act.21 密談

「聖人」

 トイレを出ようとしたところ。

 偶然。

 聖人に会った。

 おれが何か言うより先に。

 聖人はトイレの中へと入っていった。

 おれは追いかけようとして。

 すぐに思い留まった。

 あの日のことを思い出した。

 聖人が走り去っていった時のこと。

 聖人の、目。

 泣き出しそうな、目。


「牛島くん」

「おう」

 真波が手を振ってきた。

 おれも手を振り返した。

 一緒にいた女子に冷やかされて。

 真波は顔を真っ赤にしていた。

 嬉しそうだった。

「何食ってんの?」

「紫芋のアイス」

 真波はすぐそこの店を指差した。

「あそこで売ってるよ」

「買おうかな?」

「あげる?」

 真波はアイスクリームを差し出した。

 コーンの部分しか残ってなかった。

 真波は笑っていた。

 おれは釣られて笑った。

 最後の一口をもらった。

 美味かった。

「おれも買お」

「おすすめだよ」

「知ってる」

 真波たちと別れた。

 おれはアイスクリーム店へ向かった。

 店先。

 波瀬と菅道が座っていた。

 波瀬と目が合った。

 おれはアイスクリームを諦めた。


 ホテルにて。

 おれはもう一度聖人の部屋へ向かった。

 今日は。

 自分でドアを開けた。

 中にはクラスメイトが数人いた。

「あれ?」

 おれがキョロキョロ見回していると。

 クラスメイトの一人が応じた。

「福井なら風呂だよ」

「波瀬は?」

「わからん」

「そう」

 浴室からシャワーの音が聞こえた。

 中に聖人がいることを想像した。

 ドアノブを捻ってみた。

 鍵が掛かっていた。

「聖人?」

 返事はなかった。

 シャワーの音だけが聞こえた。

 やっぱり。

「聖人が出たら」

 おれはクラスメイトに伝言を頼んだ。

「一階のロビーに来て、って言っといて」

「わかった」

 おれは部屋を出た。


 一階のロビーで。

 おれは携帯電話を弄っていた。

「牛島」

 木ノ下が話しかけてきた。

「何してんの?」

「待ち合わせ」

「誰と?」

「聖人」

「ふうん」

「木ノ下こそ」

「ん?」

「何してんの?」

「お土産」

 木ノ下は手に下げた袋を掲げた。

「売店で買ってた」

 木ノ下の向こう側に売店が見えた。

 学生の姿がいくつかあった。

 木ノ下はおれの隣に座った。

「お、ふかふかじゃん」

 ソファの感触に木ノ下は感動していた。

「戻らねえの?」

「邪魔?」

「じゃねえけど」

「福井が来たら退くって」

 木ノ下は笑った。

 風呂上がりなんだろうか。

 いい匂いがした。

「密談?」

「何で?」

「わざわざロビーで話すんでしょ?」

「聖人、風呂入ってたし」

「部屋で待てばいいじゃん」

「そうだけど」

 だけど。

 おれは言葉が見つからなかった。

「牛島さ」

「ん?」

「真波と付き合ってんでしょ?」

「ああ、まあ」

「浮気?」

「どゆこと?」

「福井と」

「はあ?」

「いつも一緒にいるじゃん」

「そりゃ波瀬のほうだろ」

「嫉妬?」

「じゃねえよ」

 おれは苛立った。

 木ノ下はいやらしい笑みを浮かべた。

 それが余計に癇に障った。

 おれは腰を浮かしかけた。

 今から聖人の部屋に行って。

 違う場所で話そうと思った。

 けど。

「でもさ」

 木ノ下の言葉に動きが止まった。

「福井って」

 息が止まった。

「牛島のこと」

 それとは逆に。

「好きだよね?」

 心臓が早鐘を打った。

「え?」

 おれは目を丸くした。

 不意を突かれて。

 素の反応をしてしまった。

 木ノ下は悪い笑みを浮かべた。

 バレた。

 おれは冷や汗が止まらなかった。

「牛島と話す時だけ笑うし」

「そりゃ友達だし」

 何とか取り繕おうとするけど。

 ごまかそうとするけど。

 けど。

「何その質問?」

「別に」

 口で木ノ下に勝てるわけがなかった。

 木ノ下がいつも楽しそうで。

 周りに敵が少ないのは。

 口が達者だからだった。

 そのくせ悪意がないから。

 厄介だった。

 災厄だった。

「そうだったら面白いな、って」

「何それ」

 面白くなんてなかった。

 笑えなかった。

 木ノ下は。

 笑っていた。

「じゃあさ」

 木ノ下は顔を近付けてきた。

 こそこそと耳打ちをしてきた。

「牛島」

 女子から耳打ちされるのは。

 初めてだった。

 苛々しているのに。

 こそばゆさを感じた。

「告ってみてよ」

「え?」

 木ノ下の顔を見ると。

 悪戯っぽく笑った。

「福井に」

 おれは。

 何も言えなくなった。

「試しに」

 震える唇で。

 何とか会話を交わした。

「何で?」

「気になるじゃん」

「何が?」

「反応」

「気になんねえし」

 木ノ下はおれで遊んでいた。

 聖人を玩具にしようとしていた。

 だから。

 おれは木ノ下に敵意を向けた。

「聖人はホモじゃねえし」

「じゃあ、いいじゃん」

 木ノ下は開き直った。

「ドッキリ、みたいな感じで」

 それはとても純粋で。

 だからこそ、残酷だった。

 冗談では済まなかった。

「はあ?」

 いい加減我慢の限界だった。

 声を荒らげようとして。

 木ノ下を睨みつけて。

 ふと。

 木ノ下の視線に気が付いた。

 木ノ下は笑い声を堪えながら。

 おれの背後を指差した。

 おれは勢い良く振り向いた。

 顔を上げた。

「聖人」

 聖人がおれを見下ろしていた。

 Tシャツに短パン。

 ラフな格好をしていた。

 髪の毛は少し湿っていた。

 いつからいたのか。

 おれは急に怖くなった。

 血の気が引いていった。

「じゃ、よろしく」

 木ノ下は立ち去っていった。

 二人きり。

 沈黙が流れた。

「何?」

 聖人が沈黙を破った。

 おれは思わず立ち上がって。

 聖人と相対した。

 そして。

「外、行かね?」

 昨日と同じ場所に向かった。

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