第25話 大魔王さまにならないの?

 小さく震えていたしのぶの右拳が、鈍い音とともにさくらの頭の上に落とされた。

「ちょっとお父さん。なに、さくらちゃんに手伝いさせてっ」

「痛いですよぉ、しのぶさん」

 頭を押さえながら、さくらが呟く。その瞳には大きな涙の粒が浮かんでいる。


「もう、今日の主役をひとりにさせてなにしてるのっ、さくらちゃんは」

「わたしもいたけどぉ。しのぶさん」

 遠慮がちなマリの声。

「マリちゃんもいたのなら、なおさらでしょっ」

「それはそぉですけど。最初に連れて行ったのはけんさんだよぉ。おとなの会合するから、顔を貸せ……って」

 それまで泣きそうな顔をしていた、マリが少しだけ、明るくなったように見えた。


「まったく拳さんたら、本気でシメてくる」

 そう言って、立ち上がったしのぶを、必死になって止めているのは、いまだ頭を押さえている涙目のさくらだった。

「次にさくらちゃんを連れてというか、使ったのは、しのぶさんのお父さんだよぉ……」

「あぅっ、そうだよね。ごめん、沙羅さらちゃん。ここの大人連中は気がかなくて」

 マリにことの顛末を説明されて、しのぶがそのまま座り込む。


「しのぶさん、そんなに気にしないでください。ホントに、おとななさくらちゃんを見るのだって楽しいんですから。ねっ、マリさん」

「そぉだよねぇ。さくらちゃんには、わたしたちが行ってきなよって言ったのにね。しのぶさんたらヒドいなぁ……」

 沙羅とマリが、揃ってしのぶを責めたてる。

「さくらちゃんが、かわいそうだなぁ……」

 もうひとこと、マリ姉が付け加えた。


「あぁ、もぉっ。ごめん、ホントにわたしが悪かった」

「あぁ、しのぶさん、ホントに反省してますぅ?」

 マリがそう言って笑いだす。沙羅もそれにつられて笑っている。その沙羅がさくらに優しく話しかけた。

「なんだか、いちばん被害が大きかったのが、さくらちゃんなのよね。だいじょうぶ? 頭、すごい音したけど」

「しのぶさんのあれって、まだ優しいほうで。拳さんならきっと、シメ落とされてたと思いますから」


 さくらが、苦笑を浮かべながら沙羅に答える。

「あっ、そうだったね。メッセージの画像で見た見た」

「でも、ごめんなさい、沙羅さん。気が利かなくて」

「だいじょうぶだよ。マリさんもいてくれたし。もぉ、さくらちゃんは気を使いすぎよ。ホントに疲れちゃうわよ。エヘへ……」

 そう言いながらも、沙羅は嬉しそうに笑う。


「でも、さくらちゃん、今日はありがとね。久しぶりに賑やかな夜で楽しかったぁ。しのぶさんもマリさんもありがとうございます。ホントに楽しかったです」

「なに言うかな、沙羅ちゃんたら。まだまだこれからでしょ。あしたは学校もお休みだし。ここからは女の子だけで、朝まで語りつくすわよ」

「朝まで……って、しのぶさんたら、沙羅ちゃんの都合も聞かないで」

 マリが頬を膨らませて見せる。それでも怒っているようには見えないのだが。

「そうですよ、しのぶさん」

 さくらもマリのあとに続く。


「そうですよ……って、もうさくらちゃんたら。沙羅ちゃんのお母さんには、許可とってきたでしょ? 沙羅ちゃんの今日の外泊のこと」

 しのぶは、さも当然という顔でさくらに向き直る。

「最初からそのつもりだったでしょ? しのぶさんは」

 しのぶの質問に、こちらも当然という顔でさくらが答える。

 ふたりを見比べていた、マリまでも頷いている。


 そんな三人を、大きな瞳を見開いて見つめる沙羅。完全に話からは取り残された感を漂わせていたが、ややあって。

「ねぇ、さくらちゃん? いちおう聞くけど、病院でお母さんに話してきたの? その……、これからのこと」

 沙羅が上目遣いに、エプロン姿で横に立っていたさくらに、遠慮がちに問いかける。


「はぁ、まぁ、こうなることはだいたい予想してましたから」

「予想してた……って、さくらちゃんの魔法は、未来を視ることができるの?」

 言葉を濁したさくらの返事に対して、沙羅が自然と疑問をぶつけてくる。

「未来の予知って、そんなだいそれたことまではできませんけど」

 さくらがまた口ごもる。


「さくらちゃんは、超能力者とは違うからねぇ、未来のことは判らないけど、変えることくらいはできる魔法使いさんだよぉ……」

 さくらの代わりに答えたマリの言葉が、なにげに爆弾発言となった。

「未来を変える……って、すごいよね。まるで神様みたいだ」

 マリの言葉に、沙羅が瞳を輝かせる。その勢いのまま、さくらへと質問を浴びせてきた。


「さくらちゃんのその力があったら、世界征服とかもできちゃいそうだよね。考えたことないの?」

 沙羅の、真剣な表情の相乗効果もあって、さくらが思わず、小さく吹き出した。

「さくらちゃん、今、笑ったでしょ?」

 さくらの小さな行動を、見逃さなかった沙羅が、頬を膨らませて見せる。

 それに対して、首を横に振るだけの、無言の反論をするさくら。


 見かねたマリとしのぶが、揃って助けに入ってきた。

 まずはしのぶ。

「沙羅ちゃんも、大きく出たわね。でも、さくらちゃんがその気になったら、次の日には世界が変わってるわよ」

「できちゃうんだ? 世界征服。うわぁ……」

「し、しのぶさぁん」

 しのぶの返事に、呆然としながらも答える沙羅。大慌てでそれを止めようとするさくら。


 次にマリ。

「しのぶさん、さくらちゃんの力なら、世界征服どころか、沙羅ちゃんが言うとおり、神様にもなれますよぉ。あれっ、でもぉ、さくらちゃんは魔法使いだから、なるなら魔王さまだよねぇ」

