27:トラブル・トラベル

 閉じた窓をほんの少し上げて、外の景色を窺ってみる。緑色の田んぼが一面に広がる長閑な風景が、猛スピードで流れていく。

 今走っているのは、どのあたりなんだろうか。見慣れぬ景色に興味はあったけれど、太陽の光が眩しかったので渋々窓を閉めた。

 座席に深く座り直したおれは、隣に座る女に視線を移した。髪の長い美少女は、耳にイヤホンを挿したまま目を閉じている。

 さっきまでぎゃあぎゃあとうるさかったのだが、眠っているのだろうか。年中寝不足のおれも当然眠たかったけれど、なんだか興奮して寝つけなかった。


「……じろじろ見ないで」


 目を閉じたまま、松永が不愉快そうに言う。おれは慌てて視線を逸らした。てか、なんで目瞑ってるのに見てるのがわかるんだよ……。


 今日から、二泊三日の修学旅行が始まる。

 夜宵市から二時間半かけて県内にある新幹線の駅に出て、そこからこだまに乗り、途中のぞみに乗り換える。夜宵市はそこそこ栄えているけれど、他府県に移動しようと思ったら結構辺鄙な場所だ。

 おれは生まれてこのかた夜宵市を出たことがないので、新幹線に乗るのも初めてだ。ちなみに中学の修学旅行は、直前にインフルエンザにかかったために欠席した。吸血鬼の中でも社会性に乏しい方であるおれが、クラスメイトと丸三日間を共に過ごすのはなかなかの苦行である。

 ……それでも、陽毬と同じ班なのは正直嬉しい。

 おれは視線を動かして、通路を挟んで斜め前に座っているポニーテールの後ろ姿を盗み見た。隣に座っている柳川やながわさんと話し込んでおり、楽しげに肩を揺らして笑っている。


「山田くん。お菓子食う?」


 前に座っていた葛城くんが、背もたれ越しに振り返る。おれに向かってチョコレート菓子の箱を差し出してきたので、たじろぎつつも「ありがとう」と一本引き抜く。

 松永と同じ班なのは不安だが、親切なメンバーに恵まれてよかった。おれはポリポリと菓子を頬張りながら、修学旅行の班決めをしたときのことを思い出していた。




 六人程度の班を組んでください、と担任教師が言った瞬間、教室中がざわめいた。

 修学旅行の行程の半分ほどは班行動であり、誰と同じ班になるかは重要な問題である。クラス中に無言のまま目配せが飛び交い、水面下で駆け引きが行われていた。

 年季の入ったベテランぼっちであるおれは、こういうときにどうするべきかよくわかっていた。どう考えても最終的に余るので、お情けの数合わせでどこかの班に入れてもらうのだ。ある程度グループが固まってくるまで、行動を起こす必要はない。みんなが立ち上がりそれぞれ交渉を始める中、おれはじっと座って来たる時を待っていた。

 見ると、隣の松永も座ったまま動いていない。こいつもぼっちとしての身の振り方をわかっているのだろう。クラスで浮いているのが自分だけではないという事実に、おれはこっそり安堵していた。松永のことは苦手だが、なんだか連帯感にも近いような気持ちを抱く。

 ほどなくして、微動だにしないぼっちコンビの元に、ニコニコ笑顔を浮かべた天使が訪れた。


「ねえ、薙くんと松永さん。まだ決まってなかったら、一緒の班になりませんか?」

「えっ」


 陽毬からの助け舟に、松永は複雑そうに表情を歪める。声をかけてくれたのはありがたいが、おれと一緒は嫌なのだろう。おれにしてみれば、陽毬に誘ってもらえるなんて願ったり叶ったりだ。松永に先んじて、「おれはどこでもいいよ」と答えた。

 陽毬の班は、陽毬と同じく特定のグループには属さない自由人の柳川さんと、「男版一番ヶ瀬陽毬」である葛城くんと、吹奏楽部でトランペットを吹いている中西なかにしくんだった。すべからく善良そうな人間で、ぼっちコンビを引き受けるに相応しいメンバーだ。

 松永はしばらく苦悩していたようだったが、結局おれたちに断る選択肢などありはしないのだ。ギロリとおれを睨みつけて、「私に迷惑かけないでよね」と言い放った。




 遠くクラスメイトのざわめきが聞こえて、ゆるゆると脳が覚醒していく。目を閉じてぼんやりしているうちに、いつのまにか眠ってしまっていたらしい。

 頰に触れる髪の感触がして、隣に座っている人に寄りかかっていることに気付く。そこでおれは、今隣にいるのが誰なのかをようやく思い出した。

 ――やばい、松永に殺される!


