る。顔を真赤にする私たちのことを、沙条さんは楽しげにケラケラ笑いながら観察していた。ウザすぎる。


「ほら澪もカナも、あんまり無理せんといて。観念して瑞稀の説得に回ってくれるいうなら、うちも襲うたりせえへんから」


「……っ、そんなの、できるわけないじゃないですか! 沙条さん! あなたの言っていることは、どこか歪んでます!」


「歪んでる? どこがや。死んだ霊魂がこの世に残ってるのは道理が通らへん、せやから消えるべきや、なんて生者の都合を押し付けてくる方が、よっぽど歪んでるんとちゃうか?」


「それ、は……」カナが言葉をつまらせる。


 私の方も、瑞稀さんに反駁できそうはなかった。単純にバリケードを抑えるのに必死で声を出してる余裕がない、というのもあるけれど、それ以前に沙条さんの主張にはちゃんと筋が通っている。鴉場グループによる霊魂回収が行われるより以前なら、霊魂は生者の都合で霊素へと還元されることもなく、単なる自然現象か何かのようにただ存在するだけのものだった。


 テクノロジーが進化してそれが可能になったとはいえ、消えたくはない、という死者の願望を生者の倫理観を盾にして踏みにじって良いのかと問われれば……微妙なところだった。


「うちは別に、あんたらに未練を晴らして欲しいなんて思わん。心残りがあるおかげで消えずに済んだっていうなら、願ってもないことや。未練抱えたまま霊魂として生き続けて、大往生したる。あんたらのやることなんざ、うちからしたら余計なお世話以外の何物でもあらへんわ」


 強い語調で言い放たれて、流石のカナも口を噤んだ。バリケードから伝わる圧力は着々と増していき、身の毛もよだつ呻き声の合唱もどんどんと声量を増していく。ねちゃりねちゃり。聞いているだけでゾッとするような非衛生的な粘液の出す音が、気色悪くて仕方ない。


「だけど沙条さんの言っていることは、どこかおかしいよ。だって、成仏できなくなるような心残りがあるくせして、それを晴らしたいと思わないのなんて変だもん……」


 ハッとする。確かに、それはそのとおりだ。死してなお霊魂を保てるほどの強烈な感情を秘めているであろう沙条さんが、そんなことを言い出すことなんて奇妙でしかない。


 昨日、沙条さんは自分のことを殺そうとした瑞稀に強い憎悪を抱いていて、今の自分はそれのおかげで成仏できずにいるのだと述懐していた。だけど今は、そんなものどうでもいいから霊魂として第二の人生を送りたい、と言い張っている。冷静になって考えてみれば、沙条さんの主張は昨日からブレブレなように思える。じゃあこの人の本当の心残りって、一体何――?


「なあ瑞稀。あんたもそろそろ孤軍奮闘に疲れてきた頃合いやないの? あの二人も苦しそうやし、ここは歳上であるあんたが率先して白旗上げたらどうなんや?」


 瑞稀は何も答えない。先程から一言も発さずに、黙々とゾンビ共を相手に大立ち回りを演じている。頬にはだらだらと汗が滴り、息も荒くなっている。疲労困憊しているのは明白だった。


「あのな、だんまり決め込むのもええ加減にしてくれへん? うち、何か間違ったこと言ったか? 言っとらんよな? うちの要求にはれっきとした大義がある。ならあんたにはそれを否定する権利なんか、うちのこと殺す権利なんか、ないんとちゃうか?」


「……権利? そんなの、あるに決まってるだろ――っ!」


 瞬間、今までずっと黙り込んでいた瑞稀が、怒号のような大声を上げた。スコップを目にも留まらぬ速度で横薙ぎし、正面にいたゾンビどもを豪快に吹っ飛ばす。


「どんな詭弁を弄するものかと大人しく拝聴していたけど、なんだその下らない屁理屈は! 真琴! あんたの戯言は、小学生の駄々にも劣るね! 笑止千万も甚だしいよ……っ!」


 沙条さんの言葉に惑わされた私たちとは対照的に、なんとも勇ましい声で言い切ってみせる瑞稀。スコップの先端を沙条さんの方へと向けて、威風堂々と言葉を続ける。


「人間ってのはそもそも、自分たちに仇なす存在を排除して繁栄してきた、傲慢な獣だ! 真琴が荒御魂と化して生者の命を危険に晒した以上は、私が真琴を消滅させる大義は明らかに存在しているね! 都合のいい部分だけを取り上げて論じるのは、やめてもらおうか……っ!」


 真正面から言い返されたことで、沙条さんは教師に叱られているときの生徒のように萎縮する。だが、それもそう長くは続かなかった。すぐにキッと相貌を歪め、「なんやと……!」と苛立たしげに吐き捨てる。コントローラーを激しく操作し、瑞稀に吹っ飛ばされたゾンビ軍団に再び命令を送り出す。


 瑞稀は軽く体勢を落とすと、リノリウムの床を力強く蹴った。ごう、という空を切る音。前傾姿勢で廊下を疾駆していく今の瑞稀は、さながら陰鬱な地下に舞い降りた一陣の風だった。


「第一、真琴の理屈は根本からして噴飯ものだ。あんまり私を笑わせないで……っ!」


「っ、笑わす……⁉ うちがいつ、笑えるようなことを言ったっていうんや……⁉」


 疾風怒濤の勢いで差し迫る瑞稀に対抗しようと、沙条さんはムキになってボタンを連打し、スティックを無我夢中で動かしていく。が、動きの鈍いゾンビどもに今の瑞稀の疾走を止められるはずもない。瑞稀は演舞でもしているかのような滑らかな動きで、襲いかかってくる動く屍を鮮やかに斬り伏せていく。


 そしてついに、霊安室内へと辿り着いた瑞稀。スコップを縦に一閃し、沙条さんのコントローラーを床に叩きつけた。仰々しい物音とともに、コントローラーが壊れる。


 そのとき、眼前に白色の光の粒が降ってきた。記憶のカケラだ。


「――そんなの、真琴がゾンビみたいなものだって話に決まってるだろ! なわけないっ! 真琴が生者もどきなんかじゃなかったってことくらい、私が一番良く知ってるんだよ……っ!」


 瑞稀の叫びを聞き終えたところで、私の意識は流れ込んでくる記憶の波に押し流された。

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