第24話

 かまどから漏れ出る火を、リゼはぼーっと見つめていた。

 かまどの上には、天井から吊るされた鍋があり、ぐつぐつと沸騰している。今は、先ほどの薬草を煎じている最中。併せて、包帯用に布切れを熱湯消毒している。

 この工程を、彼女の肩に乗った冥獣が一体で済ませてしまった。その体はモチモチとしていて、かなり柔軟に動けるようだ。そして、何より触り心地が良い。

 と、冥獣が肩を二、三度叩く。


「できた?」


 リゼは鍋に近づいた。

 そして、ふと冥獣の小さな体で鍋を持ち上げるのは難儀だろうと思い、鍋に手を伸ばす。しかし、その取っ手に触れた瞬間、指先に痛みが走った。


「いたっ」


 思わず指を引っ込める。見てみると、指先が赤くなっている。

 だが、リゼは泣き喚いたりせず、それを不思議そうに眺めていた。そして、感嘆に近い吐息を漏らす。


「痛い……」


 結局、冥獣が鍋から器へと、煎汁せんじゅうを移し替えた。

 それを二階の、ペイルの待つ寝室へと運ぶ。彼の症状は刻々と悪化していて、今にも死んでしまいそうだ。

 冥獣が彼の頭の下に潜り込み、頭を持ち上げたので、リゼは彼の口に煎汁を流した。少し勢いをつけると、むせ返ってしまうので、中々骨の折れる作業であった。これで良くなるのだろうか。

 それが終わると、隅にあった丸椅子に腰掛けた。とりあえず、オレスたちが帰って来るのを待とう。


 しかし、二人は全然帰ってこない。次第に目蓋が重くなっていく。リゼの視線は、タンスの上にあるロウソクの微かな灯火に固定された。

 その柔らかなオレンジの中に浮かぶ、アドニスの姿。


「ママ……」


 やがて、リゼは安からな夢の世界へと誘われていった。


◆◇◆◇


 目を開ける。

 小さく欠伸をしてから、辺りを見回す。遅れて、今までの記憶が喪失感を伴って戻ってきた。

 ロウソクの長さは、もう先ほどの半分くらい。随分長く寝てしまったようだ。


「花のおっさん」


 返事はない。

 立ち上がろうとして、膝の上に冥獣が乗っていることに気づいた。

 それを抱きかかえて、部屋中を探し回る。しかし、オレスたちはまだ戻ってきていないようだ。もう数時間は経っているはずなのに。


「あれ?」


 一階には、オレスたちを連れて行ったはずの冥獣たちが戻ってきていた。


「花のおっさんは?」


 冥獣は首を傾げるような動作をするばかり。

 もしや、もうこの町を離れてしまったのか。そう思って表に出ると、気怠そうに体を丸めるラードーンの姿が。


「ねえ」


 尋ねようとしたが、ラードーンに顔を背けられた。

 仕方なく二階に戻ると、まだペイルの姿もあった。幾分か顔色が良くなったようだ。

 一度椅子に座る。しかし、どうも落ち着かない。数分置きに、部屋を歩き回ったり、窓から外を覗いたり。扉の開く音がすると急いで玄関に向かったが、冥獣の客が来ただけとわかると、訳もなくため息が出た。


「……」


 なぜだろう。

 アドニス以外の人間など、どうでもいいと思っていたのに。それに、自分でここに残る事を決めたのではないか。何を焦っているのだ。

 だが、リゼのわがままな童心は、今になって虚勢という影から、寂寥を携え姿を出そうとしていた。

 とうとう彼女は我慢できなくなって、家を飛び出そうとする。しかし、玄関の前では複数の冥獣が通せん坊をしていた。


「何してるの? どいて」


 慌てたように右往左往する冥獣たち。

 だがよくよく見ると、それは一体一体が体を変形させ、視界の左側は二つの人型に、右側は怪物のような形に変わっていった。まるで陰絵芝居のようだ。すると、その怪物が人型を飲み込むような動作をした。


