第24話 バカだ私。バカ。バカ。バカ。

「だからさ、本当はカナに言いたいこと、あるでしょ? いや、正確には詰問したいことか」


 冷然とした、どこか刺々しい物言いでエアさんが問いただしてくる。私は言葉に詰まって、唾を飲む。心臓を針でチクリと刺されたような、鋭い痛みを覚える。


 これまで静観を決め込んでいたエアさんが介入してきたことで、室内の空気がまた違ったものになる。沙条さんは、「な、なんや? 急に剣呑な雰囲気になっとらん? ようわからんけど、うちは引っこんどこ……」と呟いて、鏡の中から姿を消した。ガラス面には、エアさんのものである人の形をした曖昧な靄だけが、ひっそりと浮かび上がっている。


 私は目を逸らしながら押し黙る。駄目だ。言ってはいけない。口にしてはいけない。もし一度口をついたなら、きっと歯止めが効かなくなる。私は唇を噛みながら、沈黙を貫く。


「……ふぅん。澪、何も言わないんだ。ま、いいけど。単純に、私が個人的にカナのこと気に食わないだけだし。本当は宣言通り、徹頭徹尾ただの空気でいるつもりだったんだけどね」


「あの、何が言いたいんですか? 私のことが気に入らないって、喧嘩売ってるんですか?」


 唐突に食って掛かられたことで、不快感を剥き出しにするカナ。険しい目つきで、鏡の中の白色の靄のことを睨めつけている。


「いや、違うわ。私はあんたと喧嘩するんじゃない。何故って、私とあんたはそもそも対等な関係じゃないからよ。今から私が行うのは、一方的な糾弾であり、告発。単刀直入に訊くけど、あなた、隠し事してるでしょ?」


「――っ」最後の一言で、今までずっと強気に振る舞っていたカナが、ビクリと肩を震わせた。


 それで私は、ああ、と思う。特に驚いたりはしなかった。やっぱりな、というどこか冷めた感想だけが、乾ききった風のように胸中を吹き抜けていく。


「口に出すのも憚られるくらい自明なことだけどさ、カナって本当は鴉場研の関係者でしょ?」


 出し惜しむことも揺さぶりをかけることもない、淡々と、機械的に責め立てるような口振りだった。カナの顔面に目に見えて焦りの色が浮かびだす。唇が微かに震えて、なにか言い訳めいた台詞を吐こうとしているのは明白だった。が、エアさんはカナにそうする暇など与えず、「うっわ」と侮蔑しきった声で口にして追撃の手を緩めない。


「なに? まだ言い逃れできるとか考えてるの? だとしたら流石に楽観的すぎない? ああいや、そうじゃないか。本当はさ、わかってたんだよね。澪が、いずれは真実に辿り着くってことくらい。その上で、どうせ気の弱い澪のことだから黙っててくれる、何事もなかったかのように接してくれるって考えて、だんまり決め込んでたんじゃないの? ――違う?」


 エアさんの言葉は研ぎ澄まされたナイフのように鋭利で、カナの胸の内をザクザクと切り開き、彼女の罪を白日の下に曝けだそうとするかのようだ。何も言えずにいるカナを見て、ふん、とエアさんは軽蔑しきったような嘲笑をこぼした。


「だってさ、傍から盗み聞きしてただけの私でも勘づくくらいなんだよ? ここまで決定的な証拠が幾つも出揃ってるのに、当事者である澪が気づかないわけ無いじゃん。まずさ、瑞稀の左目。あれって霊視の魔眼でしょ? それも多分、澪が鴉場研に売っぱらったっていうのを移植した。普通の人工魔眼じゃ、憑依現象も魂抜けも起こせないから、あの人が霊魂と対話しながら回収してたっていうんなら、強力な天然物の魔眼の存在は不可欠だもの。ま、無理やり移植したものだから、スペックは落ちてるっぽいけどね。そうじゃなきゃ、沙条真琴の追跡に澪を駆り出すメリットがないし。そもそも、あの人が私達の下に現れたのだって、何らかの要因をきっかけに澪の魔眼と共鳴したからでしょ? じゃなきゃ、流石に偶然がすぎるもの」


 カナは相変わらず口を閉ざしている。いや、きっと何も言えないのだろう。何を言えばいいのかわからなくって、形のいい唇をもごもごさせることしかできない。カナでもそんな状態に陥ったりすることがあるんだ、と私はやけに冷静な感想を抱いた。


