第31話 テミス事件

第27話 テミス事件


 宮城きゅうじょう

 執務室で帝室武官を前に摂政は告げた。

 「元よりうやむやにする考えはないよ」

 穏やかな語り口に怒りが滲んでいた。

「王子のなした事は卑劣だ。国民を犠牲にしておいて庇う理由もない」

 『烈帝』と評された先帝の弟君はやはり弟君であらせられる。

 公明正大でもお怒りとなれば苛烈なご判断をなされる御方だ。

 恐る恐るといった体で武官の大佐は伺う。

「帝室に連なる御方から罪人をお出しになるお考えであらせられますか?」

「関係ない。彼のした事は立派な犯罪だ」

細い眉がきつく寄せられる。

「帝室に籍を置く者である以上、国民と同じように裁かれるべきだ。何よりも、」

摂政の語気が強まる。

「立場ゆえに罪を免れられるという考えは陛下の今後の御為にならない!」

「はっ」

普段の御様子からは想像できぬ語気の強さに気圧され武官は姿勢を正す。

「君が望むのであれば私の考えを伝えておいてくれ」

「かしこまりました」

武官は深々とお辞儀した。








 総司令部総司令執務室。

 財務省から提出された書類に目を通していた松河原まつがわら総司令は書記官の来訪に気づいて顔をしかめた。

 「また増やす気か」

「いえ。ご報告に上がりました」

 机際に寄った佐渡さわたりは上体をかがめる。意図を察した総司令は身を乗り出した。自然、耳元で囁く形になる。

 「———摂政殿下は王子が裁かれる事をお望みだと武官どのがお知らせくださいました」

総司令の丸い眼が見張られ、

「…そうか」

冷徹な光を放って細められた。

「殿下も思い切った事をなされる」

 精神喪失で済まされる事の大きさではないということか。帝室の尊厳よりも王子の罪を重く見たのだろう。

 「これで軍の差し金との噂は立てられにくくなりましょう」

 国民ならび国の絶対象徴たる皇帝の代理、摂政のご判断は陛下の意向に等しい。これに反論すれば帝室不敬と訴えられても文句は言えなかった。


 「あとは司法が怖じ気づいてくれなければいいがな」

「殿下のご意向とあらばやらざるを得ません。我が国はそういう国でございます」

 皇帝に政治権限は無いが、国の絶対象徴に逆らうことは国民全てを敵を回すに等しい。

「となれば事は落着したようなものか。―――」

総司令は肘をついた手に顎を乗せて思考を巡らせる。

「閣下?」

「でもないな。殿下のお考えをお聞きになった王子がご自害されるかもしれない」

「武官どのにお知らせいたしますか?」

王子邸周りは宮城警備隊が警備監視にあたっていたが、内部は警備されていない。

「殿下のご気性からしてお許しになる筈がないが、一応伝えておいてくれ」

 毒でも飲まれてあの世に逃げられては事件のけじめが付かない。

「御意、」





 帝国を震撼させた一連の事件から一ヶ月。

 『テミス事件』

 帝国議会議事堂爆破事件に始まった一連の爆破事件はそう呼称されていた。

 捜査が憲兵部と警察の合同捜査から警察への一元化が発表された直後、『朝稀伯匡秀あさのまれはくくにひで王子の帝室追放』———帝室の異例の発表がなされた。

 これにより朝稀伯王子は自邸謹慎から警察管轄下に御身柄を移された。

 東総司令部爆発物事件、長門西総司令暗殺未遂事件、郁島いくしま造船安芸造船所自爆事件、西方軍基地地主一家爆殺事件の捜査の結果、全事件を主導した皇帝推戴過激派『一葉会』のメンバーは身分を問わず全員逮捕された。爆薬を提供した製造会社社長、輸送を請け負った運送業者も逮捕された。

 狂騒の夏は終わり、秋が近づいている。

 

 


 「失礼致します、閣下」「ん、」

 執務室に現れた佐渡に片手を挙げて応じた松河原はもう片手の議事決定書を扇のように使って書記官を差し招く。

 近寄った彼に総司令は呆れ交じりの半笑いで決定書を見せた。

 「自分らの事だけは決めるのが早いな、連中共」

 帝国議会議事堂修復予算案だ。現状復帰を決定した。

 建設当時の国の技術と芸術の粋を集めて造られた建物は1階内部が全て吹き飛んだ。暫定調査で建物構造に問題がないと分かり、それを受けて決めたという。

 爆破の衝撃で歪まなかったのはさすが技術の粋を集めただけあるということか。が、

「拙速ですな」

ざっと目を通して佐渡は苦言を呈する。


 本格的な構造調査は先週始まったばかりだ。これから交換日誌の如く財務省と議会で修正案の差し戻しと協議が繰り返されるのが目に見えている。本報告を受けてから決めれば修正案を何度も出さずに済むだろうに。 財務官僚の方々は苦労なされるだろう。


