第30話 求めるもの

 机上に差し出された密告書入りの封筒。

「陽動だったと帝室武官補は申してございました」

「あの絵は?」

「落書きだそうでございます」

「…我々は見事にひっかかったわけだな。くそつまらん陽動に」

 苦虫を噛み潰したような顔で松河原まつがわら総司令は封筒を見下ろした。

「申し訳ございません」

 佐渡さわたりは深々と頭を下げる。

「私が判断を誤った結果でございます。参謀に相応しからぬ助言で閣下を惑わしました。第三部部長を外れるようお命じ下さい」

「貴様のせいじゃない。議事堂での犠牲者に貴様が加わらなかっただけだ」

 頬杖をついた総司令は佐渡を不機嫌そうに睨んだ。

「それとも俺のせいだと俺の口から言わせる気か?」

「いえ。全て私の責任でございます。後に続いた事件が後手に回ったのも私の考えが至らぬせい。お気に召すままに処していただいて構いません」

「誰も悪くない」

 常より低い声で総司令は言った。

「後手に回っても立て直せれば問題無い。挽回したのだから成功と言っていい」


 己に言い聞かせる響きを含んでいるのは閣下ご自身が納得していないせいだろう。


 佐渡は身を起こした。

「では閣下は何がご不満であられるのですか?」

 松河原は問い返さなかった。

 己の不機嫌の原因に気付かされたと同時に、最初からそれを悟らせる為に佐渡こいつが芝居を打っていたと気づいたためだ。

 胸の空気全てを吐き出すように溜息をついて松河原は席を立った。


 窓からは帝都中心部が望める。埃っぽい色のビルディングの中で宮城きゅうじょうの緑が鮮やかだ。

 窓に寄った彼は口を開く。

「裏切られた気がしたのかもしれない」

 猛禽を思わせる丸く鋭い瞳が陰る。

「守る筈の者に嵌められかけた。勅命による国政補佐だろう?」

 皇帝は帝国国民の絶対象徴であり皇帝一族も象徴の一部と見なされている。

 「軍の役割じゃないのは分かっている。求められるからやっているんだ。だのになぜだ。何が気に入らない」

 骨が軋むほどに拳が固められた。

「いっその事奴らに投げてやれば良かったか。帝室でも誰でも政治をやりたい人間がやればいい。奴らの責任でな!」


 佐渡の目に冷めた光が宿った。


 軍の国政参与はあくまで間接的なもので完全なものではない。実際に行政を担う、国政の胴体手足は各省庁の役人達だ。軍は議会と内閣の補佐、という名の代役である。

 頭がすげ変わったところで首から下が無事なら政治の実施に問題は無い。が、頭は政治の顔であり指示役である。


  「責任無き課題を語る時、往々にして人の口は軽くなります」

 カツン。

 彼は松河原を追う形で机の脇に歩を進めた。

「王子殿下も実情を理解しておられないのでございましょう。歴史上、勢いだけの能無しが治めた国は乱れ、国の衰退に繋がってございます。一方、」

 カツン。

 杖が床を打つ音が鋭利に響いた。

「軍とは国防、即ち我が国及び国民を守護する組織でございます。帝国守護の為に政治を行う必要があるならば、国政参与も国防の内。軍が担うのも道理でございましょう。今日の我が国において軍以外の何処に国防が務まりましょうか」

 

 背後に立った佐渡に目を向けた松河原は嘆息した。 


 怒りが溶けて苦笑に変わる。


「またお前に乗せられるな」

「お気に触りましたか?」

「ああ。気に触るほど正論だ。腹が立って仕方ない」

「ご存分に罰していただいて構いません」

「見え透いた事を言う」

 本当なら昇進させてやりたいくらいだ、とのぼやきに書記官は迷惑げに顔をしかめた。

「閣下、それは…」

「ふん、まぁいいさ。事が収まるまでお預けだ」

にやりと意地悪い笑みを投げて総司令は表情を改める。

「帝室———主に摂政殿下が朝稀あさのまれ伯をどう扱われるかだ。帝室御連枝の方々が罪に問われた前例が無い」

 今まで皇帝一族の人間が公に事件を起こした記録はない。事件を起こしたとしても皇帝または摂政が”無かった事”にしたければ。絶対象徴の意向次第で不祥事をもみ消す事は難しくない。


 帝国の象徴に連なる人間が犯罪者であってはならないのである。


 「今回は片付けようの無い規模でございます」

 68名が死亡。171名が重軽傷。事件の詳細は報道を通じて国民に知れている。

「人柱を立てて消せない事は無いがな」

「できない事はありませんな」

 大多数の報道の通り『帝室武官補に王子殿下が騙された』事にすれば咎は帝室武官補の受けるところとなる。朝稀伯は被害者となり処罰を免れる。ある意味最も穏当な始末法だが解決にはならない。

 「あるいは王子殿下に患っていただくか」

 精神衰弱による事件とし、伯には『長期療養の為』自邸にて生活していただく。

 永久禁錮に等しい。妥当といえば妥当だ。

 「閣下はどちらをお望みでございますか?」

「また見え透いた事を言う。———どちらも望んでないさ」

 諦観含みの笑みが上る。

「望める立場じゃない」

 窓に背を向けた総司令は椅子に腰を降ろす。


「軍が関われるのはここまでだ。以降は警察と摂政殿下の御裁断に任せよう。王子の処分に軍が関わったと見られては流石に国民の反感を買う」

 王子とて象徴の一部だ。

「ではそのように長門ながと西総司令にお伝え致します」

「頼んだ」

「は、」

 敬礼し踵を返した佐渡の背に総司令は声をかける。

「それとだが、」

 振り返った書記官に総司令は提案する。

「貴様が気になるのなら帝室武官に意見を訊いてみるのも手だぞ」

「…かしこまりました」

 含みを持たせた視線の意味を解した書記官兼第三部部長は承知の微笑をもって答えた。


 要は武官を通して摂政殿下に働きかけろという事だ。王子殿下に刑罰を受けていただくか、帝室の威光を損なわない処分を受けていただくか、どちらでも構わない。

 しかし、王子の罪全てを忠実な武官補に負わせるのは閣下の望まれるところではない。


 朝稀伯殿下には以後、お働きいただいては困るのだ。

 戻ったらまずは帝室武官に電話を差し上げよう。


 佐渡の口辺が意地悪い笑みに彩られる。


 王子もいい大人であらせられる。ご自身の悪戯の仕置はきちんと受けていただかねばならない。

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