第8話 魔法使いを信じますかぁ……?

 そこには、まるで、今にも売られていく牛のように、ふたりに連行されていくけんの姿を、合掌して見送るさくらだけが取り残された。


「あっ、あのぉ……」

 佇むさくらに、突然、遠慮がちな声がかけられた。声のしたほうへと、さくらが振りかえる。

 思わず目があった。そこに立っていたのは、小柄なさくらと同じくらいの身長の女の子だった。

 肩にかかるくらいの髪が、そよ風にさらさらと揺れている。

 小さな顔に、つり目がちな大きな瞳が、とても印象的なかわいい女の子だった。


「あのぉ、この商店街の中に、魔桜堂まおうどうっていうお店があるって、母に聞いてきたんですけど……。魚屋さんのお兄さんが、案内してくださるって言って、それでここに……」

「拳さんたら、もぉ……。母に用事ってあなたのことですか?」

 魔桜堂の店先で、さくらがやさしく話しかける。

志乃しのさんて、あなたのお母さんなの?」

「はい、そうなんですけど……。今、ここにはいないですよ」

「いないって、お留守なの? いつごろ戻られるのかしら……」

「うーん……」


 さくらが、突然の来客への返事に困っていると、魔桜堂の中から、マリが顔を出してきた。

「さくらちゃん? どうかしたのぉ? お客さんって、その子ぉ?」

「はい。母に用事らしいんですけど……」

「その様子だと、事情を知らないんだねぇ。それに、見えてもいないのかなぁ?」

 こういう時のマリの勘のよさには、さくらはいつも助けられている。

「マリ姉、いつもありがとう……。またお願いしていいですか?」

「うん、お姉さんに任せなさい」


 そう言って、慎ましやかな胸を張って見せる。そして、目の前の困惑顔のお客さんに、さくらの母が、すでに亡くなっていることを説明してくれた。

 母を訪ねてきたという女の子も、マリから事情を聞いて驚いている。そしてさくらに向かって、頭を下げた。

「ごめんなさい……、知らなかったとはいえ……」

 最後のほうの言葉は、消え入りそうなくらい小さな声になっていた。


「母のことなら、もう大丈夫ですよ。気にしないでください。それに、今は母の代わりにこの魔桜堂はやってますし、お話くらいなら伺えますよ」

「気にしますよ。ホントにごめんなさい。わたしったら」

 頭を上げられずにいるその様子を、さくらとマリが揃って見つめている。

 あまりに自分を責めているのを、かわいそうに思ったのだろう。マリが、話題を変えようとがんばっている。

「えぇっとぉ……、あのぉ、ところであなたのこと、なんて呼んだらいいかなぁ? この子が、今の魔桜堂の店主、高遠たかとおさくらちゃん。わたしは、マリっていうのぉ……」


 マリがさくらと自分の紹介を簡単にすませ、返事を待つ。

「わたしは沙羅さらです。嶋津しまず沙羅っていいます」

「じゃあ、沙羅ちゃんだね。よろしくねぇ。その制服は、さくらちゃんと同じ高校のだけど……、何年生?」

「一年です。さくらちゃん、いえ、高遠さんもなの?」

「そうだよぉ、さくらちゃんも一年生。学校で会ったことない?」


 沙羅が首を横に振る。それから続けて、

「高遠さんくらいかわいかったら、クラスが違ってても、話題になりそうですけど、今まで知らなかったです。ごめんなさい」

「さくらちゃん、かわいいって。よかったねぇ。そういう沙羅ちゃんだって、とてもかわいいと思うわよぉ」

 沙羅に、かわいいと言われて、耳まであかく染めているさくらのことを、我がことのように喜ぶマリ。

「マリ姉まで、そんなこと言って、からかわないでくださいよぉ……」

 さくらは恥ずかしがって、未だに下を向いたままでいる。


 商店街の住人には、普段から言われている言葉ではあった。それは、親が子の頭を優しく撫でながら言う、かわいいという言葉。

 亡くなった母も、いつもさくらにそうしていた。

 もちろん、さくらを溺愛気味のマリにとっては、顔を見るたびに使う言葉なので、挨拶代わりのようなものなのだろう。しのぶも同じ感覚のようだ。しのぶの場合、頭を撫でるよりハグすることが多いのだが。

