第12話
「申し訳ありません! 私が目を離した隙に、彼女の脱走を許してしまいました!」
先程から、サラがアルネブに向かって何度も頭を下げている。髪の毛が微妙に跳ねている所を見るに、彼女はついさっきまで寝ていたようだ。
「もういいっつってんだろ? 確かに監視は任せたが、お前さんだって睡眠が必要だ。誰にも見られてねえんなら問題ねえよ」
「し、しかし! 万一他の隊員に見られていたら!」
「だから! 実際、誰にも見られてねえんだろ!? 俺がいいっつってんだから、はいって答えてくれよ!」
いくらアルネブが諭そうとしても、「しかし!」とずっとこの流れだ。まさに気迫同士のぶつかり合い。終いには地面に頭を付けようとするのを、彼が必死に留める始末。
「なぜあそこまで謝罪する。あいつはそこまでの悪を犯したのか?」
アドニスが聞くと、隣でローザが小さく笑う。
「サラちゃんは真面目過ぎるからね〜。何かしら罰を与えられないと満足できない体なの」
「そんな体があるのか?」
「うん」
初めて知った。
「よくわからんが、ちょうどいい。俺がこの力を使えるようになったのは、こいつが俺の背中に乗った時だ」
アドニスの言葉で、ようやく騒ぎが収まった。
「お前さんはこの坊主に何かしたのか?」
アルネブが問いかけるが、リゼは答えない。木箱から頭を出すアドニスに寄り添ったままだ。
「もう、いきなり子どもにそんな夢のない声聞かせるから〜」
「俺の容姿に勝手に夢を持つんじゃねえ!」
アルネブの可愛らしい
「ねえ、リゼちゃん? あなたはアドニスくんの右腕のこと、何か知ってる?」
あやすような優しい声。
しかし、リゼの反応は変わらず。目を合わせようとすらしない。
「あれ〜? リゼちゃん、緊張してるのかな〜?」
「ハッ。お前さんがヤベェ奴だって、子どもにはわかるんだよ」
「もう、隊長ってば〜。今夜寝てる時、自分の体毛に十分注意してくださいね?」
「え、何それ…… ごめんなさい……」
アルネブの耳は前に垂れ下がっていった。
これでは
「おい、リゼ。答えてやれ」
「これはママの力。リゼはママを起こしただけ」
リゼはあまり抑揚のない声で呟いた。
「起こすって? その時ママは寝てたの?」
ローザが聞くが、リゼはまた押し黙る。どうやら、アドニスの声にしか反応しない気らしい。
「リゼ」
「うん」
リゼは迷いなく頷く。
しかし、それはおかしな話だ。
「俺は睡眠なんて取らない」
「ねえ、その"ママ"っていうのは、アドニスくんのことなんだよね?」
「うん。アドニス、ママ」
「だから、俺はママじゃ……」
その先の言葉が出てこなかった。否定も肯定もできない。はたして自分は親になれるのだろうか。
その後もリゼへの聞き取り調査は続いた。が、これと言った答えは得られなかった。彼女が記憶を失っていたのが主な原因だ。灯晶術という単語すら知らないらしい。
聞き取りが済むと、ローザたちは通常の任務に戻り、アドニスはまた地下牢へ戻された。その際にリゼが駄々をこね、彼女も共に牢屋に収容されることになった。
牢屋でアドニスができることは、手帳に文字を書くことのみ。今日あったことを思い出し、それを黙々と綴っていく。
『人間には、罰を受けないと生きていけない個体が存在するらしい。
人間の表情はコロコロ変わる。感情の意味を知ってるだけでは、相手の感情が読み取れない。お前に教わった笑顔だけでも、多種多様の意味が存在するようだ。今の時点で、俺にそれらを見分けるのは不可能。
アルネブが言うには、灯晶術マスターのために、まずは感情の獲得が絶対条件らしい。大きな問題だ。
いや、それだけではない。いつの間にか、大きな問題が山積みになっていた。』
そこで筆を止める。筆と言っても、粗く削った石墨の塊だが。
「何をしてる?」
「月」
リゼは壁に空いた穴を指差しながら、そう言う。確かに、ちょうど今は月明かりが差し込んできている。
