第3話

 翌日、新しく買った楽譜を持っていつものように第二音楽準備室へ向かった。早く弾きたい。今日は一日中譜読みをするのが楽しみだった。

 ドアを開けると、いつものように少し埃っぽい空間が広がっている。吹奏楽部が使わなくなった壊れた楽器や、滅多に授業で使われないお琴が置かれているこの部屋に、頻繁に出入りしているのは多分私くらいだ。 

 音楽の先生に許可を取って掃除しようかな。そう考えながら取り敢えずカーテンを開けて窓に手をかけると、窓ガラスの向こうに、昨日のお花屋さんの店員が花壇に水を遣っているのが見えた。今日も天気がいいらしく、光が眩しい。

 私に気づくと、彼は例の笑顔で手を振ってきた。

 どうも、とテキトーに返してカーテンを閉めようとすると、彼は「待ってよ〜」と困ったような笑顔を見せた。そして急いでホースの水を止めると駆け寄って来て、軽々と窓から教室に入り込み、準備室の床に着地した。

驚いて咄嗟に二歩くらい下がった。

「何」

「僕、榎本律月えのもとりつき。名乗るの遅くなってごめんね。君は?」

篠村紗夜しのむらさよよ」

「紗夜さんかー、数週間前から顔は知ってるのに、名前が分からなくって、ずっと知りたかったんだ。よろしくね、紗夜さん!」

 私はピアノ椅子に腰掛けながら、目も合わせずによろしく、と言った。我ながら感じ悪いな、とは思うものの、私は早く譜読みがしたいんだから、お花の水やりに戻ってくれ、というのが正直なところだ。

「僕ね、写真部なの。紗夜さんも同じでしょ? 僕もね、部活さぼって花壇の方に来てるんだ。ここに来る日が被るから、そうかなーって」

「そうよ」

  口数多いな。でも同じ部活だったんだ。幽霊部員同士だし、意外な共通点が見つかった。

 私は律月を気にせず楽譜を開いて目を通しながら、まずは右手から弾き始めてみる。

「ねえねえ、僕またここに来てもいい?」

「あー、いいんじゃない別に私の部屋じゃないしここ」

 楽譜に夢中だったのでよく考えもせずそう答えると、律月は嬉しそうにしながらまたね、と言ってまた窓から外へ出ていった。ご丁寧にカーテンを閉めてくれた。ピアノの音色を邪魔しないように、音を立てず、静かに。

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