「でも、一介の回収者に過ぎない人間が、霊視の魔眼を移植してもらうことなんてあり得ない。ってことは、あの人は鴉場研の職員だったってことでしょ? だから、同じくそこの関係者だったあんたと親交を結ぶことになった。そしてあんたは、何らかの理由で鴉馬研を追い出された瑞稀――恐らくはタタリ事件の責任を取らされて――のことを追いかけて、家出してきた。高校生のくせして百万円ぽんと払えたのだって、そのおかげでしょ? あそこは今、霊魂回収のおかげで相当潤ってるって聞くしね。相当悪どいことやってるみたいだけど……あ、そうだ。折角だし、私が懇切丁寧に聞かせてあげようか? あんたのバックの鴉場グループが、どれだけ悪辣な存在なのかっていうのをね」


 カナが息を呑む音が聞こえてきた。カナの顔つきが目に見えて曇り始める。だけどエアさんは同情する様子など微塵も見せずに、引き続きカナのことを責め立て続ける。


「鴉場利明は、霊素村で行われていた霊素収集より更に効率的な手法として、死者の魂をエネルギー源として利用する霊魂回収を発案した。だけど知っての通り、故人の霊魂を食い物にする回収者たちは、世間からは蔑みの目で見られている。そのくせしてこのビジネスが成立しているのは、様々な理由から就職先を見つけるのが難しい人達を、試験もなければ学歴も不問、初期費用だってあっち持ちっていう甘い謳い文句で誘って、安い賃金でこき使ってるからでしょ? その上、眼球改造を施された人間は不可逆的に目の色が変わるから、その時点で回収者以外の職業にはつけなくなる。一度手を出したが最後、死ぬまで鴉場グループに搾取され続けるしかない。失業率が大きく改善したって与党は狂喜乱舞してるけど、その実情がこれじゃあね。野党にも資金援助して、無理やり反対意見を封じ込めてるらしいし――」


「私は、鴉場利明の娘」


 もうこれ以上は聞きたくない。そんな悲鳴が聞こえてくるような、痛ましい告白だった。


 この発言には、私もエアさんも驚いた。鴉場研とは浅からぬ関係があるのだろうと予想してはいたけれど、まさか設立者の実の娘だとまでは考えていなかった。カナは音もなく椅子から立ち上がると、私に向かって深々と頭を下げた。


「本名は、鴉場加奈。瑞稀さんを探すために、瑞稀さんが移植した霊視の魔眼の持ち主だった澪の進学先を調べ上げて、素性も明かさずに利用した。……ごめんなさい、騙してて」


「――どうして言ってくれなかったの」


 陳謝するカナの弱々しい背中に向けて私が投げかけたのは、いいんだよ、とか、気にしてないよ、みたいな慰めや赦しの言葉じゃなかった。……気づかないふりをするつもりだった。考えないようにするつもりだった。でも、こうして目の前で堂々と告白なんかされたりしたら、どうしても胸の奥底に押し込めていた感情が、溢れ出てきてしまう。


 私は椅子から立ち上がり、カナの両肩に手を乗せる。ゆっくりと力を加えて、その顔を上げさせた。可憐な容貌。精緻な顔立ち。けれどその表情は、今は怯える子供のようで。


「ねえ、なんで? なんで言ってくれなかったの? なんで……今までずっと、隠してたの?」


「……言ったら、拒絶されると、思ったから。だって澪は、鴉場研のことを恨んでいるみたいだし、私があの鴉場利明の娘だって知ったら、軽蔑されるんじゃないかって――」


「そんなわけないでしょ⁉」


 思わず大きくなった私の声に、カナが肩を震わせる。額がくっつきそうになるほどカナに顔を近づけながら、怒っているんだか悲しんでいるんだかわからないような声音で、言い募る。


「どうして私が、カナのことを嫌いになるの⁉ 確かに私は、鴉場研のことは恨んでる。でもその私怨と、カナへの思いは全くの別物でしょ⁉ 私がカナのことを軽蔑するなんて、そんなわけ……そんなわけない。……ねえカナ。私のこと、そんなに信じられないの? 私達の関係って、そのくらい薄っぺらいものだったの? 確かに出会ってから日は浅いかも知れないけど、……それでも。それでも、私はカナのこと、友達だと思ってて、友達だと、思いたくって……。全部全部、何もかも、私の一方的な勘違いだったの……? 私が馬鹿な、だけだったの……?」


