act.37 空風

 合格発表の日。

 大学に行くと多くの人でごった返していた。

 既に受験番号が貼り出されていた。

 おれは受験票を片手に番号を見上げた。

 数多の番号の中から自分の番号を探した。

 あった。

 ホッとした。

 けど。

 意外と感動しなかった。

 たぶん。

 センター試験を自己採点して。

 その時点でA判定だったからだろう。

 おれは携帯電話を取り出した。

 聖人の電話番号を見つめた。

「牛島」

 振り返ると木ノ下がいた。

 一人だった。

「落ちた?」

 木ノ下らしい訊き方だった。

「受かった」

「良かったじゃん」

「木ノ下は?」

「落ちた」

「え?」

 あっけらかんと木ノ下は言った。

 おれは目に見えて狼狽えてしまった。

 木ノ下はそれを見て。

 けらけらと笑った。

「何その顔、ウケる」

「いや、その」

「気まずい?」

「あ、えっと」

「メンタルよわ」

 木ノ下は可笑しそうにくすくすと笑った。

 口元へと宛てがった手に受験票を握っていた。

 そこに印字された受験番号を盗み見て。

 おれは合格者番号を横目に確認した。

「ないって」

 バレバレだった。

 余計に気まずくなった。

 おれは首筋を掻いた。

「おめでとう」

「おう」

「じゃね」

 木ノ下は手をひらひらと振った。

 身を翻して去ってゆく木ノ下の背中を見つめて。

 おれは携帯電話をポケットに突っ込んだ。


 家に着いたところで。

 聖人から着信があった。

 おれはベッドに横になって。

 胸に手を当てて落ち着いてから。

 携帯電話を耳に宛てがった。

「もしもし」

「もしもし」

「お疲れ」

「お疲れ」

 おれは何て言おうか悩んだ。

 その隙に。

 聖人が先に口を開いた。

「どうだった?」

「受かった」

「おめでとう」

「サンキュ」

 おれは目を閉じて。

 一拍置いた。

「聖人は?」

「何?」

「受かった?」

「うん」

 その声に。

 おれは心から安堵した。

「おめでとう」

「ありがとう」

 聖人の声は少し嬉しそうだった。

 まぶたの裏に聖人の笑みが浮かび上がった。

 おれは目を薄く開いて。

 そこに聖人の姿を見た。

 ような気がした。

 錯覚だった。

 板張りの天井しか見えなかった。

「これからさ」

 おれはベッドから起き上がって。

「会わない?」

 遮光カーテンを開けて。

 窓の外を眺めた。


 担任教師に合格した旨を伝えてから。

 おれはそこに向かった。

「聖人」

 家の近くの公園。

 おれが藍原とキスした場所。

 波瀬が聖人と話していた場所。

 おれが来る頃には。

 既に聖人がベンチに座っていた。

 平日の昼間だから誰もいなかった。

 二人きり。

 おれは聖人の左隣に座った。

 聖人の顔を見た。

 聖人はおれの顔を見た。

 見つめ合った。

「紋太は」

「ん?」

「一人暮らし?」

「いや」

 大学は隣県だったけど。

 あまり遠くはなかった。

「電車」

「そう」

「聖人は実家通いでしょ?」

「うん」

「だよね」

 近くの大学だから当然だった。

 暫しの沈黙。

 そして。

「いろいろごめん」

「何が?」

「あのこと、とか」

 聖人はおれの言わんとしていることを察した。

 去年のはじめ。

 みんなのロッカーに入っていた告発文。

 聖人への殺害予告。

 いや。

 聖人の殺害手段。

「何で?」

「真波がやったから」

「関係ないじゃん」

「おれのせいだから」

「そう」

 聖人は淡々としていた。

 聖人は優しいから。

 余計に辛かった。

「ごめん」

「もう、いいよ」

 また、暫しの沈黙。

 破ったのは聖人だった。

「本当は」

 聖人は目を伏せた。

「修学旅行の時」

 膝の上で握り拳をつくって。

「みんながいないうちに」

 訥々と語った。

「死のうと思った」

 修学旅行に行かないと言った理由。

「いなくなりたかった」

 おれは何も言えなくて。

 目を見開くことしかできなくて。

「だって」

 聖人の苦しみを。

「気持ち悪いじゃん」

 聖人の悩みを。

「俺」

 聞き届けることだけで精一杯で。

「普通じゃないじゃん」

 手を差し伸べることも。

「気持ち悪い」

 顔を近付けることも。

「気持ち悪い」

 何もできなかった。

「そんな」

 漸く絞り出した言葉は。

 文章にすらなっていなかった。

「学校を休んだ日も」

 聖人の告白は。

「死のうと思ってた」

 おれの胸を締め付け続けた。

「けど、波瀬に見つかった」

 あの日。

 二人してこの場所にいた理由。

 今頃になって理解して。

 それが酷く情けなくて。

 おれは。

 おれは。

 おれは。

 今にも泣きそうになった。

 自然と口が開いた。

「今も」

 聖人がゆっくりとおれの方を見た。

 無表情だった。

「同じ?」

「ううん」

 聖人はおれに後頭部を向けて。

