第26話 絶対怒ってますよねぇ?

「そうよね……じゃないですよ。しのぶさん、このまま押し通す気ですね?」

「さくらちゃんたら、ホントになに言ってるんだか。ねぇ、マリちゃん」

「そぉですよねぇ。沙羅さらちゃんだって、さくらちゃんが一緒のほうが、安心できるでしょぉ?」

「それはそうですけど」


 さくらが、それでも反論しようとしている。そんなさくらの、背後から声がかけられた。

「それなら、さくらと一緒に俺も行っていいか?」

 そこに立っていたけんが、さくらの肩を叩く。

「拳さぁん……」

「さくらも、そんなことで泣くなよ。いつのに、しのぶさんたちにいじられるようなキャラになったんだ?」

 さくらの頭を、わしわしと撫でながら、豪快に笑っている。


 しかし、そんな拳に向けられる殺気がひとつ。

「拳さん……? 今のわたしたちの会話、聞いてたわよねぇ?」

 しのぶの指先が、拳の眉間を捉えている。きれいに整えられた爪の先が、寸分と狂わずに急所を狙っている。

「ひぃっ」

 拳が、情けない声とともに、その場にしりもちをついた。

 なおも容赦のないしのぶの攻撃。しりもちをついたままの、拳の頭上で指まで鳴らしている。


「わたしたちは、女の子だけの二次会って、言いましたっ」

「はいっ。で、でもですね? そ、そしたら……、さ、さくらは……?」

「拳さん……、がんばって」

 さくらが、小声で拳に声援を送っている。

 そんなさくらの声を、しのぶは聞こえないふりで黙殺し、あくまで拳に攻撃を集中させていた。


「さくらちゃんが……なに? 拳さん、あなたはダメだけど、さくらちゃんはいいのよ。わかったのっ? 返事っ」

「はいぃっ」

「あぅ……、拳さぁん」

 しのぶにやり込められた拳の情けない声と、助け舟を沈められた感じで落胆の色を隠せないさくらの声がかさなった。


 そんなさくらと拳を見ていた、さくら亭にいた商店街の住人たち。その全員が笑っている。

「ほらっ、しのぶに負けっぱなしの拳は、こっちで飲むぞ。さくらも来るか?」

 商店街の住人たちは、肩を落として悲しげな雰囲気に包まれている拳に声をかけた。

「お父さんたちも、いい加減にしてよね」

 しのぶの怒りの矛先も移っていく。

「拳も、たいへんだなぁ。今から、そんなに尻に敷かれてどうすんだぁ?」

 誰ともなく、そんな声が聞こえてきた。

「なんですってぇ」

「うへぇっ、怖い怖い。さくらぁ、しのぶの面倒はお前に任せる。かわいそうな拳のために、なんとかしてやってくれ」

 無責任なおとな連中は、そう言って、さくらに勝手な期待を寄せている。


「ねぇ、拳さんの出番、あれでおしまいなの? さくらちゃんも、たいへんだなぁ」

 今までの成り行きを見ていた沙羅が、無邪気に笑いながら、さくらに話しかけてきた。

「さくらちゃんも、一緒に魔桜堂まおうどう行こうよ。それならわたしも心強いし……」

「そうですか? 沙羅さんがそう言うのでしたら……」


「あれぇ、なんだか、さくらちゃんたら乗り気じゃないみたいだねぇ? 沙羅ちゃんがせっかく誘ってくれてんのになぁ」

 今度はマリが、相変わらずの悪戯っ子のような表情で、さくらに近づいてきた。

「そんなことないですよ。でも、しのぶさんは、女の子だけで……って」

「うん、そうだったねぇ。でもぉ……、そこになにか問題でも……?」

「マリ姉まで?」

 さくらとマリの会話のやり取りに、沙羅がしきりに首を捻っている。


「どしたの? 沙羅ちゃんたら、気になることでもあるのかなぁ」

「わたしの勘違いですよね? さくらちゃんが魔桜堂に行くのを、躊躇ためらってるような気がして……」

