第32話 事件じゃなくて事故になってて……

 沙羅さらの話を、そこまで聞いて、さくらが、初めて厳しい表情を浮かべた。その様子の変化に、沙羅も気づいたのだろう。取り繕うように慌てている。

「さくらちゃん、ごめん。気分のいい話じゃないよね……」

「あ、いえ……。だいじょうぶですよ。でも、今の沙羅さんの話だと、屋上には十一人いたことになりますよね? 十人じゃなかった……」

「うん、そうだけど……?」

 さくらが厳しい表情を浮かべたまま考え込んだ。沙羅でさえ聞き取れないほどの小さい声で、なにやら呟いている。


 しかし、その呟きを断ち切るかのように、沙羅がさくらの腕を掴んで、華奢な体を揺さぶった。

「ねぇ、さくらちゃん? どうして、あの時、屋上にいたのが十人って知ってるの?」

「え? いえ……、担任の松平まつだいら先生に聞いたんです」

「それ、本当?」

 沙羅のつり目がちな大きな瞳が、さくらを捉えている。そこには、訝しむ色がありありと浮かんでいた。


「本当に、松平先生がそう言ったの? それ、いつのこと? 事件の概要も聞いた?」

 さくらが返事に窮しているのを見逃さずに、沙羅が、矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。

「事件の概要?」

「そう」

「沙羅さんが屋上で大乱闘したってことですよね? 松平先生が屋上に上がった時には、この事件に関わった全員が倒れてたそうですね……。警察の聴取が終わった後、教えてもらいましたけど」

 さくらの答を聞いた沙羅の表情が、いっそう険しさを増していく。そして、その瞳は、さくらを睨んでいた。


「わたしは、屋上に上がってきた松平先生に、その時、落とされた美亜はどうなったかを聞いたの。その時は、無事だって……。下で助けてくれた子がいる……って言ってた。だから、そのあとで、その時、美亜を助けてくれたっていう子のことを聞きに行ったの……。たぶん、わたしも、時間は警察の聴取が終わった後だったと思う。教員室が静かだったから」

「は……い?」

 沙羅からの詰問するかのような言葉は、さくらに訝しむ間も与えないまま続く。

「そしたら、先生が……。なんのことだ? って? F組の綾城あやしろの転落事故のことか……って」

「はい?」


「先生、事件のこと、覚えてなくて……。それどころか、屋上で、わたしが蹴り倒した十人も、その時の記憶がないらしくて……。それに、美亜を屋上から突き落とした十一人目は、どこにもいないの……。美亜のことは、事件じゃなくて、全部が事故みたいになってて……」

 沙羅の苦鳴が続いている。


 しかし、その話は、さくらにとっても理解のしがたいものだった。

 校舎の下で、美亜を助けたのは、まさに、このさくらなのだ。そして、さくらには、この時の記憶が残っている。

 校舎の屋上から転落させられた美亜を助けるために、緊急事態と感じたさくらは、咄嗟に校舎の前に植樹されていた桜の木の力を借りたのだ。さくらの魔法によって、桜の木を急成長させたのだった。その木自ら伸ばした枝が、美亜の体を、一度優しく受け止め、そこまでの落下の衝撃をやわらげた。そして、枝から零れるように落ちてきた美亜の体を支えるために、さくらが、落下地点に滑り込んだのだ。

 その時、屋上から聞こえてきたのが、美亜の名前を叫び続ける、沙羅の悲痛な声に間違いはなかった。


 さくらの記憶では、受け止めた美亜の姿は、制服は無残に斬られ破かれ汚され、美亜のあおみがかった髪も、左右が酷くアンバランスだった。だからこそ、さくらは、自分の着ていた制服のブレザーで、それらが人の目に触れないように隠したのだ。

 そして、その後、到着した救急車で病院に搬送されていった。確か、養護の先生が、そこに一緒に同乗して行ったはずだ。


 それに、あの事件が起きた時の校舎の中庭には多くの生徒がいた。救急隊をここまで案内してくるようにと、指示を受けた生徒もいた。わたしのクラスの委員長もいるって、先生は言っていなかっただろうか。

 そして、屋上の叫び声を聞き、屋上の様子に緊迫感を感じたさくらは、男子生徒十人が、沙羅からの攻撃を受けて、そこに倒されていることをも感知していたのだ。

 しかし、十一人目がいたことは、さくらの感知魔法を持ってしても捕らえることができていなかった。


 さくらが、入学して、学校で初めて使ってしまったという魔法は、ここまでのことだった。

 この時のさくらは、まさか、自分以外の魔法使いが近くにいるかもしれないとは、考えてもいないのだ。美亜が転落したこと、そして、その原因の中に、沙羅が取り残されてることしか、脳裏に浮かんでこなければ、さくらが周囲に注意を払わなかったとしても責められることではない。それよりも、なんとか最悪の事態を防ぐほうを優先しなければと考えるのが、普通のことではないだろうか。

