act.5 練習

 課外授業。

 学校の教室で。

 いつもと変わらない面子で。

 いつもとは違う授業。

 復習。

 練習問題。

「はあ」

 集中できなかった。

 エアコンが欲しかった。

 下敷きでシャツの下を扇いだ。

 Tシャツが暗黙のうちに許されていた。

 課外だったから。

 でも。

「あちい」

 おれは背もたれによりかかって。

 聖人の顔を見た。

 逆さまだった。

「牛島君」

 担任から注意された。

 みんな笑った。

 聖人は笑わなかった。

「何してんの」

 ペンで頭を押し返された。

 目の前は真っ黒だった。

 あまり喋らないクラスメイトの後頭部。

 真面目なタイプなのだと思った。

 今度は横から振り返った。

「暑くね?」

「暑い」

 そのわりに汗一つかいていなかった。

 おれは汗だくだったのに。

「だろ?」

「だから?」

「解けた?」

「脈絡なさ過ぎ」

 ノートを覗き見た。

 四問解かれていた。

 おれは一問も解けていないのに。

「はや」

「そう?」

「そう」

 聖人は問題を解き続けた。

 三角関数。

 結局教えてもらえなかったやつ。

「そう言えば」

 聖人が顔を上げた。

 ドキッとした。

 聖人から話題を振られるの。

 初めてだった。

 高校では。

「教える?」

「よろしく」

 おれはノートを聖人の机に広げた。

 椅子を逆向きに座り直した。

 みんなおれたちの方を見た。

 けど。

 すぐに練習問題に戻った。

 担任も呆れていた。

 やる気は満々だったのに。


「聖人さ」

 積和の公式。

 何となく理解した。

「どこ大志望?」

「国立の行けそうなとこ」

「何学部?」

「工学部」

「何科?」

「機械工学」

 でも応用力はゼロだった。

 問題が解けない。

「機械好きだっけ?」

「わりと」

「意外」

「何で?」

 聖人がヒントをくれた。

 積和の公式。

 使い時がわかった。

「初めて聞いたから」

「初めて言ったし」

 問題が解けた。

 聖人が赤ペンで丸をつけてくれた。

「合ってるの?」

「合ってる」

「すげえ自信」

「例題だし」

 聖人が教科書をペンで叩いた。

 例題に答えが載っていた。

 そりゃそうだと思った。

「サンキュ」

 おれは練習問題に取り掛かった。

「ここでやるの?」

「狭い?」

「狭い」

「悪い」

 ノートを少しズラした。

 教科書の向きを変えた。

 二人で見られるように。

「ここでやるの?」

「聖人いるし」

 いちいち振り返るのが面倒だった。

 そんな必要はないんだけど。

 でも。

「こっちのほうがいい」

「何で?」

「聖人いるし」

「俺が何?」

 おれは少し悩んで。

 猫背気味になって。

 聖人の顔を見上げた。

「やる気出る」

 聖人が首を傾げた。

「聖人とやると」

 聖人は渋い顔をした。

「何それ」

「家庭教師、みたいな」

 二人でやると楽しい。

 勉強でも。

 遊びでも。

 そんな気持ちだった。

 聖人には言えないけど。

「そう」

 聖人も興味なさそうだし。

 また無表情に戻ったし。

 そんな顔で。

 そんな顔のままで。

 楽しいと言っても。

 変わらなかったら怖いから。

 だから。

 おれは問題に集中した。


 課外授業が終わると。

 クラス内は学校祭の話になった。

「練習あるって」

 聖人に言う。

 周りを見渡す。

 みんな準備や練習の話をしていた。

 台本は既に出来上がっていたようで。

「そう」

 おれたちもその一員だったので 

 席から立って輪に加わった。

 聖人が他の人との輪に入っているのは。

 何だかとても新鮮で。

 思えば、おれ以外の奴と喋っているのを。

 あまり見たことがなかった。

 今も昔も。

 変わらないこと。

「何?」

 横顔を眺めていたら見つかった。

 みんなは学級委員の話に集中しているのに。

 波瀬鷹人はせたかひと

 菅道美桜すがどうみお

 リーダーシップのある波瀬と。

 物静かな菅道。

 きっと聖人は興味がないんだろうと思った。

「やる気満々?」

「そこそこ」

「嘘」

 聖人が眉をひそめた。

 おれは指摘する。

「退屈そうな顔してる」

「してないし」

「してる」

「紋太こそ」

「ん?」

 波瀬が役割分担を発表した。

 誰も文句を言わなかった。

 やる気に満ちていた。

 活気に満ちていた。

 一方で。

「嫌そうな顔してる」

「おれが?」

「ロミオが」

 おれたちは隔離された空間で。

 くだらない雑談に耽っていた。

「やる気満々だよ」

 わざとっぽく笑ってみせる。

 訝るような聖人の視線をすり抜けて。

「ロミオは」

 付け足された言葉に聖人は納得した面持ちだった。

 けど。

 やっぱり不可解そうにした。

「死ぬのに?」

「死ぬから」

「死ぬ気満々ってこと?」

「道連れにする気満々ってこと」

「ジュリエットを?」

「そう」

 木ノ下を一瞥した。

 聖人に頭を小突かれた。

「ロミオのくせに」

 だから肩を小突き返した。

 身長差が恨めしかった。

「ペトロのくせに」

 その言葉は何の意味も持たなかった。


 台本を読んでいた。

 教室に聖人はいなかった。

 美術室で舞台道具を作るという話だった。

 台本越しに窓から南校舎を眺めた。

 二階の窓から三階の美術室はよく見えなかった。

 美術室は校舎の西側だった。

 東側の一組からでは死角になっていた。

 わかっていたことだったけど。

 でも。

 少しだけガッカリした。

 落胆というほどではないけど。

 ガッカリ。

 うわの空で演技して。

 ジュリエットに寄せる想いは空々しいものだった。

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