「うわっ、ご、ごめん……!」

「あ、薙くん起きましたか?」


 慌てて跳ね起きると、隣に座っていた女の子がエクボを見せて笑う。おれがさっきまでもたれかかっていたのは、松永ではなく陽毬だった。


「……陽毬。な、なんで」


 おれが寝るまでは、間違いなく松永が座っていたはずだ。頭の上にクエスチョンマークを飛ばしているおれに、陽毬は穏やかに微笑みかける。


「薙くんの頭が眠そうにカクカクしてたので、松永さんに言って席を代わってもらったんです」


 見ると、松永はさっきまで陽毬が座っていた場所にいた。隣の柳川さんと会話しているようだが、「友人との談笑」が致命的に苦手なのか、やや緊張した面持ちをしている。


「薙くん、眠いですよね? もっと寝ててもいいですよ」


 陽毬はおれの腕を引いた。再び、こてんと彼女の肩にもたれかかることになる。ものすごく、いい匂いがする。


「修学旅行、楽しみですね。薙くんと同じ班で嬉しいです」


 すぐそばから聞こえる、陽毬の声がウキウキと弾んでいる。「おれもだよ」と小声で答えると、陽毬が優しく髪を撫でてくれた。彼女のおかげで、おれは初めて学校行事が楽しみだと感じている。

 正直眠れる気はしなかったが、どうにも離れがたく、おれは目を閉じて寝たふりをした。




 そんな浮かれた気分も束の間、新幹線からホームに降り立った瞬間、あまりの日差しの強さと人の多さに帰りたくなった。

 夜宵市は比較的日差しが弱いと聞いてはいたが、ここまで違うとは思わなかった。直射日光に晒された瞬間、ジュッと溶けてしまいそうなほど凶悪な太陽だ。具合が悪いことに、空には雲のひとつもない。

 駅前には複雑なバスターミナルがあり、バスを待つ人間が長蛇の列を作っていた。ここから班ごとに分かれて、市バスに乗ってそれぞれ決めたコースを回るのだが、おれの心は早くも折れてしまった。

 なんとかバスには乗ったものの、なにせ移動するだけでもどっと疲れる。陽毬の血を飲む前のおれだったら、とっくの昔に倒れていただろう。

 疲弊しきったおれを(松永を除く)班のメンバーは気遣ってくれたが、迷惑をかけるのも申し訳なく、痩せ我慢をしていた。


 しかし、やはり途中で限界が訪れた。観光名所である寺院に到着した途端、日陰にベンチを見つけたおれは、「ちょっと休ませて」と訴える。

 ふらふらと座り込むと、陽毬が心配そうに顔を覗き込んできた。


「薙くん、大丈夫ですか? よかったらわたしの血を……」

「……こんなとこで、飲めないよ」

「……ですよね……。人工血液も、どこにも売ってないし……」


 夜宵市の外に出てしまうと、人工血液を探すのも一苦労だ。養護教諭である谷口先生なら持ち歩いているだろうが、あいにく別行動である。連絡をすべきか悩んだが、少し休めば回復するだろう。


