act.25 時雨

 ロッカーの中に紙が入っていた。

 みんなそれを見て噂していた。

 福井聖人はホモ。

 おれは紙をくしゃくしゃに丸めた。

 ゴミ箱に捨てた。

 教室にいると苛々した。

 教室にいると気分が悪くなった。

 背中に大量の汗をかいた。

 おれは廊下に出た。

「牛島」

 木ノ下だった。

 楽しそうに笑っていた。

 手には紙を持っていた。

 ロッカーに入っていた紙だった。

「何?」

「福井って」

 クラスの誰もが噂していることを。

「ホントにホモだったの?」

 木ノ下は言った。

 しかも。

 ホントに、と。

 最初からわかっていたように。

 まるで話の種になるとばかりに。

 愉快そうに。

 邪悪な笑みで。

「は?」

 おれは無表情を決め込んだ。

「聖人はホモじゃねえし」

「そうなの?」

「そんなの」

 おれは木ノ下が持っていた紙を見た。

 忌々しげに睨んだ。

「嘘でしょ」

「何でわかるの?」

「聖人は」

 おれは。

「女好きだったし」

 嘘をついた。

 聖人からその手の話を聞いたことがなかった。

 おれは聖人を庇った。

 つもりだった。

「へえ」

 木ノ下は口角を上げた。

 おれは木ノ下に背を向けた。

「牛島さ」

 木ノ下はおれの隣に来た。

 耳元で囁いた。

「もしかして」

 おれは動悸を抑えられなかった。

「告られた?」

 木ノ下は声色を変えなかった。

 いつもどおりだった。

 いつもどおり。

 楽しそうだった。

「そんなわけねえだろ」

「実は」

 おれは木ノ下の顔を見た。

 木ノ下はおれの顔を覗き込んでいた。

「話聞いてたんだよね」

「何の?」

「沖縄で」

「沖縄?」

 ホテルのロビーでの出来事を思い出した。

「牛島と話した後」

 おれは血の気が引いた。

 背筋が寒くなった。

「外で」

 あの時。

 聖人と二人で話している時。

 近くに木ノ下がいた。

 ということか。

「言い合ってたでしょ?」

「あれは」

「ホントに告ったんだ」

「それは」

「ウケる」

「木ノ下」

「で、付き合うの?」

「木ノ下」

「てかさ」

 木ノ下は携帯電話を片手に。

 聖人への告発文を片手に。

 ニヤリと笑った。

「牛島もホモなの?」

「木ノ下」

 おれは声を荒らげた。

 木ノ下は目を丸くした。

 おれは手を上げた。

 今まさに。

 手を振り下ろそうとした。

 けど。

「牛島」

 波瀬に止められた。

 手首を掴まれた。

「波瀬」

「ちょっと」

 おれは波瀬に引っ張られた。

 木ノ下は呆けた表情を浮かべていた。

 最後に見た顔は。

 無表情だった。


 一階の中庭へ続く通路まで連れられた。

 教室からは見えない死角。

 昼休みだけど誰もいなかった。

 理由は天候だった。

 曇天。

 今にも一雨来そうだった。

「何?」

 波瀬はおれの腕を解放した。

「ふざけるなよ」

「え?」

「聖人に迷惑かけるなよ」

「迷惑、って」

「あそこでキレたら」

 波瀬はおれを睨んだ。

「聖人がホモだって言われるだろ」

「それは」

 おれは俯いた。

「牛島さ」

 おれは波瀬の足元を見た。

 苛立ちが立ち方にも現れていた。

 たぶん。

 波瀬は今。

 腕を組んでいるんだろう。

「知ってたの?」

「何を?」

「聖人のこと」

「聖人のこと、って?」

「訊くの?」

 波瀬は嫌悪感を露にした。

 おれは波瀬の質問を理解した。

 けど。

「知らねえ」

「何が?」

「何も」

 おれは波瀬にぶたれた。

 平手で。

 左の頬に。

 痺れる一発を食らった。

 波瀬は肩で息をしていた。

 おれは左頬を擦った。

 吹き付ける風が。

 突き刺さるように痛かった。

「ふざけるなよ」

 波瀬は怒声を呑み込んだ。

 静かに怒りを露にした。

「お前がバラしたんだろ?」

「は?」

「聖人のこと」

「ちげえし」

「ふざけるなよ」

「ちげえ、って」

「最低」

「だから」

 おれは声を荒らげた。

 木ノ下の時よりも大きな声で。

「ちげえ、っつってるだろ」

 教室からの喧騒が消えたような気がした。

 けど。

 どうでも良かった。

 もう。

 堪えられなかった。

「うるせえんだよ、さっきから」

 波瀬は表情一つ変えなかった。

 無。

 それでも。

 おれの気は収まらなかった。

「聖人のことなんて知らねえよ」

「最低」

「うるせえよ。何も知らねえくせに」

「お前が言わなかったんだろ」

「言えるわけねえだろ」

「知らねえよ」

 波瀬は感情を面に出した。

 怒り。

 憎しみ。

 そして。

 喜び。

「みんなしておれにばっかり」

 喉が焼き切れそうだった。

「本人に訊けよ」

 声は所々掠れていた。

「おれが知るかよ」

 周りのことなんて目に入らなかった。

「もう、うんざりだよ」

 うんざりだった。

 全部。

 もっと。

 素直に楽しみたかった。

 修学旅行も。

 高校生活も。

 聖人と。

 再会しなければ良かった。

 知らなければ良かった。

 聖人の気持ちなんて。

「なら」

 波瀬は静かに言った。

「聖人に言えよ」

「は?」

「今言ったこと」

「そんなの」

「嫌われたいなら言えよ」

「そんなこと言って」

「じゃあ、うんざりとか言うなよ」

「何?」

 真面目に返されたことが苛立たしくて。

 冷静でいられることが腹立たしくて。

 おれは。

 最低な言葉を吐いた。

「お前、聖人好きなの?」

 波瀬から殴られた。

 今度は右のフックだった。

 おれの視界は一瞬暗転した。

 次に気が付いた時には。

 床に尻もちをついていた。

「死ね」

 最後に浴びせられた言葉は。

 酷く胸に染みた。

 雨が降り出すと同時に。

 波瀬はその場から立ち去った。

 おれは。

 暫く動くことができなかった。

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