 さくらと沙羅を除いて、関係者に記憶がないということは、今夜、この場所で、沙羅の話を聞いて、初めて知ったことだった。


「沙羅さん? 赤城あかぎ先生には聞きましたか?」

 さくらが、様子を探るように、慎重に言葉を選びながら、沙羅に問いかける。

「ハルちゃん? どうして?」

「ハルちゃん……?」

「赤城ハル先生だから、ハルちゃん。わたしたちの担任。でも、それがどうして?」

「あの時、松平先生たち、男の先生たちが、沙羅さんを救出するのに屋上に上がった後、下で指揮を取ってたのが赤城先生なんです。救急車の手配とか、校長先生たちへの報告とか、美亜さんの家に連絡しないと……とも仰ってました」

「なんで、さくらちゃんが、そんなことを知ってるのよ?」

「あの時、下にいたんです。下校しようとしてた時で……」

「ハルちゃんには聞いてないけど……。でも、事件の概要とかは話してくれなかったんだ。わたしは、事件の当事者だったのに……。でも、それって、残酷で衝撃的すぎる事件だったからっていう配慮じゃなくて、ハルちゃんの中でも、事件の記憶が事故にすり替わってたってことなの……? もう一度、確かめてみようか……」


 沙羅の独白に、さくらが苦渋の表情を浮かべている。

「実際に現場にいた人たちが、その時のことを忘れてる……って、これじゃあ、まるで、あの時、あの場所で魔法が発動されたみたいだ……。あの時、あの場所の、魔法の痕跡を調べるべきだったのかな……?」


 さくらが呟く。その言葉を聞いた沙羅の表情は、なおさら厳しいものになった。

「まさか……、みんなの記憶を消したのって、さくらちゃんじゃないよね? さくらちゃんの魔法じゃないよね?」

 さくらが、激しく、首を横に振った。それこそまったく、身に覚えのないことなのだ。


 さくらが全力で否定する姿を見て、沙羅の眉尻が下がる。

「ごめん。さくらちゃんはそんなことしないよね?」

 さくらが、今度は小さく首を縦に振る。


「それに……、それほど、広域に渡ってヒトの心や記憶を改竄するには、相当の魔力が必要になるはずです。母でもできたとは思えません。それなのに、痕跡すら残さないのは相当の腕の魔法使いじゃないと……、それこそ、大魔王クラスくらいの。それほど、無理なことなんです」

「そうなんだ……。でも、わたしには、もう理解できないことばっかりで……。次第に、おかしいのはわたしのほうなんじゃないかって思えてきて……」

「でも、美亜さんが入院してるのも事実ですよね? だから、沙羅さんだって、毎日、様子を見に行ってるんでしょ?」

「うん……」

 沙羅から、小さな返事が聞こえた。しかし、そこで言葉は途切れてしまった。


 沙羅が黙り込んでしまったがために、魔桜堂の店内が、深夜の静けさに支配されようとしていた。

「美亜さんが目を覚ましたら、真実はわかるかもしれませんね。でも……」

「でも……?」


「はい、魔法を使えば、美亜さんは無理やりにでも目覚めさせることはできると思います。でも、それは、美亜さんが受けた心の傷ごと起こすことになるんです……。それを、美亜さんが望んでるとは思えませんし……。沙羅さんだって、そんなこと望んでないでしょ?」

「うん。目覚めた美亜には、今までみたいな辛い思いはして欲しくない。目立たないように息を潜めて、いつもひとりでいないといけないなんておかしいよ」


「そうですね。美亜さんが自分の意思で立ち上がらないと、今回受けた心の傷は、ずっとそこに残っちゃいます。そうしたら、たぶん……、もう乗り越えられないと思います」

 さくらの言葉に、沙羅が頷く。


「それに、こんなことがまた起こるかもしれません。もし、魔法使いが加担していたとしたら、次は、沙羅さんだけでは護れません。魔法使い相手に、普通のヒトである沙羅さんが、素手で立ち向かっていくのは無謀すぎます……」

「そうかもしれないけど……」

「そうかも……ではないんです。だって、この得体の知れない魔法使いは、美亜さんをあんなところに放り出すことに躊躇しないような人物なんですよ。沙羅さんの口を封じることくらい、なんとも思ってないかもしれない……」

 さくらからの厳しい言葉に、口を噤んでしまう沙羅。


「もし、沙羅さんがそんなことになったら、その時、残された小百合さゆりさんはどう思うでしょう……?」

「お母さんが……」

「はい。たいせつな人が、突然いなくなるって、とても辛いことですよ。昨日までは、そのことも、沙羅さんが悩んでたことのひとつでしょ?」

 沙羅が小さく頷く。

「小百合さんが、日に日に衰弱していくのに、その理由すらわからなかったからですよね? でも、小百合さんの件も、そこに魔法が絡んでたら、今の沙羅さんではどうすることもできないんですよ」


「昨日までのわたしは、この世界に、魔法なんてあるわけないって思ってた。美亜の事件のことだって、魔法使いが関係してるかもって、今日、さくらちゃんに会わなければ、考えることもなかった……。お母さんの病気もそう……。この世界にも魔法使いがいるって知ってたら、わたしだって、そんな無謀なことはしなかったよ……、たぶん」

 沙羅の独白を聞いて、今度はさくらが頷く。少しのがあって。



「……で、沙羅さんは、どうしたいんですか?」

 核心をついてきた、さくらからの問いかけで、ついに沙羅の動きが止まった。

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魔法使いって信じますか?  さらとさくらと 浅葱 ひな @asagihina

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