第11話
「おら! 右側がガラ空きだぞ!」
怒号の後、迫ってくるアルネブの左フック。
「くっ」
アドニスは咄嗟に右腕を合わせる。が、それは何の意味もなさない。
強烈な衝撃が加わったかと思うと、次の瞬間、彼の体は鉄格子に叩きつけられていた。頭に反響する、鈍い鉄の音。
「また、もろに攻撃を受けてしまった」
地面に手をつけ、立ち上がるアドニス。
四方の鉄格子には、何箇所も凹みができている。戦闘訓練が始まって、まだ十分も経っていない。
「あの尻尾をバネのように使った独特な身のこなし…… それに、威力そのものが俺より上……」
おかげでさっきから防戦一方。それどころか、殴られっぱなしに近い。
「だが、次こそは……」
アドニスは拳を構える。
と、そこへアルネブが尻尾の伸縮を用いて、こちらへ真っ直ぐ飛んできた。
スピードはあるものの、単調な動き。慢心しているのだろうか。だが、これなら避けるのは容易い。その後に、渾身の一撃を与えれば。
闘牛の如き突進が当たる直前。彼は真横に飛んだ。
「ハッ、甘い甘い」
「なに」
アルネブがこちらを通過する直前。彼はその場で急停止し、一気にこちらに飛びかかってきたのだ。彼の頭が、自分と同じ高さに並ぶ。
「まさか、最初からこうなると踏んで……」
まずい。防御が間に合わない。
「やめだ」
不意にアルネブ攻撃を中断した。
「なに?」
「もうやめだ。これ以上やっても、何の意味もねぇ」
「なぜわかる? まだ十分しか経ってない」
「違うな。十分もありゃ、相手のことは大体わかる」
言いながら、アルネブはぴょんぴょんと近寄って来た。
「お前さんは相当場数を踏んでるらしい。戦法は多彩だし、動きは理にかなっている。だが、敵は冥獣ばかりで、人間と戦うのは初めてと見た。あんな単純な動きじゃ、何がしたいのか丸わかりだし、逆に俺の思考は何一つ読み取れちゃいねぇ」
全て図星である。
人間とまともに戦ったのは、これが初めてだ。冥獣の時とは勝手が違う。
「あと、お前さん運悪すぎ。壊れた鉄格子の破片は、全部お前さんに向かって飛んでいくし、舞い上がった砂埃はお前さんの目に吸収されていくようだったし。もう意味わからん」
「そういう体質なんだ」
アドニスはその場に座り込んだ。その時、頭上から瓦礫が降ってきて、彼の頭に直撃した。
やはり、手の甲は仄かに光っていた。
「今のお前さんは雑魚だ。弱過ぎて話にならねえ。だが、まだ伸び代はある」
好き勝手に言った後、アルネブは一人考え込む。
「そうさなぁ…… 第一目標は、俺に一発入れるってところか」
「お前に一発だと?」
正直、そんなビジョンは全く見えてこない。
「なあお前さん、強くなるために必要な二つのことは何だと思う?」
「それがわかっていたら、お前を頼らない」
「可愛くねえ答えだな」とアルネブは嘆息した。
「まず一つ目は分析だ。一戦ごとに、自らの弱点と相手の強みを洗い出し、それらを徹底的に調べ上げる。模擬戦において勝敗なんて二の次だ。重要なのは、そこから何を得たか」
案外まともなことを言うものだ。
「もう一つは?」
「よく聞いてくれたな…… ズバリ! 熱い心だ!」
途端にアルネブの目の色が変わる。
「相手をぶちのめす! 特にムカつく奴を叩きのめす! それで勝利を掴み取る! これを常に心に入れて戦え!」
「さっき勝利は二の次だとーー」
「言ったが、勝った方がいいに決まってんだろ! 心の有り様は、時に戦況を覆す原動力にもなる! 心は見えない武器だ! これを使いこなせない奴に、勝利はねえ! 後俺のことは師匠と呼べ!」
「なぜだ?」
「そういうのに憧れてるからだろうがよ!」
唾を飛ばす勢いで熱弁するアルネブ。
彼の言葉が真実かはわからない。だが、仮にそうなら、自分にはとても遠い道のりだ。
鉄格子の外に出ると、ローザがタオルを渡してくれた。
「隊長に強さの秘訣を聞くのは間違いだったかもよ? あの人、独特な感覚の持ち主だから」
「お前はわかるのか? その秘訣が」
「え? えっと、う〜ん……」
