第二話 『引き裂かれた恋人』

 伊織が迷宮事件奇譚に配属になって早三か月。もう記者など辞めようと思っていたのに、結局まだ辞められていない。というのも、辞める訳にはいかなくなってしまったからだ。


「お兄ちゃん、これどこに仕舞ったらいい?」

「あー、それはキッチンの上棚に入れといて。楓、何でこんなに沢山荷物あるの⁉」

「だーって、急だったんだもん! 選別してる暇なんて無かったんだよ!」

「だからってこんな……それに比べて桜は荷物少なすぎない?」

「そうかなぁ?」

「お前らはほんとに……」


 伊織はため息を落として目の前の段ボールを一つずつ開けていた。全て双子の妹達の荷物である。何故こんな事になっているかと言うと、そこには浅くてどうでもいい理由がある。


 二か月前、突然母から電話がった。


『あ、もしもし伊織? あのねぇ、九月から楓と桜がそっちに留学する事になったのよぉ。でね、ホームステイもいいんだけど、どうせお兄ちゃんがそっちに居るんだから、そこに行けばいいじゃないって話になったのね。そんな訳だから二人の事、頼んだわね』

「ちょ、ちょっと待って! 僕もう仕事辞めるつもりで――って、切れてる……」


 その後折り返して電話をしてみたが、母は何かを察知したかのように電話には出てくれなかった。


 仕事を辞めて日本に戻ろうとしていた矢先の事態に、仕方なくこちらに残る事になってしまったのだ。両親から双子の為にもちろん仕送りはある。


 だが、絶対にそれだけでは足りないに決まっている。と言う事は、足りない分は伊織が足さなければならないと言う事だ。年が離れて生まれてきた可愛い双子の妹達だが、まさかこんな事になろうとは思ってもいなかった伊織である。


「後はそれぞれ自分達で片づけて。兄ちゃん、明日も仕事だから」

「「はぁ~い」」


 二人は機嫌良く返事をするとそれぞれの部屋に荷物を運びこんでいく。そこに一本の電話がかかってきた。相手は編集長の町田だ。


「はい?」

『伊織くぅん、君の出番だぞ~』


 町田がこんな猫なで声で電話してくる時は、絶対に碌な事が起こらない。それはこちらにやってきてたったの三か月で分かってしまった。


「一応、聞きます。何なんです?」

『出たんだよな~、あれが』

「あれ?」

『そう、人魂が! 毎日きっかり同じ時間に同じ場所から人魂が一つフワフワ出て来るらしい。変だろ? こういうのこそ、うちの雑誌向きだよな?』

「……はぁ、で、どうして僕なんです?」

『そりゃ、クリストファー・F・アシュリーと面識があるからに決まってるだろ! こういうのこそ、彼が得意とする所だろう?』

「いや、それはちょっと違うんじゃないかと」


 クリストファーは確かにオカルト方面に明るいが、彼はあくまで郷土研究科だ。詳しいのは心霊現象ではなくて、その土地に根付く妖精達に詳しいだけである。


 しかし町田は伊織の説明も全て無視して、聞いてもいないのに墓地の住所と詳しい話を教えてくれた。これはもう、いいから見に行け、という事なのだろう。


 そんな訳で翌日、夜の22時に郊外の墓地にやってきた伊織は、しっかりと妹達の手を握りしめて墓地の中を歩いていた。本当は家に置いてきたかったが、ロンドンに来たばかりの女子二人を家に置いて来るのも心配だったのだ。


「やっぱ夜の墓地は雰囲気あるね!」

「お兄ちゃん、大丈夫? 手汗凄いよ?」

「だ、大丈夫に決まってるだろ。二人は大丈夫?」


 昼間はもっと公園っぽいのかもしれないが、夜の雰囲気は大変恐ろしい。流石墓地だ。


「大丈夫! こういうの大好きだよ。お兄ちゃん面白いお仕事してるんだね!」


 何か誤解している楓が言うと、桜も頷いている。どうやら怖いのは伊織だけのようだ。


 その時、どこかからガサガサと音がした。三人で思わず振り返ると、そこには銀色に光る何かが佇んでこちらをじっと見ている。


「で、出たーーー!」


 思わず叫び声を上げて伊織は妹達の手を掴んで駆け出したが、地中から這い出ていた木の根っこに躓いて盛大に転んでしまった。その間に銀色の何かの足音がヒタヒタとこちらにやってくるのが聞こえる。