 それだけ言うと、沙羅が、しのぶの前で俯いてしまった。

「まったく、さくらちゃんはいけない子だ。今日の主役の沙羅ちゃんに、こんなに心配かけて……」


 まだ、決めかねているような素振りを見せる、さくらの背後から声が聞こえてきた。同時に柔らかな感触が、さくらの華奢な体に伝わってくる。

「し、しのぶさん? なにしてるんですか? また、拳さんが羨ましがりますから、やめてください。それに、沙羅さんも見てるじゃないですか? 恥ずかしいですよぉ」

「そぉ? なら、さくらちゃんも一緒に行くわよ」

「拒否権は?」

「もちろん、ありませんっ」

「あぅぅ……」

 さくらが肩を落とした。その様子を見ていたしのぶは、笑顔のままなおも言葉を続ける。

「まだ言うかなぁ。もう一回抱きつくわよ。わたしだってどうせ抱きしめるなら、さくらちゃんみたいな、小さくてかわいくて若い子のほうがいいもの。あんなゴツくて小憎らしくてもう若くもない拳さんみたいのより……ね」


 奥のテーブルで、拳が椅子から転がり落ちる音が、さくら亭の店内に響く。

 さくらたちが振り向くと、涙目の拳がこちらを見ていた。

 拳を囲んでいたおとなたちが、揃って、肩を落とした拳を励ましている。

 そして、そのおとなたちは、これまた揃って、さくらに必死に訴えかけていた。

「拳のためにも、なんとか、なんとかしてやってくれ。頼んだぞ、さくら。拳を見てたら泣けてきた」

「さっきも言ってましたよね? そんなこと。もぉっ」


 さくらが、頬を膨らませたままで、やれやれという仕草をして見せる。さくらのそんな仕草を見た拳はというと、さくらに向かって両手を合わせて拝んでいた。

「さくらさまぁ、なんとかしてくださぁい」

「拳さんたら」

 うなだれるさくら。周囲からは笑いが漏れる。

「なにが、さくらさまぁ……なのよ。拳さん、あなたのほうが歳上なんでしょ? しっかりしなさいよねっ」

 しのぶが、拳の目の前まで、力強く踏み込んだ。


「し、しのぶさんっ。魔桜堂行って、二次会しましょ、女の子だけで。女の子だけ、あうぅぅ、もぉっ、く、悔しいなぁ」

 暴走寸前のしのぶを、瞳に大粒の涙を浮かべたさくらが、必死に止めている。

「悔しい……って、なによぉ。さくらちゃんたら」

「いいえっ、なんでもありませんっ。沙羅さん、行きましょ……」

「う、うん……」


 状況を掴みきれていない沙羅を連れ立って、さくら亭を後にするさくら。向かった先はもちろん魔桜堂。

 ふたりの後に続く、しのぶとマリ。歩きながら愚痴をこぼしている。

「さくらちゃん、うまく逃げたわね。負けた気がするわ」

 しのぶのほうが、本気で悔しがっている。

「さくらちゃん、魔桜堂に向かってますよぉ。だから、負けたわけでは……。結果オーライかと思いますけど?」


 マリが小さな声で、しのぶに話しかけた。

「そ、そっか。わたし、負けて……ない? ねぇ?」

「負けてはないですけど、しのぶさんはなにもしてませんよぉ。拳さんと喧嘩しそうになっただけ。さくらちゃんが気をかせて、折れてくれた感じですよぉ」

「そうだよねぇ。魔桜堂行ったら謝っておこう」

「あっ、それならわたしもぉ。あの、物静かな感じのさくらちゃん、絶対怒ってますよねぇ?」

「そうだよねぇ……」

「そうですねぇ……」


 しのぶとマリが、さくらと沙羅の数歩後ろを、ため息混じりについて行く。

 ほんの数メートル先にあるはずの、ほんのりと灯りが揺れている魔桜堂までの距離が、遥か彼方に見えたふたりだった。

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