act.23 雲間

 沖縄最終日。

 砂浜で写真を撮ろうということで。

 クラスメイトと集まった。

 靴を脱いで。

 波打ち際で騒いで。

 みんなの顔が映るように並んで。

 ピースサインを決めた。

 聖人は。

 やっぱり来なかった。

 砂浜の前の沿道を一人で歩いて。

 おれの方を一瞥して。

 去っていった。

 おれは。

 みんなが笑う中で。

 うまく笑えなかった。


 帰りの飛行機の中。

 隣のクラスメイトは眠っていた。

 おれは眠れなかった。

 窓の外を眺めた。

 眼下に白い雲が広がっていた。

 動いているのかよくわからなかった。

「牛島」

 不意に。

 通路の方から名前を呼ばれた。

 波瀬だった。

 おれを見下ろしていた。

 おれを見下していた。

「何?」

「ちょっといい?」

 波瀬は背を向けた。

 おれは。

 クラスメイトを起こさないように立ち上がって。

 波瀬の後を追った。


 トイレの前。

 誰もいない場所に来ると。

 波瀬は振り返った。

 冷たい目だった。

「何?」

「聖人に」

「ん?」

「何か言った?」

「またそれ?」

 何か。

 昨晩のことが思い出された。

 聖人の顔。

 泣きそうな顔。

 いや。

 泣いていた。

「聖人に訊け、って」

「だから」

 波瀬は無表情だった。

 一切笑っていなかった。

「聖人が紋太に訊け、って」

「は?」

 波瀬は表情を崩さなかった。

 けど。

「嘘でしょ?」

 聖人が。

 そんなことを言うはずがなかった。

 言えるわけがなかった。

 知られたいことではないはずだから。

 誰にも。

 おれにも。

 なのに。

 おれは知ってしまった。

 挙げ句。

 傷を抉ってしまった。

 そんなつもりはなかったのに。

 無意識に。

 無自覚に。

 無責任に。

 追い詰めた。

「ああ」

 波瀬は悪びれもせずに言った。

 この前も同じようなやり取りがあった。

 やっぱり。

 波瀬の言葉は嘘だった。

 聖人がおれに訊け、なんて。

 言うはずがなかった。

「じゃあ答えてよ」

 波瀬はおれの目を見て言った。

 おれは口を閉ざした。

 言えるわけがなかった。

 おれも。

 聖人も。

「何で?」

「ん?」

「何で聖人、ああなったの?」

「ああ、って?」

「わかるだろ?」

 波瀬の目は鋭かった。

 今にも殴りかかられそうだった。

 けど。

 おれは。

「おう」

 素直に応じるフリをして。

 少し期待した波瀬の顔を見て。

 何も知らないんだとわかって。

「でも」

 おれは。

 ごくん、と唾を呑み込んで。

 墓場まで持っていこう、と胸に決めた。

「言いたくねえ」

 言えない、の間違いだった。

 けど。

 聖人に追及されないようにしたかった。

 あの目を。

 もう見たくなかった。

「そう」

 波瀬はおれの横を通り過ぎた。

「嘘つき」

 思わずおれは振り向いた。

 波瀬の背中。

 雄弁に語る背中。

 波瀬は。

 おれのことを嫌っている。


 家に帰ってからも。

 おれの気持ちは晴れなかった。

 布団の上に寝転んで。

 携帯電話を意味もなく弄って。

 福井家の電話番号を眺めて。

 聖人のことを考えていた。

 と。

 その時。

 携帯電話が鳴った。

 真波からの電話だった。

 おれは電話に出た。

「もしもし」

「もしもし。お疲れ」

「お疲れ」

「寝てた?」

「いや。何で?」

「眠そうな声だったから」

 いつもより声が低いのは確かだった。

 すぐにでも眠ってしまいたいのも確かだった。

「牛島くんさ」

「何?」

「福井くん、だっけ?」

「聖人?」

「仲良いよね」

「え、ああ、うん」

 おれは顔を曇らせた。

「それがどうしたの?」

「えっと」

 真波は言葉を詰まらせた。

 そして。

「何かあった?」

「え?」

 おれは戸惑った。

 沈黙が耳に突き刺さった。

 やがて。

 真波の呼吸音が微かに聞こえた。

「何か、って?」

「最近、あんまり一緒にいないから」

「聖人と?」

「うん」

「そう?」

「うん」

 真波が聖人を知っているとは思わなかった。

 いや。

 そう言えば。

 おれが話したかもしれない。

 今年の夏。

 まだ聖人と話していた頃。

 世間話で。

「何もないけど?」

「そうなの?」

「そう」

 真波はやけにしつこく訊いてきた。

 やっぱり。

 真波の様子はおかしかった。

「どうしたの?」

「え?」

「いきなりそんなこと」

「いきなり、っていうか」

 真波は明らかに狼狽した。

「朱里から聞いて」

「木ノ下?」

 背中に汗がじわりと広がった。

 木ノ下朱里きのしたあかり

 真波とは中学生の頃からの付き合いと聞いた。

「福井くんが」

「ちょっと待って」

「ん?」

「木ノ下から何か聞いたの?」

「うん」

「聖人のこと?」

「うん」

「それ」

 おれは慌てた。

「嘘だから」

「嘘?」

「そう」

「福井くんに告られた、ってこと?」

 おれは頭が真っ白になった。

 木ノ下のニヤリとした顔が頭を過った。

 楽しそうな顔。

 おれは。

 全然楽しくなかった。

 むしろ。

 恨みすら抱いた。

 思わず奥歯を噛み締めた。

「告られてないし」

「そうなの?」

「そう」

 おれは駄目押しとばかりに。

 少しだけ強い口調になった。

「信じるなよ」

「ごめん」

「いや、謝らなくても」

 沈黙が生まれた。

 気まずい空気になった。

「とりあえず」

 おれは慌てて口を開いた。

「聖人とは何もないよ」

「うん」

「友達」

「うん」

「ホモじゃないから」

「わかった」

「じゃあ」

「じゃあね」

 電話を切った。

 おれは携帯電話を投げ出した。

 目元を腕で覆った。

 目の前が真っ暗になった。

 木ノ下。

 悪い奴ではないと思っていたのに。

 段々と。

 嫌いになってきた。

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