第32話 きっとこの先も。

「グリーンゾーンのアップルパイを食べにいくぞ」

「え。ほんと!」

 明理は華やいだ顔を見せる。

 ここんところ美術部で毎日のように描いていた。

 いつも描いて全然うまくならない。

 嫌気がさしてきた。

 気分転換もかねて、遊園地での約束も果たすため。

 グリーンゾーンというお店はここから電車で三つ先の駅前にある。

 そこのアップルパイとなると午前中で売り切れ必至というほどの人気にんきっぷり。

 だから前の日に約束して日曜の朝、6時から並ぶ。

「六月だね~」

「ああ。少し肌寒いか?」

「そんなことはないけど、開店は9時だからね」

 早く来すぎたか。

 でもすでに並んでいる人はいる。俺たちは四組目か。

「すでに並んでいる。早く来て正解だったかもな」

「うん」

 俺が手持ち無沙汰にしていると、その手を握り出す明理。

 心臓が跳ね上がる。

「ど、どうした?」

「恋人なんだから、このくらい普通でしょ?」

「ああ。まあ、うん」

 しどろもどろになる俺。

 今まで恋人と意識していなかったから、こんなに緊張するのだろうか。

 それにしても可愛い。唇とかこんな形の良く整っていたんだな。

「うん。なに?」

 明理は小首をかしげ訊ねてくる。

「いや、ボブカットも似合っているな、って思って」

「ふふ。ありがと」

 その後はスマホを手にし、暇を潰す。


 9時になり、開店すると俺と明理はアップルパイを購入。近くのベンチで二人して食べる。もちろん、俺のおごりだ。

「二人で食べられて幸せ~♪」

 明理が嬉しそうにアップルパイを咀嚼する。

「ああ。本当にうまいな」

「不安?」

「え」

 声に乗っていたのか、不安だったことを知られてしまった。

「美大に行けるのか? って。そんなところでしょ」

「よく分かったな。さすが幼なじみ」

「恋人だからね」

 強気に出る明理。

「いや幼なじみだからだろ」

「いいえ。恋人だからよ!」

 さらに語気を強める明理。

「で、美大にいけるかは分からないでしょ。まだ三日よ。決めつけるのは早すぎるって」

「いや、でも小場禍大学に行っていれば、明理と一緒にいけるのに……」

「その話はやめ。祐介は美大に行く。そしてわたしを迎えに来て」

 美大にいっても食っていける保証はない。就職先もいいところにいけるわけでもない。

 そんな将来があやふやな男についていってもいいのか。

 こればかりは明理が決めることか。

「分かった。これからは言わない。でも、俺不安なんだよ。美大って難しいらしいし」

「合格率二百倍とも聴いたよ」

「マジか……」

 明理がため息を吐く。

「美大に本気ならそれくらい調べて起きなさいよ」

「わりぃ。絵を描くのに夢中で」

「はいはい。祐介は純粋だよ。一直線すぎる。少しは傾向と対策を」

 戦略的に、とでも言いたいのだろう。

 でも、俺は絵が好きだ。その気持ちがあれば入学できると思う。好きであれば少しでもうまくなるし、楽しさが伝わっていくと思う。

 これだけ描いてきたんだ。少しは絵が好きなことが伝わってきてはいないだろうか。

 でも、自分の好きをうまく表現するのが難しいんだよな。

「悩んでいないで、アップルパイを食べないの?」

 すっかり食べる手を止めていた。

 そこに横からぱくつく明理。

「えへへへ。ありがと」

 ちょっと涙目になる俺。

 食べられないよう、すぐにアップルパイにかじりつく俺。

「ちょっと! そんなに急いだら喉に詰まるよ!」

 すっとよこす緑茶。

 案の定、喉に突っかかりを覚える。

 慌てて緑茶を飲む。

「ほら。落ち着いて食べな」

「お前が盗み食いするからだろ」

「いいじゃない。少しは休まないと」

 そうだ。今日は休むために来ていたんだ。

 それがいつの間にか絵のことを考えていてしまった。

「明理はどうするつもりだ?」

「わたし? 第一志望を美大に、第二志望を小場禍大学にするつもり」

 そこまで追ってくれるのか。

