第18話 まだ、……許してはくれないの?

「母は、魔法を使わなくなって、一年ももちませんでした……。いえ、もっと前からだったのかもしれません。その理由を知ったのは、母が亡くなったあとでしたし、治癒の魔法は、母にすべて拒否されてしまって……」

「理由……?」

「はい、父に、魔法の力を怖れられたんだそうです。小百合さゆりさんが抱える理由も、沙羅さらさんのお父さんですか? 聞いちゃいけないことだって、解ってますけど……」


 さくらからの問いかけに、小百合はなにも答えない。

「小百合さんにもしものことがあれば、沙羅さん、ひとりになっちゃうんですよっ」

「えぇ……」

「今だって、きっと、沙羅さんは寂しい想いを感じてると思います。無理しているようにも見えました。美亜みあさんのことだって、ひとりで責任感じてるようですし……」

「そうね、沙羅が無理をしてるってことは、見たらわかるわ……。そこは、実の母親ですからね。だからこそ、志乃しのちゃんのところを紹介したのよ……」

「母なら、なんとかできる……と?」

「本当なら、わたしがなんとかしてあげるべきだけど。身内だから話せないこともあるでしょ……?」


 さくらも、小百合の言おうとしていることは理解ができた。そして、沙羅が、自分のことで、母親に余計な心配をかけてはいけないと考えているのだろうということも。

 しかし、さくらは、ふたりの想いを理解した上で、なおも小百合に話を続ける。


「それなら、なおのこと、小百合さんが聞いてあげられるようになるべきではないですか? 元気になって、沙羅さんの話を聞いてあげて、おとななりの答やヒントを示してあげるべきではないですか?」

 さくらは、興奮して場違いな怒りをぶつけてしまったことを、素直に謝り頭を下げる。


 小百合は、そんなさくらを見ても、嫌な表情ひとつ見せずに笑みを浮かべている。

「さくらちゃんの言うとおりね……。本来は母親のわたしの役目。でも、今のわたしには、それすらもできないの」

「魔法使いの小百合さんでもですか?」

「わたしは、その魔法を捨てたいのよ……」

 やはり、小百合は自ら魔法を使うことをやめたのだと、さくらは思った。

 きっと、その理由も亡くなった母と、似たようなものだろう。

「小百合さんにも、魔法は重荷でしか……」

 さくらは、哀しそうに呟く。


 そして。

「母は、魔法は、人が優しくなれることに使いなさい……って、いつも教えてくれてました。でも、最後の最後に裏切られた気持ちもあって……。魔法を使うことを、最後まで頑なに拒否して、目の前から消えてしまって、そこに、ひとり残されてしまった子どもは、ホントに優しくなれるでしょうか? 笑ってすごしていけますか? 沙羅さんには、そんな想いをしてほしくはないんです。ですから、小百合さんも、母と同じ道を行かないでください。小百合さんに、魔法を使うことを躊躇ためらわせる、何かがあったのかもしれませんけど、沙羅さんにとって小百合さんは、魔法使い以前にお母さんなんです……。だから……」

 さくらが、そこまで言って、言葉を詰まらせ、俯いた。



「だから……、嫌われる覚悟もしてきました。恨まれる覚悟もできてます。ごめんなさい、小百合さん」

 そう言ったさくらが、小百合に向けて左手を差し出した。その細い手首には、キラキラと輝く小さな石がまる銀色のバングル。

 その石に光がともる。それが、さくらの、差し出した左手を包み込んでいく。一瞬だけ眩しいほどの輝きを放ったのち、淡い桜色の光に変化し病室の中に拡散されていった。

 時間にして僅か数秒のできごとだった。すべてが元の白いだけの病室の風景に戻った。



「あの子ったら、あげないわよ……って、ねぇ……?」

「はぁ……」


 小百合の放った言葉に、曖昧に返事をするさくら。その様子を見て、小百合が柔らかく微笑んだ。それとほぼ同時に、小百合の視線が病室のドアへと移る。つられて、さくらも振り返った。


「あら、沙羅。今日は、少し早くない……?」

 沙羅が病室の入り口に立っていた。

「うん、今日はさくらちゃんがいるし……。美亜のお母さんも来てたの……。だから少しだけ、美亜と話をして戻ってきた……」

「気にしなくてよかったんですよ、こちらのことは」

 さくらが答える。


「うん、ありがと……。そう言ってくれると助かるけどね。お母さん、わたし、今日はこれで帰るね。また明日来るから、ごめんね……」

「どうしたの沙羅、そんな急に……」

 小百合が心配そうな表情を浮かべ聞いてきた。

「なっ、なんでもないよ。うん、今日でテスト終わったし、最近サボり気味だったから、家のこともしないとね。だから……」

「ごめんね、沙羅。そんなことまで……」

「なに言ってるのよぉ……。お母さんは、早くよくなって帰ってくればいいの……。それに……」

「それに……?」

「うん、さくらちゃんなんて、ひとりでなんでもやってるんだもん。負けてられないわよ」

 そう言って、沙羅が笑った。


 沙羅の笑顔が無理をしていることを、さくらは出逢った当初から感じていた。

 きっと入院中の母に、余計な心配をかけさせたくないという、沙羅の心遣いの表れだったのだろう。

 さくらが自分の感じたことを、黙っていようと考えていたとき、小百合も、その沙羅の思いが理解できたようだ。さくらと目が合うと、小さく頷いた。


 ふたりに気づかれているということに、気づいていない沙羅が、さくらに声をかけた。

「さくらちゃん、そろそろ帰ろう。商店街まで送ってく……」

「はい、そうしましょうか? 小百合さん、今日は突然、伺ってごめんなさい。お話できて楽しかったです。また来ますから、早くよくなってくださいね」

「ありがとう、さくらちゃん。小百合さんも、今日は楽しかったわ……」



 沙羅がさくらを連れ立って、病室を後にする。病棟の廊下を、さくらの手を引いて、速いペースで歩いていく。

 病棟を抜け、大学病院の中庭に出たところで、沙羅の歩くスピードが徐々に落ち、最後には、そこで立ち止まってしまった。

 必死にさくらに、自分の顔を見られないように、俯く沙羅。そして、華奢な肩も小刻みに震えている。


「沙羅さん……?」

「うん、ごめんね、さくらちゃん……。少しだけ……」

「沙羅さんが落ち着くまで待ってますから……」

 沙羅がさくらと繋いでいた自分の手に力を込めた。下を向いて声を押し殺している。

 さくらからは沙羅の表情は見えなかったが、そこに一粒の涙が見えた。沙羅の頬を伝って、静かに地面に落ちる。


 さくらは、時間の過ぎてゆくまま、沙羅が落ちつくのを待つことにした。一言たりとも言葉を発することもなく。

 少しだけ時間が流れた。

「……まだ、……許してはくれないの?」

 沙羅が誰に言うともなく呟いた。


 病院の中庭を、梅雨の明けた、爽やかな夏の風が吹いていた。

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