『妖精の痕跡』4
エドワードの言葉に伊織は一枚のメモを取り出してここに来る事になった経緯を簡単に話した。すると、エドワードの視線がどんどんキツくなっていく。最後には、
「今すぐ帰れ。あの変人に紹介されてきたんなら話は別だ」
「ど、どうしてです? クリストファーさんはあなたの事をとても尊敬しているようでしたが」
「尊敬? 違うな。あれは俺を馬鹿にしてるんだ。何でもいい、帰れ」
「い、嫌です! 僕は記者です! せめてこの仕事だけはちゃんと見届けてから辞めたいんです!」
腕を掴まれた伊織が必死になって抵抗すると、エドワードがふと引っ張るのを止めた。
「? 何だ、辞めるのか?」
「いえ、まだ……分かりませんが……」
俯く伊織を見てエドワードは何かを感じ取ったのか、ドカッとソファに腰かけて大きなため息を落とす。
「まぁいい。話せ。何について調べてるんだ?」
エドワードの言葉に伊織はコクリと頷いて今回の事件を話した。
ついでに当初のレッドキャップが犯人だろうと言われていた事はあっさりとクリストファーの手によって否定されてしまった事も。
「それはあの変態の言う事が正しいな。妖精なんて非科学的なものを俺はそもそも信用していない。犯人は間違いなく人間だ。おまけに相当近しい奴だよ」
「そ、それは何故……」
「まず一つ。争った形跡が無いという事。そしてもう一つ、ジョンの靴を簡単に盗み出せる事。まぁ間違いなくその親友が犯人だろうな」
「えっ⁉ で、でも彼にジョンを殺す動機なんて何も……」
「動機なんて何でもいい。ここで重要なのは誰が殺したのかって事だ」
「そ、それはそうですが……」
「まず、凶器は斧だ。何故斧なのか。人を殺すならもっと手軽な武器はいくらでもある。まず銃。これは音が出るから駄目だ。次にナイフ。これが一番現実的だな。けれど何かの理由でナイフは使わなかった。それは何故か。ナイフを使えない事情があったという事だ」
「ナイフを使えない……事情……」
「ああ。考えられるのはいくつかあるが、恐らくジョンは先端恐怖症だった。ナイフを見せると怯えて暴れる可能性がある事を、犯人は知っていたんじゃないか? つまり、犯人はジョンのそんな事まで熟知している人間だと言う事だ。そして靴。お前、言ったな? 警官とジョンの足跡以外が無かった、と」
「い、言いました。だからこそ捜査が難航して打ち切られたと親友さんは言ってました」
「つまり、現場には警官を除いてジョンの足跡しか無かった、ではなくてジョンの足跡が二人分あったんだ。だから捜査が難航した、と考えるのが妥当だろう」
伊織はメモを取りながらも驚いていた。エドワードはまるでその現場を見ていたかのように細かく犯人像を作り上げていくからだ。
「言っておくが、俺の言った事は全て憶測だ。証拠も何もないし、その親友とやらの人となりも事情も知らない」
「で、でもこれしかない気がしてきました! ただ……そうなると僕はあの親友さんにまんまと騙されたという事でしょうか……」
伊織はメモを取る手を止めてポツリと言った。今頃あの親友はほくそ笑んでいるのだろうか。
「そうとも限らんがな」
「え?」
「ジョンは先端恐怖症だった。もしかしたら親友の方は多重人格者だったとかな」
「多重……人格……」
「ああ。猟奇的な事をする人格者が親友の中に居たとしよう。ハッと我に返った時、親友が目の前で死んでいた。自分に殺した記憶など一切ない訳だ。そりゃ怖くなって逃げるだろ。混乱して一時的に記憶が曖昧になっても何らおかしくない」
「で、でもどうしてわざわざうつ伏せになんて……」
「単純に見たくなかったんじゃないか? 親友の恐怖に歪んだ顔を。警官が何故赤い帽子の男が側に立っていたと証言したのかは俺にも分からんが」
エドワードはそこまで言って初めて考え込んだ。
けれど、伊織はそれを聞いてどうして親友がわざわざ死体をうつ伏せにしたのかが分かってしまった。多分、あの親友の取り乱し方を見れば、エドワードにもすぐに分かったかもしれない。
「好き……だったのかもしれませんね」
「好き? 親友がジョンをか?」
「ええ。だとしたら、何となくうつ伏せにした理由が分かる気がします。だって、エドワードさんが言う通りなら、親友は気づいたら目の前で好きな人が亡くなってたって事ですから」
それはどれほど苦しかっただろうか。自分の知らない人格が好きな人を殺めてしまうだなんて、ちょっとやそっとじゃ乗り越えられそうにない。
どっちにしろ辛い事件には変わりないが、親友はたとえ違う人格だとしても誰かを殺したのなら裁かれなければならないだろう。
「まぁそうかもな。それに、もしかしたら多重人格でも何でもなく、告白したら振られて逆切れした可能性だってある。ショック過ぎて忘れ去っているのかもしれないし、本当はもっと違う第三者が居たのかもしれん。証拠が無いならどうしようもない。そういう意味ではこの事件はかなり用意周到に計画された犯行だということも考えられる。どうする? 記事にするか?」
エドワードの言葉に伊織は小さく首を振った。自分は警察じゃない。もしもこの仮説が当たっていたとしても、これを警察に伝える気もない。あの親友が犯人にしてもそうでないにしても、面白おかしく書き立てていい話じゃない。誰かが死んでいるのだ。
「書きません。これは記事にして面白がる話じゃない。僕はそう、思います」
「そうか。まぁ、その方がいいだろうな。こんな仮説を書いて誰かが信じ込んだら困るからな」
「はい! エドワードさん、今日は本当にありがとうございました! 少しだけスッキリしました」
騙された訳ではないのかもしれない。そう思えただけでもう十分だ。この事件を追うのはもう止めよう。
「ああ。またな、イオ」
「あ、あなたもイオって呼ぶんですか?」
「? あなたもってどういう意味だ?」
「クリストファーさんもそう呼んでたので」
それを言った途端、エドワードは苦虫を潰したような顔をして言った。
「イオリ。俺はこう呼ぶ事にする。それじゃあ、またな」
「あ、はい。お礼はまた持ってきます。ありがとうございました」
何となくクリストファーと同じような反応をするエドワードに笑いを噛み殺しながらフラットを出ると、編集長から連絡が入った。
『おい! お前、どこに居るんだ! お前が聞き込みに行ったあのジョンの親友が誰かに殺された!』
「……は?」
『現場に向かえ!』
「は、はい!」
一体何が起こったのかよく分からないまま伊織は走った。そして現場で見たのは、人だかりと救急車とパトカーだ。
「伊織!」
「? シンシア……さん?」
伊織は声のした方を向いて驚いた。そこには相変わらず立派なカメラを胸から下げたシンシアがこちらに駆け寄ってきていた。
「また会ったわね! こんな所で会うなんて……嫌だけど」
そう言ってシンシアは悲し気に視線を伏せた。
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