 どこか遠くを見つめた。

「もう、平気」

「嘘」

「え?」

 聖人が振り向くと同時に。

 おれは顔を近付けた。

 目を見開いた聖人のすぐ傍で。

 双眼を覗き込んだ。

 瞳が、揺れていた。

「嘘は、やめてよ」

「嘘?」

 おれは。

 顔を遠ざけた。

 空風が落ち葉を踊らせた。

 体温が徐々に奪われていった。

 けど。

 おれの顔は火照っていた。

 聖人の顔は白かった。

 おれは。

 聖人から眼鏡を取り上げた。

「何?」

 聖人は無抵抗だった。

 取り返そうとすらしなかった。

「聖人」

「何?」

「まだ、おれ、好き?」

 少し間が空いた。

 けど。

「うん」

 聖人は、はっきりと答えた。

「そっか」

 聖人は。

 いつだって優しかった。

 眼鏡をかける前から。

 ぎこちなくなる前から。

 心から笑っていた時から。

 ずっと。

「じゃあさ」

 だから。

「おれと」

 その言葉はすんなりと出てきた。

「付き合わね?」

「え?」

 聖人は唖然とした。

 こんな表情を浮かべる聖人は初めて見た。

「何で?」

「何で、って」

「だって、紋太は」

「女が好き、って?」

 聖人は押し黙った。

 おれは聖人の眼鏡をかけてみた。

 度がキツくて視界がぼけた。

「うわ、キツ」

 眼鏡を外して、聖人に手渡した。

 聖人はおもむろに眼鏡をかけた。

 けど。

 おれから目を逸らした。

「いいよ」

「ん?」

「気、遣わなくて」

「遣ってねえし」

「嘘」

「嘘じゃねえし」

 遠くから救急車の音が聞こえた。

 近付いて、遠ざかる。

 高くなって、低くなる。

 ドップラー効果。

 もしも。

 この想いも同じなら。

 同じ場所にいれば。

 きっと。

 ありのままの想いが伝わる。

「聖人が、一番好きなんだよ」

 気恥ずかしくて。

 耳が熱くなって。

 けど。

 胸のうちが清々しくなるくらい。

 気持ちが良かった。

「でも」

「一番、大事なんだって」

 今度は声を大きくして言った。

 聖人の耳は赤くなっていた。

 けど。

「女性が好きなんでしょ?」

 意地でも認めようとしなかった。

 その姿があまりにも寂しく。

 辛そうに見えた。

 これが。

 聖人なりの自己防衛術なんだろう。

「そう、だけど」

「だったら」

 有無を言わせず。

 間髪入れず。

 聖人は伏し目がちに言った。

「彼女つくったほうが、いいでしょ」

「何で?」

「え?」

「結婚できねえから?」

 その言葉にイラッとした。

「キモがられるから?」

 その態度にイラッとした。

「知らねえし」

 その視線にイラッとした。

「一緒にいてえだけじゃん」

 好きなのに。

 いや。

 好きだからこそ。

 そんな聖人を見たくなかった。

「それに」

 もっと。

 幸せそうな聖人を見たかった。

「死んでほしくねえし」

 一昨年の学校祭前日。

 おれが聖人の家に泊まった日。

 おれは眠ったフリをした。

 そして。

 聖人の気持ちを理解した。

 だからこそ。

 そのまま眠ったフリをしていた。

 けど。

 実際は違った。

 本当は。

 ずっとそのままでいたかったから。

 聖人に触れられていたかったから。

 だから。

 眠ったフリをしていた。

 おれは自分の本心がわかったのに。

 余計にわからなくなって。

 また、眠った。

 逃げ出した。

 けど。

 去年の花火大会。

 聖人の気持ちを確認して。

 それから半年かけて。

 気持ちの整理をつけた。

 やっぱり。

 聖人が好きだった。

 ずっと傍にいたかった。

 だから。

 聖人にずいっと顔を近付けた。

 目と鼻の先。

 聖人の匂いが鼻孔をくすぐった。

 昔から。

 好きな匂いだった。

 聖人は。

 おれの目を見ないように意識していた。

 けど。

 ふと。

 目が合った。

 おれは。

 ふっ、と笑った。

「嫌?」

 聖人は少し黙って。

「別に」

「別に、何?」

 少し戸惑って。

 視線を辺りに散らして。

 また、おれを見た。

 瞳の中に映るおれは微笑んでいた。

 聖人は、やっぱり悩んでいた。

 けど。

「嫌じゃ、ない」

「OK?」

 鼓動が加速していった。

 今にも聖人へと手を伸ばしてしまいそうだった。

「紋太こそ」

「ん?」

「いいの?」

「何それ」

 おれは眉根を寄せた。

「おれから告ってんのに?」

「そうだけど」

 口を閉ざして数秒。

 開いては閉じてを繰り返すこと数回。

 聖人は。

「俺も」

 口元を綻ばせた。

「紋太が一番大事」

 その言葉がとても嬉しかった。

「ずっと」

 聖人は、昔のように笑っていた。

 一緒に秘密基地をつくった頃のように。

 屈託なく。

 心から。

 そして。

 おれは。

 呪いが解けたようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る