「ふ、二人とも、兄ちゃん置いて逃げなさい!」

「え? いや、でも……」

「お兄ちゃん置いてけないし、あの人……」

「早く! 兄ちゃんはいいから!」


 渋る二人を怒鳴りつけて伊織は二人を逃がした。そしてとうとう、伊織達を追ってきていた足音が伊織の前で止まり、しゃがみ込む気配がする。


 伊織は唇を噛みしめて地面にうつ伏せになったままその時を待ったが、いつまで待っても何も起こらない。


「やっぱりイオじゃないですか。何してるんですか。こんな所で寝ていたら風邪引きますよ?」

「……へ?」


 どこか聞き覚えのある声に伊織は顔を上げて声の主の顔を見てゴクリと息を飲んだ。


「ク、クリストファー……さん?」

「クリスで構いませんよ。それにしても、夜に両手に華で墓地デートですか?」

「え? いや、デートじゃ……はっ! 楓! 桜!」


 伊織は逃がした妹達を思い出して起き上がると、その声に反応するかのように二人は同じ墓石の影からヒョコっと顔を出した。


「ああ、良かった……」


 伊織の安堵の声を聞いて駆け寄って来る妹達を見て、クリストファーは微笑む。


「これは可愛らしい。双子ですか?」

「ええ、そうなんです。僕の妹達です。九月からこっちの学校に留学するんですよ。こっちが楓でこっちが桜。ほら二人とも挨拶して。こちらの方は兄ちゃんが仕事でお世話になってる、クリストファー・F・アシュリーさん」

「はじめまして、アシュリーさん! 姉の楓です」

「はじめまして、妹の桜です。お兄ちゃんがいつもお世話になってます」

「こちらこそはじめまして。クリスでいいですよ」


 そう言って両手を差し出したクリストファーの手を、妹達は片方ずつ掴んで握手している。


「それにしてもこんな時間に何してるんですか? こんな所で」

「あ、はい。最近毎日この墓地で人魂が出ると聞いて、調査してこいと言われまして」

「ああ、迷宮事件奇譚の? この間の消えた楽譜、面白かったですよ。まさか暖炉の着火剤に使われてしまっていたとは」

「そうですか! 楽しんでもらえて良かったです!」


 伊織が請け負った記事である。本当はあまりにもあっさりと解決しすぎてまるで途中から小説を書いている気分だったというのは内緒だ。


「ですが残念ながら今日は不発のようですね。時間になっても人魂は現れないようです」

「そうだった! クリスさんはどうしてここに? ま、まさか人魂も専門分野なんですか?」


 クリストファーはそう言って時計を確認して残念そうに眉を下げているが、そもそもどうして出不精のクリストファーがこんな時間にこんな所に居るのか。まさか町田の読みが正しかったのか? 首を捻る伊織を見てクリストファーは軽く笑った。


「まさか! 少し知り合いに頼まれものをしまして」

「頼まれもので何故墓地に……まぁいいです。ほんとですね、今日は出ないみたいです。おかしいな、編集長の話では毎日出るって噂だったんですけど――」

「お兄ちゃん、あそこ」


 考え込んだ伊織の袖を桜が引いて、墓地の真ん中の辺りを指さした。するとそこにはフワフワと漂う謎の……。


「で、で、でたーーーーーー!」


 出ないとガセネタか、で済んだのに出てしまうと調べないといけなくなる。出来るならそれは避けたかった伊織だ。


 けれどそんな期待も空しく、やはり噂通り人魂は姿を現した。


「行きましょう、イオ」

「え⁉」

「え⁉ ってお兄ちゃん、お仕事でしょ!」

「そうだよ。お仕事大事だよ」

「わ、分かってるけど……」


 人魂の方にズンズン向かっていくクリストファーの後を臆することなく妹達はついて行くが、こういうのはめっぽう弱い伊織である。恐々三人の後に従うと、人魂はある墓の前までやってきて消えた。


「誰のお墓なんだろう。えっと、ジョン・スミス……何か山田太郎みたいな名前」

「こら、楓! お前はほんとにもう!」


 人の名前にケチつけない! 伊織はそう言って楓の頭にゲンコツを落とすと、墓をマジマジと見下ろした。


 メッセージなどは何も書かれていないし、いつ亡くなったかも書かれていないが、相当に古いということだけはびっしりとついた苔を見ても分かる。


「ここで消えましたね。では、明日もここに集合しましょうか」


 クリストファーはそう言って墓の写真だけを撮って言った。それを聞いて妹達は喜んでいるが、伊織は渋い顔をする。


「明日も……ですか」

「ええ。そんなに怖いならエドワードも呼びますか? 彼は人魂などは一切信じないので、きっと細かく解説してくれると思いますよ」

「なるほど、その手が……」


 細かく解説してもらえば伊織も怖くないかもしれない。クリストファーの提案に伊織は頷いて、クリストファーとはここで別れた。

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