act.38 日常

 大学生活が始まった。

 はじめのうちは。

 相変わらず一人で過ごすことが多かった。

 けど。

 波瀬と同じ学部だった。

 学科は違うけど。

 大学構内でよく会った。

 波瀬は社交的で。

 友達を紹介された。

 話しやすい人ですぐに打ち解けた。

 本当は弓道をやめようと思ったけど。

 けど。

「弓道、好きでしょ?」

 波瀬の勧めで続けることにした。

 同じ学科に弓道部員が何人かいて。

 俺は孤立しなくなった。


「聖人」

 昼休み。

 学食で波瀬と遭遇した。

「おはよう」

「お疲れ」

 俺は軽くお辞儀して。

 波瀬の正面に座った。

「お疲れ様」

 波瀬の隣には菅道が座っていた。

 俺と波瀬とも違う学科だった。

 花火大会の日。

 二人はよりを戻したらしい。

 てっきり俺は。

 菅道からのメールなんて嘘だと思っていたけど。

 けど。

 菅道は本当に波瀬のことが好きらしかった。

 波瀬も。

 そんな菅道のことを憎めなかったんだろう。

「そう言えば」

 菅道がうどんを箸で摘みつつ口にした。

「牛島くん、元気?」

「何で?」

「ん?」

「何で俺に訊くの?」

「だって、仲良しだよね?」

「仲良し、って」

 菅道はどこまで知っているんだろう。

 隣で波瀬は。

 やっぱり寂しそうな顔をしていた。

 たぶん。

 波瀬は気付いている。

 むしろ。

 波瀬はそうなるように仕組んでいた。

 そんな気がした。

「変わらないよ」

「そっか」

「気になるの?」

 波瀬が口を挟むと。

 菅道は大仰に手を振った。

「違うよ。ただ」

 辺りをきょろきょろと見回した。

「酒井さん、彼氏できたみたいだから」

 酒井は菅道と同じ学科だった。

 近場の国立だったから。

 高校時代の同級生は少なくなかった。

 知人の少ないところに行きたい、という。

 元々の目的からは外れていて。

 居心地が悪くないと言えば嘘になるけど。

 けど。

 あの噂はもう、風化していた。

 誰の記憶からも消えかかっていた。

 一部を除いては。

 噂なんて、そんなものなんだろう。

「早いな」

 波瀬は嫌味ではなくそう言った。

 菅道が異を唱える。

「そう? 別れて半年経つでしょ」

「大学入ってから、一ヶ月経ってないじゃん」

「確かに」

 俺は同調を覚えた。

 今までは。

 まず会話に介入しようとすら思わなかった。

「同じ科の人?」

「ううん、サークルの先輩」

「マジか」

「一目惚れらしいよ」

「どっちの?」

「先輩のほう」

 二人の話に耳を傾けながら。

 俺はカツ丼に手を添えて。

 箸でカツを口に運んだ。

 周りの喧騒が耳障りに感じなかった。

 誰の目も気にならなかった。

 きっと。

 俺が恐れていたのは。

 独り、だったんだろう。


 両親との仲は元に戻った。

 一時期、家の中は居心地が悪かったけど。

 けど。

 父親も母親も。

 一度、問いかけてきて以来。

 俺の事情を詮索しないようになった。

 今までどおり接してくれるようになった。

 それでいて。

 少しだけ。

 よく喋るようになった。

 二人共。

 俺の内面に気付いているようだった。

 けど。

 何も文句を言われなかった。

 全く気持ち悪がられなかった。

 俺は安堵した。

 だからこそ。

 近場の大学を選ぶことができた。

 元々は迷惑をかけたくなかったからだけど。

 けど。

 この選択で良かった、と心から思った。

 紋太がよく家に来るようになって。

 昔みたいに食卓を囲むようになって。

「二人共、付き合ってるの?」

 父親が冗談っぽく言って。

 俺は醒めた口調で否定して。

 紋太はわざとらしく受け流して。

 バレバレだった。

 けど。

 両親は笑っていた。

 それはきっと。

 俺がよく笑うようになったからだと思う。


 休日は紋太と過ごすことが多かった。

 図書館に行ったり。

 映画を見に行ったり。

 買い物に行ったり。

 自宅で漫画を読んだり。

 けど。

 紋太以外の友達と過ごすこともあった。

 波瀬を通じて知り合った人。

 同じ大学の弓道部員。

 一人で過ごすこともあるけど。

 けど。

 孤独を感じたことはなかった。

 やっぱり。

 俺は独りが辛かったんだと改めて思った。


 ゴールデンウィーク。

 紋太が家にやってきた。

 部屋で漫画を読んだり。

 古いゲーム機を引っ張り出してやってみたり。

 遊び尽くして。

 ふと。

 空白の時間が生まれた。

 ちょっとした休憩時間。

 二人して布団に座って。

 紋太は携帯電話をいじって。

 俺は何気なく紋太を横目に窺って。

 不意に。

 目が合った。

 沈黙。

 距離を詰めようとして。

 けど。

 勇気が出なくて。

 結局。

「これ何?」

 紋太が机の上の小説を手に取って。

 いつもどおりの空気に戻った。

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