第9話

「そういえば四年前は誰とここに来たの?お友達?」

「いや、姉さん」

「お姉さんいたんだね。知らなかった」

「ちなみにね、妹もいるよ」

 私は、先ほどの律月が言ったように、あーなんかわかる気がする、と反応してみる。「なにそれ~」と律月がちょっと不満そうな反応をしたので、嘘だよ、と返事しておいた。嘘じゃないけれど。

 律月の纏う柔らかい雰囲気だったり、よくできた気遣いは女兄弟に仕込まれたんだなと気づき、とても納得がいった。言わないけれど。

「実はさ、姉さんもピアノ弾くんだよね。しかも結構しっかり。いや、弾いてた、の間違いかな」

「そうなのね。どうして辞めちゃったの?」

「指を事故で怪我しちゃって、それからピアノに触らなくなっちゃったんだ。コンクールで全国大会とかにも出てたんだよ」

「それは……。辛かっただろうな」

 私も幼い頃からずっとピアノを真剣に習っているので、お姉さんの気持ちを考えると、自分まで気分が沈んでしまうようだった。

「でも、僕姉さんのピアノ大好きだったんだよ。六歳離れてるんだけど、小さい頃から姉さんのピアノを聴いて育ったから。事故があって音大も辞めちゃったし、留学する予定だったのも全部なしになっちゃったんだ」

 たった一度の事故で人生をかけてきたことができなくなって、未来も真っ暗になって、どれだけ辛い思いをしたんだろうと、私は同情の気持ちでいっぱいになった。

「お姉さんの影響で、ピアノの曲に詳しかったのね」

「姉さんも、紗夜さんみたいなプレイヤーだったんだ」

「え」

「姉さんのピアノの音色からもいろんな色が見えたんだ。僕が音楽に色を感じたのは姉さんが最初で、毎日聴いてても飽きなかった。同じ曲を弾いてても、その日の気分とか天気で、演奏も見えてくる色も全然違ってね、それから……」

 途中から律月の話が耳に入ってこなくなった。

 (もしかして、お姉さんの代わりにされていた?お姉さんと同じような演奏をする私はお姉さんの下位互換だった?)

 そんな悲痛な考えが、私の心を一気に突き抜けた。

 心ここにあらずな様子の私に気づいた律月は、やっと声をかけたてきた。

「紗夜さん?」

「もう、帰ろう。あ、これ母にもらったんだけど、暇だったら妹さんとでも行ってきて。24日、予定があったら返してくれていいから。じゃあ」

 早口で口走りながら、私は椅子にかかったコートをもち、お金をテーブルに置いた。待って、という律月の声が、背中の方から小さく追いかけてきたけれど、無視して前へ進んだ。

 

 馬鹿みたい。ちょっと褒められたら喜んで、一緒にいる時間が楽しくなって。誰にも興味ないんでしょ、私。

 押し付けるように渡してきたクリスマスピアノコンサートも、律月と一緒に行きたくて、チケットも用意して。

 いつものように、柔らかい笑顔で喜んで受け取ってくれるだろうなと思っていた。

 刺すような寒さの夜だったが、そんなこと気にならないくらい、頭の中は混乱と絶望感でいっぱいだった。


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