第7話 天上のモビーディック

「行くぞローズ!」

「待て! 先走るんじゃない!」


 略奪者の襲来。

 反射的にローズに跨がり飛び出そうとしたハイトを、鋭い声が止めた。振り返り、声の主と目を合わせて一呼吸。


 敵は強大。一人と一頭では立ち向かえない。

 静かながら恐ろしさをも備えた夜の瞳に諭され、頭が冷える。

 改めて知識も力もある戦士に指示を仰ぐ。


「……どうすればいい?」

「まずは住民に知らせよう。寝ている者は起こさなければいけない」


 思えば当然の対応。反論もなく、真っ先に思い至るべきだと恥じる。

 ただ、問題はその後だ。


「それで、どうするんだ? 逃げるのか、戦うのか」

「戦闘は無茶だ。かといって避難も現実的ではないな。本来なら事前に備えておきたかったんだが、応急措置的な対応しか出来ないか……」


 片手で頭を押さえ、悩む様子のショトラ。

 悔恨の様子も窺えるが、それは筋違いだ。もっと早く来てくれていれば、と責任転嫁はしない。こうして無関係なハイト達を考えてくれるだけでも有り難いのだ。

 余計な後悔は払拭してもらおうと、明るく話を進める。


「起こさない方がいいなんて事はないよな?」

「確かに混乱が発生すれば、対応は遅滞するだろう。しかしどう対応するにせよ住民が動けないのでは話にならないな。いざとなれば反感を買う手段を選ぶ必要もある」

「じゃあ」


 安心して即断。漁に使う笛を思いっきり、息の続く限り長く吹いた。

 音は村中に響き渡り、至近距離にいて驚いたショトラは側頭部を手で押さえる。分かりにくいが、やはりその位置に耳があるのだろうか。

 そして間もなく家から父親のイーサンが飛び出してきた。


「おい、うるせえぞ! 夜中に何やってんだ!」

「まあまあまあ。話はこちらの方に聞いてくれ」

「……これでは話し辛いだろう。突飛な行動は止めてくれ」

「あん? この声は天使サマか?」


 怒りを収めてまじまじとショトラを見る。

 父親や漁師仲間は空から現れた救い主、という事でそう呼んでいた。

 対応する当の天使サマは目を見開き、それから顔を伏せた。不満そうな、あるいは恥ずかしそうな感情が読み取れる。


「……息子さんには既に話したんだが、敵が迫っていてその対処を」

「よし、野郎共を働かせりゃいいんだな? いっちょ活入れてくらあ」


 説明途中で即断即決。

 これにはショトラも虚を突かれたように聞き返す。


「ろくに説明も聞かずに、いいのか」

「また昼間のみたいな奴だろ? 今度こそは無様は見せらんねえからな」


 ニヤリと笑って言い残し、さっさと行ってしまった。広い背中が頼もしい。具体的な指示をする前だった事に不安を感じるのだが、呆気にとられていたので仕方ない。

 気を取り直し、ショトラは生真面目に告げる。


「住民は彼に任せよう。ワタシ達は上だ。どれだけ効果があるかは不明だが、艦に仕掛ける」

「よし来た。また二人でローズに乗るんだな? 今度もしっかり支えるから安心してくれ」

「……安全の為には仕方ない、か……」


 やはりこの体勢は不満なのか。なんだか恥ずかしげなショトラを抱えてローズに跨がり、二人乗りで空へと飛び立つ。

 夜の闇に増加される不安を、星と月の明かり、そして腕の中の温もりで振り払って。


 眼下ではイーサンが広場で寝ていた酔っ払いを叩き起こし、様子見に来た者へ指示している。その手際に淀みはない。

 結果そう大した時間もかからず、村人全員が家の外へ出てきた。内地の他の集落に向かっている。事情を報せる為に先行して人も送ったようだ。イーサンはきちんと仕事を果たしているらしい。