「ごめん。先に行ってて」

「わたしも残ります」


 陽毬が率先して手を挙げたが、おれは首を横に振った。せっかくの修学旅行なのに、おれの都合で彼女の楽しみを奪うわけにはいかない。


「一人で大丈夫だよ」

「でも……」

「じゃあ、私が残るわ」


 そう言っておれの隣に腰を下ろしたのは、驚くべきことに松永だった。

 おれが目を丸くしていると、彼女は怪訝そうに「なに?」と眉を寄せる。


「私、小学生の頃までこのあたりに住んでたの。何回も来たことあるから、別にいいわ」

「そう、なんですね……」

「二人とも悪いな。いっぱい写真撮ってくるから」

「陽毬。山田のことは松永さんに任せて、行こうよ」


 葛城くんと柳川さんに言われて、陽毬はこくんと頷いた。ぎゅっとおれの両手を握りしめて、「何かあったら連絡してください」と言う。大袈裟な。まるで今生の別れみたいだ。


「それでは、松永さん。薙くんのことお願いします……」


 陽毬はぺこりと頭を下げると、後ろ髪を引かれつつもみんなと歩いて行った。ポニーテールの後ろ姿が見えなくなってから、おれは松永に尋ねる。


「……松永。おれのこと嫌いなのに、なんで残ったの?」

「勘違いしないで。あなたがここで悪さしないように見張ってるのよ」


 そう言って松永は、ツンとそっぽを向いた。なんだかツンデレのお手本みたいなセリフだ。

 鬼の霍乱かと思ったが、よくよく考えると松永は態度と口調がきつく、偏見に満ちた攻撃的な人間ではあるものの、吸血鬼以外の奴にはそれなりに親切だ。親切心が押しつけがましいだけで。

 おれは素直に「ありがとう」と言った。松永はややたじろぐと、下を向いて呟く。


「……本当に、あなたのためだけじゃないわ。教室で一人でいるのは平気でも、こういうときに浮くのは居た堪れないでしょう。誰かと二人でいるよりも、一人と一人の方が楽なの」


 彼女の言葉の意味を考えて、なるほどと頷いた。

 陽毬があれこれ気を回しているようだが、松永はこの班に完全に馴染めてはいない。女子が奇数で集まるといろいろ面倒なのだと、前に静奈が愚痴っていた気がする。

 理由はどうあれ、松永がおれのことを「一緒にいてそれなりに気の休まる存在」だと認識しているのは意外だった。毎日チクチクと嫌味を投げつけられた甲斐があったのだろうか。


「……私、前ほどあなたのことを嫌悪しているわけじゃないわ。如月くんと違って、誰かれ構わず血を飲んだりしないみたいだし」


 ……残念ながら、おれはその信頼に足る存在ではない。誰かに必要とされたいという陽毬すきなこの性癖を利用して、血を飲んでいる最低の吸血鬼だ。

 当然そんなことを言えるはずもなく、おれは黙って頰を掻いていた。




 しばらくしてみんなが戻ってくると、おれの体力も多少は回復していた。陽毬の買ってきてくれた牛乳も、気休め程度にはなったようだ。


「山田くん、歩けそう? とりあえず、バス乗って谷口先生のとこ行こう」


 葛城くんに促され、おれはノロノロと後ろをついて行った。持ってきていた折り畳みの日傘を広げると、すれ違いざまにヒソヒソ声が聞こえる。


「あの修学旅行生、もしかして吸血鬼?」

「うわ、ホンモノ初めて見た」

「やめなよ、あんまり見ない方がいいよ」


 夜宵市ではそれほど珍しい存在ではない吸血鬼だが、他の地域ではめったにお目にかかれない珍獣である。

 ちくちくと突き刺さる好奇と恐怖の視線は、あまり気持ちのいいものではない。おれが俯いていると、さっと伸びてきた手がおれの傘を奪った。


「薙くん、わたしも中に入れてください」

「……陽毬……」

「すごい日差しですね。これじゃあ日焼けしちゃいそうです。薙くんの日傘があってよかった」


 そう言って微笑む彼女が、おれを助けてくれたことにちゃんと気付いている。優しいエクボを見ると、じわりと温かいものが胸に広がっていく。

 やっぱり陽毬はちょっと歪んではいるけれど、どこまでも優しい女の子で、その優しさにつけ込んでいるのはおれだ。


「……おれが持つよ」


 彼女の手から傘を奪い返すと、笑っておれに寄り添ってくれた。ただそれだけのことで、周りの目なんてどうでもよくなってしまう。

 おれたちはひとつの傘の下でぴったりとくっついたまま、バス停へと向かった。

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