第3章 待ってるんだ……よ!

第19話 あなたには敵わないわ……

 さくらは、確かに沙羅さらの言葉を聞いた。


「……まだ、許してはくれないの……?」


 母親にさえ、泣き顔を見せまいとして、無理をして笑っていた沙羅も、とうとう我慢しきれなくなったのだろう。

 大学病院の中庭で、さくらの手を掴んだまま、沙羅は暫く泣いていた。

「さくらちゃん、ごめん。わたしったら、ひとりでいるときは、結構、我慢できてたんだよ」

「はい……」

「さくらちゃんがいてくれたから、緊張の糸が切れちゃったのかも」

「はい……」


 さくらは、どう返事をしたものかわからなくなってしまった。沙羅が未だに無理をしているのが、痛いほど感じられたからだった。

 涙を拭いて、沙羅がさくらに向かって笑う。

「ホントにごめんね。帰ろうよ、商店街まで送っていくから」

「沙羅さん?」

「ん……? なぁに、さくらちゃん?」


「沙羅さんは、小百合さゆりさんに、家のことしないとって、言いましたよね」

「うん、言った」

「それ、明日にしませんか?」

「へっ? それって、どういう……?」

 沙羅は、さくらからの言葉の真意がわからないという顔をしている。

 さくらが、自分のスマホを取り出し、なにやら操作をして、沙羅にその画面を見せる。


「少し前に、しのぶさんから連絡がきてて……。これ……ですけど」

「うん」

「沙羅さんを、連れて帰ってくるように……って」

「へっ? どうして……?」

 またも、沙羅から、間の抜けた返事が聞こえる。


 その様子を、さくらは笑いながら見ていた。

「しのぶさんが、みんなで夜ご飯を食べましょ……って」

「へっ?」

「沙羅さん、さっきから、返事がそればかりですよ」

「あっ、ごめん。それって、わたしのこと誘ってもらえてる……の?」

「そうですよ。他に誰かいますか?」

「えっ、でも、わたし、今日初めてあの商店街に行ったのよ。わたし……」

 沙羅の声が、次第に小さくなっていく。


「あぁ、そんなことですか? 気にします?」

「すっ、するわよ、勿論」

 さくらの言葉に、沙羅が反論する。これが普通の反応なんだと、さくらが考え込む。

 そして。

「しのぶさんたちが、沙羅さんのことを気に入ったから……っていうのでは、ダメでしょうか?」

「いやいや、、ダメなんてことないし。むしろ光栄なことでしょ、そう言って貰えると。でも……」

 今度は沙羅が考え込む。


 その様子を見ていたさくらの紅みがかった髪が、さらさらと揺れている。

「それとですね」

「うん」

「これは、しのぶさんが言ってたことですけど……。沙羅さん、毎日、学校に行って、小百合さんの様子を、病院に見に行って、そのうえ家のことして……で、疲れているみたいだから、たまには、気分転換しなさい……。だそうです」

 しのぶの声音を真似ながら、さくらが自分のスマホの画面を、改めて沙羅に見せた。


「しのぶさんからのメッセージです。読んでいいですよ」

「そんなぁ……、人のスマホ見るなんて……」

 さくらが黙って頷く。

「いいの?」

 沙羅がさくらから渡された、その画面に視線を落とす。


「うわぁ、ホントだぁ……。わたしのこと、連れて帰ってきなさい……って」

「沙羅さんが、遠慮する必要のない訳は、そのメッセージ、最後まで見ていただけると……」

 さくらに優しく言われ、沙羅は画面をスクロールさせていく。沙羅がメッセージの下に添付されていた画像に気づいたようだ。思わず吹き出している。

「あはっ。さくらちゃん、ホントにわたしが、商店街に行ってもいいんだね」


 沙羅を笑わせることに成功した、その画像には、しのぶとマリ、そして、念願のしのぶにギュッとしてもらって、絞め落とされたけんが写っていた。

「待っているからね」のスタンプがついている。

「沙羅さん、また、泣いてますよ……」

 さくらがハンカチを差し出す。

「泣いてないよぉ。誘ってもらえたことが嬉しくて……」

 沙羅が震える声で、そう言いながら、差し出されたハンカチを受け取る。


「さくらちゃん……、こんな絶妙なタイミング、どこで覚えてくるのよ? わたしと同い年のくせに……」

「どこでって、みなさん、やってることだと……」

「普通、やらないわよ……っていうより、できないと思うわよ」

「そぉですか?」

「そぉよ」

 さくらとのコミカルなやりとりに、暫く、ふたりで病院の中庭だったにもかかわらず、揃って笑いあった。


「沙羅さんが落ち着けたようですから、商店街に帰りましょうか?」

「ちょ、ちょっと、待って……」

「なんです? 沙羅さん?」

「うん、帰りが遅くなること、お母さんに言ってこないと……」

「そのことなら心配いりません。小百合さんには、先ほど話しておきましたから」

「はい……?」

「それと、看護士さんにも、商店街の連絡先を渡しておきました。絶対に必要になることなんてありませんけど」


「ちょ、ちょっとぉ……」

「はい? 今度はなんですか……?」

「さくらちゃん。あなた、どこまで、気が回るのよ。信じらんないわ……」

「ですから、みなさん、やって……ます……って?」

「そんなこと、みんなに、ホイホイやられてたまるもんですかっ」

 沙羅がさくらのことを、ジト目で睨む。その視線に、怒っているという雰囲気は感じられない。


「さくらちゃん、ありがとね……。わたしが笑えるように、わざとボケてくれたんだよね?」

「わざとだなんて……」

「もしかして、本気で?」

「どちらかといえば……」

「うわぁ」

 沙羅が頭を抱え込んだ。


「さくらちゃん……、あなたには敵わないわ……」

 沙羅が、そう言うと、またしても、ふたりで揃って笑いだした。

 ふたりで暫く笑いあった後、さくらたちは、病院の北側から出て、商店街までの下り坂を並んで歩き始めた。

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