 騒がしくなってきた地上から離れ、より高く高く。徐々に潮の香りが薄くなる。

 すると、星空に異変が見えてきた。星の明かりの無い、ぽっかりと黒い丸があったのだ。

 背筋を走る悪寒。

 より近付けば、星を隠す黒円の詳細が見えてくる。


「あれは……」

「ああ。あれが略奪者の艦だ」


 ハイトは目にした光景に絶句する。

 空を覆うのは、物語上で聞き覚えのある存在。見覚えのある物がより大きくなった存在。

 巨大な鋼の円盤。

 それは、正に伝説にある通りの姿だった。


「銀の、魔王……っ」


 愕然としたハイトはローズから落ちかけ、慌てて体勢を戻す。もし地上にいたなら延々と立ち尽くしていただろう。今だって飛行姿勢を保つのでやっとだ。


 だがショトラは素早く手を閃かせる。

 クラーケンにも使った武器を構え光線を放った。闇を一直線に切り裂いて走り、命中。

 視界が白み、轟音が耳鳴りを引き起こす。それ程の影響を与える攻撃だった。

 しかし。


「効かない、な」

「ああ。それでも他に手はない」


 円盤に変化は無かった。焦げ跡すら見られない。全て弾かれてしまったのか。

 それだけでない。

 嫌な事実にも気付いた。ローズが上昇しているだけでなく、敵の高度も下がってきている。

 狙いは間違いなく、地上の村人。

 最悪の想像をし、ハイトは弱気になっていってしまう。


「このままじゃ……」


 やがては危惧が現実に。

 そうならない為にも、今出来る最低限の事を。

 その場でローズの姿勢を維持し、光線を乱射するショトラを支える。途中で部品を取り替えるのも素早く行えるよう、決して体勢を崩さない。

 激しい連発で昼間のように夜空が明るくなり、浮かび上がるのは巨大な影。今度こそ神話の再来か、現実離れした光景だった。

 しかし、やはり、銀の魔王は進行を止めない。ちっぽけな翼竜など、気にも留めずに降下していく。


「……これでも、駄目なのか。なら、もっと近付くか?」

「昼とは違う。接近しても効果は薄いだろう」


 そうこうしている内に魔王は更に地上に近付いてきた。ローズが上から追いかける形となる。

 より高度が下がった結果。地上からでもハッキリと、空を隠す程に大きく見えるようになっている。


「逃げろ!」


 上空の偉容に気付き、ある程度の人数は村の外へと一目散に走り出す。

 しかし大半は呆然としたままだ。翼竜乗りが引っ張ったり担いだりして無理矢理運ぶものの、数が全然足りていない。


 そして円盤から光が伸びた。

 太く長く、天と地を繋ぐ柱のように。


 それを浴びた人々が宙を浮き、円盤の方へと吸い込まれていく。その中には昔から世話になっている村長がいて、祭の料理で腕を振るってくれた女将衆がいて、ショトラに興味を持っていた子供達がいた。

 様々な悲鳴が聞こえる。助けを求める声が聞こえる。

 それらの一切が、情け容赦なく吸い込まれていった。

 人々を空へ浮かせ、呑み込む。それもまた、伝説で語られる魔王の所業の一つだった。


「は? ……はあ?」


 何が起きたのか。

 拉致されたのだ。

 村の人々が。仲間が。家族が。

 原理はともかく、見れば分かるその緊急事態を、頭が受け入れられない。

 魔王が上昇に転じ、ローズの位置より高くなったところで、このままでは逃げられると気づいたところで我に返る。


「ローズ、行くぞ!」

「待て、逸るな!」


 ショトラの言葉を聞かず、一気に加速して上空へ。憎き魔王の下へ。

 徐々に我を取り戻していく他の漁師も続く。


「返せっ!」


 上昇して一度通過、遥か上空で反転。そして急降下して勢い任せに踏みつける。

 走る衝撃。自身の体もローズもビリビリと震える。

 しかしびくともしない。

 父親を始め、周りの漁師も次々と銛や体当たりを繰り出しているが何も変わらない。まるで意にも介さず、鉄壁の魔王として悠々と神々の領域へ帰ろうとしている。


 いや、羽虫程度の煩わしさはあったのか。


「引け! 反撃が来る!」


 ショトラの警告の直後、体が激しく揺さぶられた。

 目が回り、猛烈な吐き気がする。体が思い通りに動かない。

 得たいの知れない攻撃。ローズも苦痛を訴えてくる。労りを込めて撫でるが、調子は非常に悪い。

 たまらず離脱。見渡せば落下していく翼竜もいる。


「……っ」


 頭が冷える。息が荒いと意識する。けたたましい爆音が自分の心臓の音だと認識する。


 硬い。重い。強い。速い。

 敵の圧倒的な力を思い知らされ、挫けそうになる。

 だがすぐ前の、抱えている小さな体が、それを許さない。


「どうすればいい? いや、それより光の武器は? もう使わないのか?」

「あれは通らない。その代わりに信号を送り、他の手段で攻撃を加えている。目には見えないが命令系統に干渉しているんだ」


 頭の兜らしき物をコツンと叩く。

 まるで理解出来ないが反撃は進めているらしい。内容よりも冷静な語り口によって、段々と落ち着いてくる。


「ただ、時間が足りない。権限の奪取が完了する頃には既に手の届かない領域だ。平行して遅延作戦も遂行しなければいけない」

「足止めか……」


 ショトラは頼もしいが、やはり万能ではないらしい。冷えた頭でハイトも考える。

 問題点は時間。

 撃破しなければいけない訳ではない。要するに、空を往く巨体を逃がさないように捕まえておけばいいのだ。

 ショトラが攻撃を担当する以上、それは自分達の仕事だ。ハイトはそう決意する。

 村人を、家族を救うには頼りきりではいられない。その想いは周囲の翼竜の数が示している。

 使命を果たすのだ。単なる漁師である自分達が。


 ──ならば。


「ローズ!」


 閃きを得たハイトは手綱を操り、ローズの頭を下へ向ける。


「キミ何処へ行くんだ!?」

「ちょっと試したい事がある! 親父も付いてきてくれ!」

「仕方ねえ、手伝ってやる!」


 戸惑うショトラと違い、文句を言いながらも何処か楽しそうなイーサン。先が欠けた上に曲がった銛をしまい、素直に従ってくれた。

 二頭の翼竜は地上へ降下していく。目的地は漁具小屋だ。

 降りるなり急ぎ足で駆け込むと、そこで一番大きな、クラーケンのような大物を引く為の網を手に取る。


「おい、そりゃあ」

「俺達は漁師だ。なら、やる事は決まってる」


 端的な台詞でイーサンは察したようだが、ショトラはいまいち反応が悪い。それも当然か。

 ハイトは思わず口元をにやけさせ、それから強く笛を吹いた。

 その旋律はクラーケンを発見した際と同じ、大物発見の合図。漁師に激しい戦いを知らせる音色だった。


「これで魔王を獲る」

「乗った」

「はああああ!?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る