「それがどうした?」
「見たい」
アドニスは傍に手帳を置くと、リゼを穴のところに持ち上げた。彼女は何も言わず、ただ月に向かって手を伸ばす。月を掴もうとでもするように。
月光に晒される彼女の肌。昨日と比べると、だいぶ色付きが良くなったようだ。これもペイルのおかげだ。
「なあ、なぜお前は俺をママと呼ぶ?」
「ママだから」
「なぜお前は俺に付いてくる? 俺といることで、お前に何か利益があるのか?」
「ママと一緒にいれて嬉しい。ずっとこのままがいい」
「他の奴じゃダメか? あいつらの方が適任だと思うが」
「ママがいい」
「…… そうか」
なぜこれ程までに自分に懐くのか。元来、村の子どもたちには怖がられていたというのに。
やはり、自分がやらなければいけないのか。親という大役を。
アドニスはリゼを下ろす。そこでふと気づいた。
「ん? お前、嬉しいのに笑わないのか?」
何の他意もない、純粋な疑問。
しかし、なぜだろう。リゼの表情がみるみるうちに曇っていく。
「普通、人間は嬉しいと笑顔になる。そう教わった」
「ごめんなさい……」
「そういえば、前も俺に謝っていたな。なぜだ? 理由を教えてくれ」
「理由……」
リゼは視線を彷徨わせ、何か喋ろうと口を動かしている。が、聞こえてくるのは、不鮮明な小さい声だけ。
「なんだ? よく聞こえない」
アドニスがリゼに顔を近づけた時のこと。彼女の瞳に涙が
「おい、サラ・フラム」
「ひゃい!?」
「こいつはなぜ泣いている?」
「あ、え、えと…… なんていうか…… その……」
サラの反応は昨夜と同じ。答えは得られそうにない。
「その子はさ、君に失望されたんじゃないかって、勘違いしてるんだよ」
不意に聞こえた男の声。一節一節の最後が間延びした、ねっとりとしたその声に、アドニスは聞き覚えがあった。
「今の声は……」
アドニスは鉄格子の隙間から、隣を覗いて見た。角度的に見えるのは鉄格子だけで、中の様子までは
すると、突然甲高い金属音を響かせ、鉄格子の間から何かが飛び出してきた。それが髪の長い男の顔の上半分であると、遅れて気づく。濃い緑のボサボサな髪だ。彼の細い目がギョロリと動き、こちらを見た。
「やあ、こんばんは」
「お前は?」
「僕はオレス・ティアーズ。オレスでもティアーズでもオレスティーでも、好きに呼んでよ」
オレスの目がさらに細められる。笑っているらしい。
おそらく、彼が昨夜の笑い声の主だ。
「あ、待って。やっぱりティアーズはだめだ。訳あって好きじゃない。オレスかオレスティーにしてーー」
「貴様! どうやって拘束具を外した!」
鋭い怒声を発して、サラがオレスの牢屋に近づく。
「しーっ。小さな子どもがいるのに、そんな大きな声を出しちゃダメじゃないか」
「質問に答えろ! でなければ、ここで貴様の首を吹き飛ばす!」
空を掴んでいたサラの手から、突如としてオレンジ色の弓矢が現れる。彼女は素早く矢を
確か、オレンジは"期待"の感情を糧にしている灯晶術。
「物騒だなぁ。外れちゃったんだよ。拘束の仕方が甘過ぎてね。彼と話したらすぐ元に戻すから、多めに見てよ。長い付き合いじゃないか」
「ふざけるな! 罪人の望みなど、誰が聞き入れるものか!」
「でも、彼が答えを欲しがってる」
言い争っていた二人の視線が、そのままこちらに注がれる。
「さっきの言葉、どう言う意味だ?」
「その子は君に好かれたくて必死なんだよ。だけど、さっきは君の期待に応えられなかった。それで、どうしようもなくて泣くしかなかった。子どもに無理をさせちゃだめだよ」
好き、期待。アドニスは理解できない単語。だが、彼の脳裏をよぎったのは、冥霧の中で快復したと嘘までつき、彼に付いていこうとしたリゼの姿。
あれも自分が無理をさせた結果なのだろうか。
「やはり、そうか。俺は何も理解できてない。人間でない俺が、人間の親になどなれるはずがなかった」