ローザは急に口ごもってしまう。なぜかとても困っている様子。
「美貌と笑顔、なんちゃって」
「なるほど、手帳に書いておく」
「うぇ!? 違う違う違う! ごめん、今の冗談! あ、ちょっと、何それ! 私の格言みたいな書き方するのやめてよ〜!」
時すでに遅し。アドニスの手帳には、先程のローザの言葉が丸々書き込まれていた。
「お前さん、やるな。あのローザ副隊長を一発KOとは」
遅れてやってきたアルネブがしみじみと言う。
「あいつも強いのか?」
「ああ。だが、お前さんの方が強い」
「ん?」
なぜそう言えるのだろう。
聞こうとしたが、アルネブは取り合ってくれそうにないし、ローザは耳を赤らめて机に突っ伏しているし。結局、答えはわからず終いだ。
「本題に戻るぞ。お前さんの右腕。やはり、冥獣の結晶とは違う。灯晶術の一種じゃねえかと思う」
アルネブはそう結論づけた。
「そうなると、その炎みてえな不安定な形。それは良くねえな」
「なぜだ?」
この問いに答えてくれたのは、ローザだ。
「エルピスではね、そういう状態の灯晶術を不定形型って呼んでるの。国内の灯晶の保有量は限られてるから、三種類の適性試験によって適性者を決めるんだけど、不定形型になり得る人は即失格。その人たちは灯晶の力を十分に発揮できないからね」
「不定形型……」
初めて聞く単語だ。
「そもそもお前さん、灯晶術が何か知ってるよな?」
「昼の神ヘーメラーが自らの身を割いて、人々に与えたとされる灯晶。それを体内に埋め込むことによって、人智を超えた力を得る術。親父にそう教えてもらった」
アドニスがいた村にも、冥霧の侵攻を抑えるために大きな灯晶塊が設置されていた。が、灯晶術で使用するのは、それよりもっと小さな、石ころ程度の灯晶だ。
村には他に灯晶術を使える人間はいなかった。それに関する書物はあっただろうが、全ては
「そうか。なら、灯晶術の力の源は"感情"と"思考"にあることも知ってるよな」
「知らん。初耳だ」
「なんで…… ?」
アルネブは信じられないという顔をするが、全てはウルカヌの責任だ。彼はいつも大雑把な説明しかしてくれなかった。
「じゃあまずは同調の話から始めま〜す。はい、拍手」
机に座るローザに向かって、地べたに座る他二名が無心で拍手する。
「同調というのは、体内に埋め込んだ灯晶が、体と一体化することを指します。因みに、同調したら死ぬまで灯晶は取り出せません。同調に成功した人たちは、無事灯晶術を扱えるようになります。おめでと〜」
ローザ一人拍手するので、アドニスもそれに
「さて、この灯晶ですが、同調直後に結晶の色が変わります。それがその人の主感情ーー その人を最もよく表している感情です。その人はその色に応じた感情を消費して術を行使します。それ以外の感情は術の妨げになります。基本的に感情の色は八色」
そう言うと、ローザは手を前に伸ばした。彼女の手のひらに、紫色の結晶が埋め込まれているのが見える。
「そして、思考の力。簡単に言うと、頭に何らかの形を思い浮かべることで、それを顕現させることができるのです」
その瞬間、にわかにローザの灯晶に鈍い光が灯った。そして、灯晶の部分を起点として、左右に同じ色の結晶が伸びていく。
やがて、それは細い剣の形を成した。
蕾を思わせる四又に分かれた
「思考は型、感情はそこに流し込む材料と言った所ですね。あ、因みに、紫は"嫌悪"を糧にして力を増しています」
笑顔で言うことなのか。腹の底では、一体どんな思いが湧き出しているのだろう。
「しかし、これは何でも顕現できる程万能ではありません。強大な灯晶術を行使するには、それ相当の強力な感情が必要。逆に感情が強すぎて、思考の余地がなくなると、形を維持できなくなってしまいます。また、感情を消費し過ぎると、精神疲労や一時的な無感情状態など、弊害が出てしまうので気を付けないといけません」
今度はローザの手にしていた剣が、瞬く間に霧散してしまう。
「どう? 私、先生っぽかった? これでも、小さい頃は先生になりたかったんだよね〜。今はこんな体たらくだけど」