「大魔王さまなんだぁ。さくらちゃん……」

「マリ姉まで、ふたりともやめてください。そんなこと、興味ないですよぉ。ほらぁ、沙羅さんが反応に困ってるじゃないですか」


 そう言って、沙羅のほうをちらりと見るさくら。

「うわぁ、さくらちゃんたら、興味ないって言った。そんなことって言った」

 そう言った沙羅の瞳が、妖しく光るのが見えた。

「なにかおかしなこと言いました? それに、あの、なんだか沙羅さんの瞳に妖しい光が……」

「えっ、そぉかなぁ……」

 沙羅が、音の鳴らない口笛でごまかそうとしているのは明らかだった。


「そぉですよ。それに、そのわざとらしいごまかしかた」

「だって、さくらちゃんたら。ねぇ、しのぶさん。マリさん」

「あぁ、沙羅ちゃんも気づいたかぁ。ねぇ、マリちゃん?」

「そぉみたいですねぇ」

 三人が、それぞれの顔を見比べては笑いあっている。


 ひとり取り残されたさくらが、しきりに首を捻る。

「沙羅ちゃんも、こちら側の世界にきたのね。わたしとしては大歓迎だわ。ようこそ、魔界の商店街へ……」

「もう、戻れないよぉ、今までの普通の生活には……」

 しのぶとマリがそう言うと、揃って悪戯っ子の表情で笑って見せた。


「マリ姉もしのぶさんも、ホントにいい加減にしてくださいっ。怒りますよ」

 さくらの必死の抵抗にも、にやけた笑顔が止まらない三人。

「だって……、さくらちゃんたら、世界征服も大魔王さまも、否定しないんだもん。興味ないって答は、できるけどやらない……ってことでしょ? そんなことっていうのは、たいした障害がないってことでしょ? どんだけスゴいのよ。さくらちゃんの魔法って」

 沙羅がなおも真剣な眼差しでさくらに答える。続けて。

「あっ、でも、さくらちゃんが、間違った世界征服しそうだったら、その時は、友だちとして、わたしがしっかり止めてあげるから心配しなくていいよ。その代わり、大魔王さまになったら、きっと止められないから、わたしのこと、大幹部にしてもらおう……ね」

 屈託なく笑う沙羅を目の前にして、さくらはうなだれてしまった。


「ねっ……って、だから、世界征服なんてしませんし、大幹部って、なんですか?」

「さくらちゃん……、大魔王さまにならないの?」

「なりませんって。沙羅さんたら、もぉっ」

 沙羅の屈託のない笑顔に抗うように、思わず、語気を強めてしまったさくら。

「ご、ごめんなさい……」

 自分の言い方に驚いて、沙羅に謝る。


「さくらちゃんたら、なに謝ってるのよ? 気にしてないって、そんなこと」

 沙羅は笑顔のまま、さくらを気遣う。

 そんなふたりを見ていたしのぶが、俄かに立ち上がる。

「うーん、話は尽きないみたいだしね。魔桜堂まおうどうに場所を変えようか? 女の子だけの二次会にしよう。ねっ、マリちゃん?」

「そぉですねぇ。なんだか、みんなが言いたいことも聞きたいこともたくさん抱えてるようですもん。ねぇ、沙羅ちゃん?」

 しのぶに同調したマリが、沙羅に声をかける。


「沙羅ちゃんも行こぉ」

「さくらちゃん……? 魔桜堂、先に行ってるよぉ」

「はいはい、好きに使ってくださっていいですよ。どうしたんですか? いつもは、そんなこと聞かれたことないですよ」

 マリの様子がいつもと違うことに、首を捻りながら返事をするさくら。

 そんなさくらを見て、今度はしのぶまでもがさくらと同じ仕草をしている。


「なに、他人事ひとごとのように……。さくらちゃん、あなたもくるのよ」

「はい? だって、しのぶさん、女の子だけでやるって……」

「ん? そぉよぉ……。それが、なにか?」

 そう言うと、しのぶは笑いだした。マリも一緒になって笑っている。なんとなく悪戯を思いついた子どもふたりという感じ。

「それが、なにか? ……って、あぁぁぁっ」

 さくらが珍しく大きな声をだした。しのぶたちは、聞こえていないふりをするかのように耳を塞いでいた。


「どしたの? さくらちゃん。びっくりしたよ」

 沙羅がさくらの顔を覗き込んでいる。

「あぅ、ごめんなさい、沙羅さん」

「さくらちゃんたら、謝ってばかりだね」

「いえ、そんなことはないと……思う……んです……けど」

 さくらの声が、次第に小さく、弱々しくなっていく。


「ホントに大丈夫? さくらちゃん」

 心配そうな顔の沙羅。

「そうよね? 沙羅ちゃんも心配してくれてるのよぉ、さくらちゃん」

 未だに、ニヤニヤが止まらない顔で、しのぶが沙羅に続く。

 しのぶの、その仕草を見たさくらが、またしてもうな垂れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る