「それは君の一方的な解釈だよ。少なくとも、その子は君を唯一の親として認め、依存してる。その子の涙がその証明」
アドニスはリゼの方を顧みた。未だにその場で立ち尽くして泣いている。
「君はもうその子の親なんだよ」
「俺が親……」
「そう。そして、君が選ぼうとしてるのは、その子の気持ちを拒絶して、踏みにじる行為。親にそんなことをされる痛みが、君にわかる?」
わかる訳がない。自分はオートマタなのだから。
だが、自分が生まれた日。全ての記憶を失った自分が、仮にウルカヌに見捨てられていたら。
『そういえば、お前は俺のなんなんだ? なぜそこまで俺に構う』
『決まってんだろ。俺はお前の親父だよ。構ってやるのは、親父の務めってもんだ』
また、古い記憶。
「…… どうすれば、あいつは泣き止む?」
「まずは、その子に伝えてあげて。自分は気にしてない。笑わなくてもいいよってね」
アドニスは鉄格子から離れると、リゼの前にしゃがみ込んだ。
「リゼ、俺は何も気にしてない。笑わないのは俺も同じだ。だから、泣くのをやめてくれ」
「リゼ、笑わなくていい?」
「ああ」
表情こそあまり変化がないものの、リゼの瞳からそれ以上涙が流れることはなくなった。
「いいね。君には素質があるよ」
「本当か?」
「うん。後は…… そう、プレゼントだ。子どもは親に何かもらえると、凄く喜ぶ」
「だが、何をあげればいい? 指なら取り外せるが」
「そうだねぇ。確かに、ここには何もないからーー ん? おや、なんだろう、これは」
アドニスはまた隣の牢屋を覗いて見る。
オレスは何やら頭をぐりぐりと動かしていた。と、次の瞬間、彼の顔が顎まで一気に飛び出した。近くで上がる、サラの小さな悲鳴。
よく見ると、彼の痩せこけた色白の頬が、もごもごと
「これをその子に」
そう言うと、オレスは口を大きく開けた。中には、色鮮やかな何かが詰まっている。その何かが、ゆっくりと彼の口から伸びてきた。
花だ。細い紫の花弁が大量に生えた、一輪の花。
「なっ、貴様いつの間にそんな物を! まさか、灯晶術!?」
「違うよ。これはただの手品さ。文字通り、タネも仕掛けもある」
「さあ」と、オレスは口を突き出して、花をこちらに差し出す。
「い、いけません! 罪人からそんな得体の知れない物を受け取っては! 私が没収します!」
そうは言うが、サラは遠目にそれを見るだけで、一切近づこうとしない。妙に顔が引きつっている。
「もらおう」
アドニスは手を伸ばし、それを摘んでみた。口の中に入っていたというのに、少しのヨダレもついていない。
「受け取った…… 今、その花を受け取ったのかい?」
オレスは目を丸くして、こちらを見る。
「見ればわかるだろ」
「あぁ、あぁ…… ! まさか本当に! 僕の、僕のはぬぁっ、はにゃっ、花をっ!」
どうしたというのか。
オレスの目と口は大きく開かれ、取り乱したように荒い呼吸を繰り返している。だが、それはすぐに治った。
「ありがとう……」
オレスはそのまま倒れていった。その顔に、満足げな笑みを浮かべて。
「なんだったんだ、こいつは」
「オレス・ティアーズ。一週間前、第三層にて、騎士団の一人を殺害した凶悪犯ーー」
説明の途中で、サラと目が合う。彼女の顔はたちまち真っ赤に染まり、空気でも抜けたようにその場にへたり込んだ。
「でしゅ……」
「やはり、人間はよくわからん」
「だが」と、アドニスは鉄格子から離れ、リゼを真っ直ぐ見つめる。
「助かった」
考えてみると、ここに来てから人間に助けられてばかりだ。彼らは村の人間とは違うのだろうか。友達になれるのだろうか。
いや、今はそれよりも、自分がすべきことをしなければ。
試しに左胸を叩いてみる。やはり、音は変わらない。だが、いつかは。
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