「お前さん、仮にも隊長の前だぞ…… ?」
そうは言うが、アルネブは別に怒る気はないらしい。
「俺にはわからん。俺の村に先生なるものは存在しなかった」
「じゃあ、今のが先生ってことで。それで、アドニスくんは生徒二号。オッケー?」
「好きにしろ」
「うん、アドニスくんはいいね。純粋ないい子。ずっとそのままでいてね」
ローザはアドニスの手を取り、ぶんぶんと上下に振る。彼女の手が離れた後も、彼はしばらく自分の手を眺めていた。
これも友好関係の一つなのか。
「というわけで、灯晶術には感情が密接に関係している。そこで疑問点が二つ」
なんだろう。
「まず灯晶術に黒色は存在しねえ。そして、そもそも感情のねえ奴には、灯晶術は扱えねえ。感情こそが、灯晶術の材料になるからな」
「なら、やはり冥獣に近いものなのか?」
「まあ、確かに冥獣の核ってのは、灯晶に似た機能があるんじゃねえかって説もある。死に瀕した動物が、種の生存本能を呼び起こして、それが核と共鳴した云々。まあ、裏付けも何もされてねえ、眉唾な話だ」
これも初めて聞く話だ。プロメテウス隊の名は伊達ではないらしい。
「それに、何よりお前さんのその力にはムラがある。岩を割った時も、過剰な力が術に注がれてるように見えた。まるで、感情を上手くコントロールできねえ初心者みてえにな」
アルネブは続ける。
「灯晶術ってのは、余計な感情が介入すると威力が弱まる。要は不純物が入った状態だ。お前さんのは、それによく似てんだよ」
疑いのこもったアルネブの目が、こちらを見る。
「なあお前さん。本当に感情がねえのか? 魔王に捕まった嬢ちゃんを助けたいっつうのも、感情がなきゃ生まれてこねえ発想だと思うんだが」
「いや、俺に感情はない。それに、"助けたい"ではなく、"助ける"だ。あいつは色々と俺に教えてくれた。俺にはあいつが必要だ」
「なら、一体どうやって灯晶術を使ってる?」
「わからん。腕が黒くなったのは、ここ最近のことだから」
「なに? そのきっかけとなった出来事は?」
「それはーー」
答えようとしたその時。
鉄扉が激しい音を発した。皆の目が一斉にそちらに向く。今度は続け様に三回。扉を思い切り叩くような音だ。
「確か、今日一日この部屋の使用申請は出されていなかったよな?」
「はい。というか、普通あんな乱暴に叩く人いませんよ」
二人が話している間も、音は断続的に聞こえてくる。二人は顔を見合わせた。
「…… 俺が出る」
「わかりました。アドニスくん、こっち」
アドニスはローザの指示により、木箱の中へと押し込められた。中は何個かガラクタが入っている。蓋を閉められ、外の様子は見えない。
「誰だ?」
アルネブが聞くが返事はない。
少しして、扉の開く音がした。
「な、お前さん…… あ、おい!」
アルネブの驚嘆の後、ペタペタという小さな足音が、小走りでこちらに真っ直ぐ接近してくる。それはちょうど目の前で止まった。
まさか、バレているのか。
「こ、こちらです……」
恐縮したようなローザの声。
彼女がそんなに呆気なく口を割るなんて。相手はそれほど位の高い人間なのか。
アドニスの頭には、ネレウスの恐ろしい目が浮かんだ。
「このままでは、また首が……」
アドニスは意を決して、箱から勢いよく飛び出す。はずだった。
騒がしい音を立てて、蓋を突き破られる。
「え、アドニスくん!? 何してるの!?」
ローザが困惑したようにこちらを見る。
「なぜこうなる」
アドニスはまだ箱の中にいた。
飛び出す際に、箱の中の何かが衣服に引っかかって、箱ごと前に倒れてしまったのだ。頭だけ飛び出しているので、側から見ると亀か何かのよう。
「あ、ママ」
頭を上げる。
前方にいたのは、ネレウスなどではない。リゼだ。扉の近くには、息を切らして平謝りするサラの姿も。
「なんだ、お前だったのか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます