第10話

 一週間後、私は第二音楽準備室で、クリスマスソングの練習をしていた。

 一昨日、欠席届を写真部の顧問に提出し、授業が終わると、音楽準備室には立ち寄らずに帰った。律月に会いたくなかったからだ。

 でも、これから毎回欠席届を出す羽目になるのも嫌だった。律月だって、訳も分からず急に帰った私に嫌悪感を抱いて、しばらく来ないんじゃないか、とも思った。

 今日は欠席届を出さなかった。

 下校時刻の三十分ほど前に、コンコンコン、とドアを控えめにノックする音が聞こえた。丁度曲を弾き終えた、無音の時だった。

「紗夜さん、入っていい?」

 ドアから顔をのぞかせた律月と目が合った。こんなに不安で、心配そうで、申し訳なさそうな表情の律月は初めて見た。

「どうぞ。別に私の部屋じゃないしここ」

 部屋に入ってきた律月は、音をたてないように優しくドアを閉めた。

「紗夜さん、この間はごめんね。僕、紗夜さんにとってすごく嫌な気持ちになるように伝えちゃったよね。ごめん」

「別に、平気よ」

「平気じゃないでしょ。僕は平気じゃないよ」

 まっすぐ私の目を見ながらゆっくりと近づいてきて、私が座るピアノ椅子の隣に立った。

「ちゃんと伝わるように話すから、聞いてもらってもいいかな」

 私は、律月の方に体を向けた。

 まっすぐ私の目を見ながら、律月は申し訳なさそうに話し始めた。

「僕、姉さんのピアノが今でも大好きなんだ。この間も散々語っちゃったように。でも、紗夜さんのピアノも大好きなんだよ。芸術に、同じ好きなんて存在しないと思うんだ」

「なにそれ」

「紗夜さんが一曲一曲違う色を僕に感じさせてくれるじゃない。演奏によって見える景色も感じる気持ちも違うし。その都度一回きりしか感じられないものが、音楽にはあると思うんだ。僕は、毎回ここに来て聞く紗夜さんのピアノの、一つ一つが大切で儚くて、大好きなんだよ」

「そう」

「だから、姉さんの演奏を、紗夜さんに重ねることなんて、絶対にしないよ」

 一度も目をそらさずに、いつになく真剣に話す律月の話を聞いて、私は自分の思考の短絡さを少し反省した。

「勘違いするようなこと言って、ごめんね」

「うん」

 もう一つ聞いてほしいことがあるんだけど」

「うん」

「僕、クリスマスコンサートは紗夜さんと一緒に行きたいんだけど。だめ、かな?」

 ああ、律月特有の柔らかい空気間に、呑まれてしまう。それが悔しかったけれど、意地を張らずに正直に答えた。

「私の一番好きなピアニストなの。だから私も楽しみにしてた。一緒に行きたかったのに、私の方こそ色々ごめんなさい。誘い返してくれて、ありがとう」

 律月は優しく暖かい笑顔で頷いた。

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