第17話 百合を燃料にしてるらしいです。

 さて、時計の針は再び現在へと舞い戻る。私はついさっき、突如として寝室に現れた謎の霊魂を例の手鏡に憑依させ、今は恵美さんのときのように会話を試みている最中だった。二人がけのソファにカナと並んで腰を下ろしながら、鏡面の中を覗き込んでいると。


「うっひゃぁ⁉ つまり二人は止むに止まれぬ事情で一蓮托生のパートナーとなっていて、今現在は同居している、ってことね……! 学生百合、学生百合だ、これ! それも金髪美少女とゴスロリ美少女の! そして同居もの! うっは、無理無理死ぬ尊すぎて死ぬ壁になりてぇ」


 カナは今までで一番と言っていいほどの物凄い目つきで、もっと言うとウジ虫を見るときみたいな眼で、古びた銀色の鏡面をキツく睨みつけていた。でもその鏡は威嚇する猫そのもののカナの形相を映すのではなく、憑依させた霊魂の生前の姿を映し……ているわけでもなかった。


 霊魂というのは、年季ものだったり曰くつきだったりする道具、いわゆる霊具に憑依させると、霊具への限定的な物理的な干渉が可能となる。その最たる例が、鏡の中にひょっこりと自分の姿を映し出して声を出したりする、といった恵美さんがやっていたような現象だ。が、今の鏡には、大まかな人の形をした靄が映りこんでいるに過ぎなかった。顔なんか当然見えないし、辛うじて四肢や首が判別できる程度の解像度に留まっていた。


 不審に思った私がそのことについて訊ねると、霊魂はこう答えた。


「ああ、それね。実は私、霊魂としては相当低級な部類に入るの。自分の姿を鮮明に映し出すだけのエネルギーがなくって。声がありふれたものになっちゃうのも、そのせい。私をこの世に繋ぎ止めてる未練って、そう大したものじゃないからさ」


「そうなんですか? 確かに、それなら理屈は通るけど……」


 鴉場研への実験協力で鏡への憑依は何度もしているけど、ここまで姿が曖昧模糊としているケースは初めてだった。エネルギーが少ないのなら無理はないけど、そうした場合には、そもそも霊魂にならずに成仏してしまうのが一般的だ。抱えている未練は弱いのに、成仏はしないだなんて。この人は一体、どんな悔恨をエネルギー源にしてこの世に留まっているというのか。


「それで、あなたの目的は結局何なんですか? こうして私達の目の前に現れた以上、さっきも話したとおり未練を晴らす手伝いはさせてもらいます。言ってみてください」

「ん? 百合だけど」即答だった。いや、何を言っているんだ、この人は。


 私とカナは無言で顔を見合わせる。呆れてものも言えねぇ、といったところだった。そんな私達の反応など意にも介さず、いやね、と少々食い気味に補足説明をし始めるその霊魂。


「私、生前は百合が大好きで百合によって生かされていてこの世のありとあらゆる百合を摂取するまで絶対死ねねぇって思ってたんだけど、ある日、通学路で大型トラックに引かれて死んじゃったわけ。でもさ、よりによって大型トラックなのね? ときたらもう転生なり幽霊になるなりするに決まってるじゃん? それがこの世の摂理じゃん? というわけで、私は尊い百合を求めて彷徨う幽霊オタクになったってわけ。何か疑問点は?」


「あんたの存在意義に疑問があります」


「おっと、人権的にアウトな発言だね。今どき、軽々しくそういうこと言うと炎上するよ?」


「余計なお世話です。てかそもそも、死者に人権とかないでしょう。あんまり生意気言うと霊素に返しますよ? 生殺与奪の権はこっちが握ってるってわかってます?」


 カナの中で、この霊魂に向ける敬意は一片たりとも残らずに消え失せているらしく、気品の漂うフランス人形のように整った容貌からは想像もつかないような憎まれ口を、盛大にぶちかましてらっしゃる。けれど霊魂は反省して萎縮するどころか、飄々と受け流すばかりだった。


「……はぁ。わかりました。あなたの未練が百合ならそれでいいですから、ひとまず、具体的に何をすればいいのか教えて下さい。さっさと片付けて回収しちゃいたいんで」


 心の底から嫌そうに形の良い唇を大きく歪めながら、カナが問いかける。すると今まで威勢の良かった霊魂は唐突に面食らったようになり、そうだな、と思案し始める。


「具体的に何をしてほしいのかって訊かれると、意外と難しいな……。私としては、この家の壁の一部になって、二人の生活を未来永劫見守り続けられたら嬉しいんだけど」


「却下します。……というか、一つ言っておきますけど、私と澪は別にそういう関係じゃないですからね? そうやって変な色眼鏡で見られると、正直な話、嫌な気分になるんですけど」


 憎まれ口を叩いているときとは趣を異にした、多少の真剣味を窺わせる声だった。私もそれには同感だった。女同士の恋愛とか友情とかはたまた憎悪とか、その手の関係性を嗜好する人達がいるのは知っている。でも私達はフィクションの中の存在ではなく、肉を持って現実を生きている人間なのだ。いくら百合が未練とはいえ、好き勝手に妄想されればいい気はしない。


「ああ、それはわかってるよ。私は別に、二人にイチャイチャしてほしいってわけじゃなくて――いやまあ、してくれるなら嬉しいけど――二人の自然な生活を見たいってだけ。仲を曲解する気はないよ。ただ、二人が送る日常の一部を、少しだけ覗き見させてもらえたらなって」


「まあ、そのくらいなら構いませんけど……でもそれ、楽しいんですか?」


 胡乱げに目を眇めるカナに対して霊魂は、「楽しいよ」と衒いのない声でサラリと返す。


「自分とは違う生い立ちを持った、自分とは異なった世界を生きる人間の生活を垣間見る。それってつまり、根源的に異質な存在である他者のことを、知ろうとする試みなわけでしょ? 人間が社会的動物である限り、生きていく上で最も大切で、刺激的なことなんじゃないかなって思うけど。ま、私はもう死んでるんだから、そんなこと言ってもしょうがないんだけどね」


 いつかの恵美さんのように、自分の死をネタにした冗談を口にしながら、肩を竦める霊魂。


 末期の百合オタとしか思えない発言ばかりしていた人間がいきなり真面目なことを語ってきたので、私達は鳩が豆鉄砲を食ったような心地になる。霊魂の語った言葉は含蓄があるけれど、人を遠ざけてばかりの人生を送ってきた私には、耳が痛い説法だった。


「それで二人は、今日は何をする予定なわけ? 夏休みなわけだし、遠出でもするの?」


「え。私は家でネトフリでも見ようかと」


「私も積読消化があるので。というか、日本の夏は人が外で活動できる気候じゃないでしょ」


「うっわ二人共、超のつくインドア派じゃん。クソつまんな」


 メチャクチャ不満そうだった。自然な生活が見たいって言ったのはどこのどいつだ。


「折角時間あるんだし、二人でデートでも行ってくれば? どうせ毎日引きこもってばかりなんでしょ? 慣れないことも、たまには悪くないよ」


「まあ、それはそうかも知れませんけど……。でも、急にデートとか言われてもなぁ……。具体的に何すればいいんですか? カナ、わかる?」


「いや、私もさっぱり。そもそも、同年代の友人とかいなかったし」


「あ、私も私も。誰かと遊ぶって言っても、ぶっちゃけやることとか全然わかんないよね」


「……君たち、もうちょい青春の貴重さと刹那性を理解したら? 人生、いつ唐突に終わるかわからないんだからね? 私みたいに」

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