 しかし、それ以外の人、ここ以外の場所では、さくらにはまったく縁のないはずの言葉で、言われ慣れないモノの所為せいで、どう返事をしていいのかが解らずにいたのだった。


 まだ何かを考えている様子のさくらに、沙羅が遠慮がちに声をかける。

「あの、高遠さん?」

「沙羅ちゃん、そんなに改まらなくていいよぉ。この商店街の人たちは全員が、わたしも含めて、さくらちゃんて呼んでるのよぉ。沙羅ちゃんもそれでいいと思うよぉ」

 さくらの代わりに、マリが返事をする。

「そうですか? いいの? 高遠さん、あっ、さくら……ちゃん?」

「どちらでも……。マリ姉も無理を言ったらダメですって。ところでしのぶさんたちはどうしたんです?」

「わたし、無理なんて言ってないよぉ。わたしは、さくらちゃんのお姉さんだから、さくらちゃんて呼ぶしぃ。沙羅ちゃんも、そぉ呼んでほしいなぁって、思っただけだよぉ。それからしのぶさんたちのところは、殺人事件の現場みたいになりそうな雰囲気が漂ってきたから、ここに避難してきたんだぁ」


 今、さらっと不吉なことを、マリが口走った気がした。

「それって、今ごろお店の中が、たいへんなことになってるってことでしょ?」

「それは少し違うんだよぉ。しのぶさんのグーがねぇ、拳さんに……。それなのに、拳さんったらぁ……」

 マリ姉が言葉を濁しているので、さくらが話の先を促した。

「拳さんが、どうかしたの?」

「もっとぉ……。とか言うのよぉ……。もぉぉ、信じらんなぁい……」


 拳さんらしい。さくらがそう考えている隣で、マリが頬を膨らませて怒っている。魔桜堂の中の様子を思い出してしまったのだろう。

「拳さんの……、ばかぁぁっ……」

 ため息をつきながら、さくらとマリの、拳を罵倒する言葉が重なった。


「それよりも、沙羅ちゃんのこと案内してあげないとぉ。魔桜堂に連れて行ってあげていいんでしょ?」

 マリは、久しぶりの魔桜堂へのお客さんを、案内できそうな雰囲気にわくわくしているようだ。

「沙羅さんのお母さんと、母が知り合いのようですから、問題ないと思いますよ」

「あの、それは、どういうことなの? 魔桜堂と、わたしのお母さんとなにか関係があるの?」

 話の先が見えずに、沙羅がふたりに助けを求めている。


「沙羅ちゃんは、ここのお店のこと、お母さんに聞いてきたんでしょぉ?」

「はい、そうですけど」

「でもぉ、魔桜堂は見えてないよねぇ。お店は、今のこの時も、沙羅ちゃんの目の前にあるんだよぉ」

「目の前って、どこに魔桜堂が?」

「これから案内してあげるよぉ。わたしがやってもいいよね? さくらちゃん?」

 魔桜堂への案内の方法を、マリはさくらの真似をして覚えたのだが、今までにそれを使う機会なんて一度もなかったのだ。それほど魔桜堂を訪れる、外からの客は少なかったし。商店街の住人は、全員が魔桜堂に入れていたので、それに気づいた者もいなかったのだ。


「マリ姉、やってみたかったんでしょ……?」

 さくらはそう言って笑っている。さくらの返事と、その笑顔に後押しされるように、マリがひとつ大きく深呼吸をした。

 そして、沙羅に向かって、

「沙羅ちゃん……」

「はいっ」

「あなたはぁ、魔法使いを信じますかぁ……?」

「は、はい……?」

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