「花のおっさんたち、食べられたの?」


 リゼが理解したのだと察したらしく、冥獣たちは顔を縦に振りまくる。

 

「まだ生きてる?」


 一体の冥獣が、脚で通りの向こう側を指した。そっちにいるのだろうか。行った方がいいだろうか。

 未だ中途半端にしか姿を見せない本心。だが。


「…… 助けに行く」


 リゼは決意を固め、扉へと向かう。だが、そんな彼女の足に冥獣たちが引っ付いてくる。


「なんで? 邪魔しないで」


 前に進もうとするが、意外と冥獣の力は強い。


「んんん…… !」

 

 どんなに踏ん張っても、全く前進できない。扉はもう目の前なのに。

 そんな綱引き状態の最中、「あ」とリゼは思い出したように力を緩めた。冥獣たちは、勢い余って後ろに転がっていた。

 なぜか寝室へと戻った彼女は、タンスの上で、紙と睨めっこしていた。ペイルのために、書き置きを残そうと思ったのだ。しかし、問題が一つ。


「字わかんない……」


 リゼは文字を知らなかった。これでは情報を残せない。かと言って、ペイルが起きるのを待ってはいられない。

 散々悩んだ挙句、彼女はようやく一つの帰結に至った。それを紙に書きつけると、今度こそ外へ向かう。

 いや、その前に冥獣たちをどうにかせねば。今度は階段を塞がれてしまった。


「ねえ、どいて」


 やはり、言うことを聞いてくれない。リゼは口を膨らませる。

 強行突破は無理だし、どうするべきか。

 

「そうだ」


 リゼはなぜか後ろを向く。そして、部屋の奥へと進む。視線の先には出窓が。

 彼女はそれを押し開けると、身を乗り出した。一階からはのきが出てるから、そこを伝って地面に着地すればいい。後ろからは、大慌てで冥獣たちが追いかけて来る。

 だが、窓枠を跨ぎ、ぶら下がろうとした時。老朽化した枠が、ふいに壊れる。


「あっ」


 リゼはバランスを崩し、軒に体を打ちつける。そのまま転がっていき、背中から硬い岩畳に向かって落ちていく。これでは大怪我は免れない。

 だが、彼女の背中が捉えたのは、弾力のある柔らかな感触。不思議に思って見てみると、冥獣が地面との間に挟まっていた。さっきまで寝室にいた個体だ。

 とりあえず、横にずれる。ぺちゃんこになっていた冥獣だったが、すぐに元の大きさに膨らむ。

 

「リゼのこと、助けてくれた?」


 聞いてみたが、冥獣はぴょんぴょんと飛び跳ねるばかり。怒っているのだろうか。


「…… ありがとう」


 その後も、冥獣はしばらく跳ね続けていた。

 と、二階の窓から、他の冥獣たちが続け様に落ちてきて、前に立ち塞がる。どうやら是が非でも通したくないらしい。


「リゼ、二人を助けに行く。そしたらすぐ戻って来るから。だから、ちょっとだけ待ってて」


 冥獣は答えない。


「ねえ」


 やっぱりだめだ。


「ねえ……」


 声が震える。いきなり、涙がポロポロと流れ出してきた。

 悔しかったのだ。自分では何もできないことが。悲しかったのだ。二人に会えなくなることが。

 すると、冥獣たちが丸くなって、何やらひしめき合い始めた。やがて、その輪の中から一体がリゼに近づき、肩へと登った。


「なに?」


 冥獣が大通りの奥を指し示す。他の冥獣たちが道を開ける。


「一緒に来てくれるの?」


 冥獣は何も言わない。だが、それでも言いたいことはわかる。

 リゼは涙を乱暴に拭うと、真っ直ぐ前を見据えた。


「ありがとう」


 

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