 「全くだ。早すぎるという意見もあったというが押し切った。修正案を何回見せられる事になるやら」

「本報告まで御覧にならないという手もございますが?」

「貴様のところで差し戻すか。それもありだな」

そのまま持って行ってくれ、と総司令は佐渡の手にある決定書を指し示す。

 「あとそうだ、」

思い着いた様子で彼は提案する。

「論功行賞と言ってはなんだが、この際”本当の”参謀長になってみるのはどうだ?」

「閣下、私は仮の部長でございます。参謀本部の長に相応しき功績を持ちません」

常穏やかな顔が困惑に曇る。それを愉しむように総司令は続ける。

富崎とみさきの繋ぎで入ってからもう4年経つ、そろそろいいだろう」


 佐渡の部長兼任は前任の富崎重輝とみさきしげてる中将の穴を急遽埋める形のものだった。適任者が決まるまでの臨時措置だったのだが、見合う人間がいないために常態化している。


 「彼の御方ほどの才覚を私は持ち合わせておりません」

「書記官はいい代役が見つかっただろう?部長としての才覚云々はもう聞かないぞ。4年もやって問題無しでそれが通用すると思うな」

「閣下…」

総司令は声音を和らげる。

「あれが消えた三部をまとめ直した手腕だけでも十分だ」

自分のなした事に明晰な佐渡もまともな反論ができない。

 「しかし、少佐に書記官を担わせるのは現場との齟齬を生むかと」

「身内にも自分にも恐ろしく厳しいな」

「事実を申し上げているだけでございます」

 渋い表情で佐渡は告げる。

総司令の傍に直接お仕え出来ず、間に入るのが至極面倒な部下など御免である。

「ま、今すぐの話じゃあない。帝室への配慮もある。事が落ち着き次第適当な理由を付けて昇進させるさ」

「………」

不快に眉を寄せる右腕と対照的に松河原はご機嫌だ。

「く、れ、ぐ、れ、も、変な気を起こすなよ。首輪付けてでも引きずり上げる」

  覚悟しておけと笑んだ総司令の背後の窓を、黒い影が上から下に横切っていく。

 その形は―——魚?

 直後。

どすんと重い音が聞こえた。

「ん?」

音にお気づきになった総司令が怪訝な顔をされる。

「閣下?」

「妙な音を聞いた気がした。聞こえなかったか?」

「聞こえてございます。外でありましょうか」

手で総司令の背後の窓を指し示す。

「お後ろの窓の外を何かが落ちていってございました」

「あ?」

くるんと後ろを向いた総司令は椅子から立ち上がって窓から顔を出す。


「おい、」

促されて佐渡は窓に寄り、総司令の横から下を覗く。

庁舎壁から5メートルくらい離れた地面で大型の魚が暴れていた。

「魚だ」

「魚ですな」

尾を地面にばしばし叩きつけていた魚はあっという間に動きを鈍らせる。

「こいつが落ちてきたのか?」

総司令は地面、ついで空を見上げて首を傾げた。

 初秋の空は抜けるように青く、平穏に雲を浮かべるばかり。魚が降るような空模様ではない。

彼は踵を返すと出入り口に歩を進める。

「あれを近くで見に行くぞ」

「御意、」




 件の魚は1メートルに届こうという大物だった。

「ボラでしょうか?」

「だな」

眠そうな目をした魚は苦し気にえらを動かしている。

背の鱗が引っかかれたように裂けていた。

佐渡はひざまずき、手袋をした手で尾を掴んで持ち上げる。僅かな抵抗があっただけでボラはひっくり返された。


反対側にも同じような傷がある。


釣り針にひっかけられた傷にも見えるが、傷の数が多い。

「捕られて間もないようですが、かなり弱ってございます」

腹を押せば変にぶよぶよと柔らかい。地面に叩きつけられた時に内臓が破裂したのかもしれなかった。

「降ってきたのはこれと見て間違いないようだな」

魚の横たわった地面だけが濡れているのも見て総司令は断ずる。

「しかしかなりの大物だぞ?」

「風に巻き上げられた、というわけではなさそうでございます」

ううん、と総司令は唸って空を見上げる。

 「―――さわたりぃ、」

「は、」

 見上げれば閣下のお顔は好奇心に満ちた笑みを湛えておられた。

「面白いな、調べよ」


そして事件はまた始まる。




〈完〉

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帝都書記官第ニ篇 テミス 参河旺佐 @iti-ohsa

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