【転】何も無いのに

act.24 荒天

 年末年始は部活に明け暮れた。

 と言っても。

 三が日は部活がなかった。

 だから。

 家族と初詣に行った。

 賽銭を投げ入れた。

 神に祈りを捧げた。

 ペトロ。

 不意に思い出した。

 イエス・キリストの弟子。

 イエスが連行された後。

 弟子であることを三度否認した男。

 それぐらいしか知らなかった。

 それだけで十分だった。

 俺は。

 二度も紋太を拒絶した。

 あんなにも仲が良かった紋太を。

 友達として見ていた紋太を。

 友達として見ていなかった。

 俺はみくじを引いた。

 末吉だった。

 恋愛。

 あきらめなさい。

 俺はみくじを手の中に丸めた。

 焚き火している火の中に投じた。

 恋愛をまず見てしまった自分が。

 気持ち悪かった。


 新学期。

 教室の中はひんやりとしていた。

 一番乗りでまだ誰も来ていなかった。

 俺の席はストーブのすぐ近くだった。

 机に鞄を置こうとして。

 俺は。

 全身に汗をかいた。

 嫌な汗。

 冷や汗。

 机に文字が書かれていた。

 油性マジック。

 極太。

 そして。

 ホモ。

 机一杯に。

 大きく。

 主張するように。

 それは書かれていた。

 周りを見回した。

 誰もいなかった。

 俺は。

 廊下に出た。

 掃除用具の入ったロッカーを開けた。

 雑巾を取り出した。

 水道で濡らした。

 教室に戻った。

 廊下に背を向ける形で。

 机を拭いた。

 油性だからなかなか落ちなかった。

 俺は手に力を入れた。

 静かな教室に擦る音だけ響いた。

 俺は焦った。

 焦って。

 焦って。

 唇を震わせて。

 泣いた。


 一日中席に着いていた。

 机の上にずっと教科書とノートを開いていた。

 トイレに行ってもすぐに戻った。

 始業式が終わればすぐに戻った。

 誰よりも先に戻った。

 午前で学校が終わっても。

 俺は席に着いていた。

 勉強していた。

 波瀬に昼食を誘われたけど断った。

 紋太が俺を見ていたけど黙殺した。

 一人きりになった。

 俺は。

 雑巾を持ってきた。

 机に書かれた文字の残りを擦った。

 朝の続きをした。

「福井」

 木ノ下が教室に戻ってきた。

 俺は机を背中で隠した。

 鼓動が早鐘を打った。

「何してんの?」

「机拭いてた」

「え? 何で?」

「汚れてたから」

「そう」

 木ノ下は机から筆箱を取り出した。

 鞄に筆箱を仕舞った。

「じゃね」

「じゃあ」

 木ノ下の足音が聞こえなくなった。

 俺は机を見下ろした。

 消えかけた文字を見た。

 その場にへたり込んだ。

 また。

 泣いた。


 翌日。

 雨天。

 午前七時半。

 誰よりも先に登校した。

 けど。

 ホモ。

 ホモ。

 ホモ。

 今度は机一面書かれていた。

 俺はバッグからスプレー缶を取り出した。

 油性マジック用の汚れ落とし。

 俺は机にスプレーを吹きかけた。

 少し待って。

 雑巾で机を拭いた。

 机は綺麗になった。

 俺は安堵した。

 雑巾を洗うと席に着いた。

 急に。

 怖くなった。


 一週間。

 机の落書きは続いた。

 誰が。

 いつ。

 何の目的で。

 そんなことをしているのか。

 俺にはわからなかった。

 けど。

 わからないまま。

 月曜の朝。

 落書きは止んだ。

 俺は安堵した。

 けど。

 席に着いて。

 ゾッとした。

 机の中に紙が入っていた。

 A4用紙。

 大きく一文。

 福井聖人はホモ。

 それだけ。

 それだけだった。

 それだけで。

 俺は。

 また。

 また。

 泣いた。


 用紙を捨てた。

 クラスメイトの机の中を覗いた。

 みんなの机の中に入っていた。

 俺は全て捨てた。

 わざわざごみ捨て場まで行って捨てた。

 見つけられたくなかった。

 違う。

 と言えれば済む話だった。

 けど。

 紋太がいると。

 嘘をつけない気がした。

 別に、と言ってしまいそうだった。

 紋太は。

 全部知っているから。


 ホームルー厶が始まった。

 いつもどおり。

 けど。

 いつもと違った。

 みんなの視線が。

 俺に向いていた。

 波瀬も。

 紋太も。

 みんな。


 ホームルームが終わった。

「聖人」

 波瀬が俺を呼んだ。

 俺は廊下に出た。

 みんなが俺たちを見ていた。

 南校舎に移動した。

 誰もいない廊下。

「これ見た?」

 福井聖人はホモ。

 朝、全て捨てた紙だった。

「ロッカーに入ってた」

 しくじった。

 ロッカーの中は確認していなかった。

 まさか。

 そんなところまで。

 俺は無表情を保った。

「見た」

 俺は興味ないように。

 淡々と振る舞った。

「で、何?」

「そうなの?」

「何が?」

「これ、ホント?」

「嘘」

 嘘。

 波瀬に嘘をついた。

「そう」

 波瀬は紙を四つ折りに畳んだ。

「みんなロッカーに入ってたって」

「そう」

「言わないの?」

「何を?」

「違う、って」

「みんなに?」

「みんなに」

 波瀬は畳んだ紙をポケットに捩じ込んだ。

「あと、先生に」

「先生に?」

「嫌がらせされた、って」

「いい」

「何で?」

「面倒だし」

「面倒、って」

 波瀬は呆れた様子だった。

 俺の言葉を信じていた。

「じゃあ」

 波瀬は頭を掻いた。

「俺が言う」

「いい」

「良くない」

「何で?」

「何で、って」

 波瀬は苛々していた。

 薄暗い廊下に沈黙が走った。

 やがて。

「嫌でしょ?」

「興味ない」

「聖人さ」

 波瀬はポケットに手を突っ込んだ。

「いや」

 ポケットの中で何かを掴んで。

「何でもない」

 踵を返した。

 一連の動作が何を意味するのか。

 俺は何となく理解した。

 波瀬は。

 俺の嘘に気が付いた。

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