 溢れ出す感情を吐き出せば吐き出すほど、一度エンジンの入った心は今までずっと押し殺し続けてきた不安とか不満とか親愛とか友情とか嫉妬とか怒りとか愛しさとか嬉しさとか悲しさとか妬ましさとか楽しさとか心地よさとか憎しみとか恨みとか欲望とか渇望とか絶望とか失望とか切望とか羨望とか、ありとあらゆる感情をどうしようもないほど掻き立ててきて、私の精神はメチャクチャになっていく。目頭がどんどんと熱くなっているのを感じる。涙だけは必死で押し留めながら、昂ぶる感情をどうにか抑えようとするけど、上手くいかない。


「ち、違う! そうじゃない! そうじゃないの……! 私だって、澪のことは、その……」


 さっきまでとは立場が変わって、悄然とする私に対しカナが感情的な声音で捲し立てる。だけど口に出されたその言葉はどんどんと尻すぼみになって、カナは申し訳無さそうな表情で私から顔を背けるばかり。その反応で私の心の中の何かが、パリン、と音を立てながら砕けた。


 ――ああ。私は馬鹿だ。大馬鹿だ。


「……っ、ごめん! ちょっと私、お風呂入って来るから!」


 捨て台詞のように口にして、その場から逃げ出した。タンスから雑にタオルと部屋着を取り出して、脱衣所へと走る。乱暴に服を過ぎ捨てて洗濯かごに突っ込んで、勢いよく風呂場のドアを閉める。冷水のシャワーを全身に浴びながら、熱を帯びた両目を必死で冷やす。少しずつ冷静さが息を吹き返し、激情の代わりに湧いてきたのは凄まじいまでの自己嫌悪だった。


 ……本当に。私は一体、何を思い上がっていたのだろう。ずっとわかってたことじゃないか。私はカナにとって単なる道具でしかなくて、大切な友達なんかじゃないってことくらい。カナにとって大切なのは私ではなく瑞稀だ。だってカナは、私の前では瑞稀の前で見せたみたいな爛漫な笑顔も浮かべなければ、隣にいられるだけで胸が弾んで仕方ない、みたいな表情だってしてくれない。あんなふうに突き放された後でも瑞稀への親愛の情を持ち続けている時点で、骨の髄まで心酔しているであろうことは疑うまでもなかった。


 当たり前のことだけれど、自分が相手に好感を覚えたからって、相手まで私に愛情を注いでくれるとは限らない。そんなことはわかっていた。わかっていたのに、求めることをやめられなかった。私はカナに、澪のことが大切だって言って欲しかった。優しくして欲しかった。可愛がって欲しかった。でもそれは過ぎた願いだ。だってカナは、私のことなんて友達と認識してくれてるかどうかさえ怪しいくらいなのだから。


 凄まじい虚脱感に襲われて、風呂場のタイルの上に尻餅をつく。壁に背中を預けながら、小学生みたいに両足を抱きすくめて顔を埋める。


 ……というか私、今ので絶対嫌われたじゃん。今頃カナは、うわなにこいつ面倒くさ、とか、一々重いんだよ気持ち悪い、とか、メンヘラ女かよ地雷じゃん、とか、私に対する嫌悪感を募らせてるに決まってる。それどころか、沙条さんあたりと陰口叩きあってるかも。けどそれも仕方ないよね。実際、私ってキモいし。というか私も、エアさんと二人で瑞稀の陰口言ってたし。因果応報じゃん。バチが当たったんだ。私みたいなクズ女には、お似合いの仕打ちだよ。


 しばらく鬱々と冷水を浴び続けていた私だったけど、真夏とは言え流石に寒くなってきたので、温水に切り替える。それから淡々と髪を洗って体を洗って、なんてことなかったかのような作り笑いを貼り付けながら、風呂場から出た。


「あ、澪……。その、私ね――」


「ごめんカナ。……私、疲れちゃったから。髪の毛乾かしたら、もう寝るね。おやすみ」


「あ、そっか。……うん。おやすみ」


 背中でカナの声を受けながら、私は俯きがちに寝室へと移動する。


 ベッドの上に倒れ込むように寝そべって、頭からタオルケットを被った。最後に聞いたカナの声が少しだけ寂しげだったのは、きっと、いや絶対に私の自意識過剰だろう。

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