 だとしたら俺は期待に応えなくてはいけない。

「負けないぞ」

「うん。負けない」

 誰に対しての宣言だか、分からないが俺と明理は誓い合う。


 アップルパイを食べ終えると、俺と明理は近くの万華鏡館に向かう。

 観光なんてないかと思っていたが、意外にもこういった美術館みたいのは各地にあるらしい。

 筒の中を覗けば、キラキラと輝く世界に引き込まれる。

「これ、絵に使えないかな……?」

「また絵のことを考えている。そんなに好きだったんだ?」

「え。ああ。そうらしい」

 なんで今まで絵の魅力に気がつかなかったのだろう。

 こんなに考えているのに。

 今まで何かがせき止めるように触れてこなかった。でもそれが決壊し、今では寝ても覚めても絵のことばかり。

 起きてすぐに鉛筆で下書きをする。寝る前に下書きをする。

 そんな生活を送っていたせいか。指が腱鞘炎になった。

「俺、こんなに絵が好きだったんだな」

「そんな祐介がわたしは好きだよ」

 明理の一言に心臓がドクンと跳ね上がる。

「はは。そんな言われ方したら、諦めきれないじゃないか」

「諦める?」

 そうだな。俺に諦めるは似合わないのかもな。

 俺は絵で生きていく。

 絵を描いて生きていく。

 それまで明理を待たせることになるかもしれない。

 それでも、俺は絵を描く。

 その先になにが待ち受けていたとしても、俺は明理と一緒に生きていく。

 絵を描き続けて。

 そのためならなんでもする。

 俺ならできる。そんな気がする。

 明理のため、俺のため。俺は俺の夢に徹する。

 万華鏡を見て、ふと絵のイメージができる。

 この散らばりが、集まると一つの顔になる――なんてどうだ?

 万華鏡館を出ると、俺はメモ帳に絵を描く。

「ありゃ、もうゾーンに入っちゃったか」

 明理の声は聞こえない。

 それくらい絵に集中していた。

「まるでプロの絵描きさんだ」

 嬉しそうにクスクスと笑う明理。

 書き終えるまで一時間はかかった。

 そんな俺に怒るでもなく、付き添ってくれている明理。

「わ、わりぃ。少しばかり気合いをいれすぎた」

「いいよ。それじゃあ、これから映画館にでもいこうか?」

「え」

 俺は呆然としていた。今日はアップルパイを食べるだけの日にしようとしていたんだから。

「いいじゃない。いい刺激になるでしょ?」

「それはそうだが……」

「ほら。そんな暗い顔しないの」

 早く帰ってこの絵を完成させたい。そう思っていたが、今日は気分転換で来ていたのだ。これでは本末転倒だ。

「そうだな。いこう」

 俺は映画館をめざし、電車に乗り込む。

 隣町にあるショッピングモールに併設された映画館。

 その受付前にたどり着く。

「さて。何をみるか?」

「うーん。何がいいかな?」

 明理は困ったように首をかしげる。

 今やっている映画を見てみると、どれも面白そうではある。

「恋愛ものか、アクションものか。それとも話題の妖怪の刃にするか?」

「妖怪の刃にしよっか?」

「雰囲気も何もないけどな」

 俺が苦笑する。こういったとき、もっとカップルで見る恋愛ものにすべきなのだろう。

 でも俺たちはそうじゃなくてもいいのだ。

「じゃあ、妖怪の刃で」

「分かった。買ってくる」

 俺は二席分買うと、ポップコーンと飲み物を買う。

 そして劇場内に入る。

 パクパクとポップコーンを食べながら観る映画は最高だった。

 しかし、なんでこんなにヒットしているのか。きっと宣伝と役者さんの配役が良かったのだろう。

 とあるサイトではエンパシー力というのがいいとも聴く。

 エンパシー。

 相手の立場を理解し、もし自分なら……と想像する力だったか。

 その理解を広める力。それは絵にも言えたこと。

 いや、絵だからこそ、エンパシー力が必要なのかもしれない。他者とのわかり合い。

 それがなければ、絵は自己完結されており、他者の考えをはじいてしまう。

 理解を促すための描き方があるはず。

 きっとそうだ。

 俺は何かをつかめた気がする。

 来て良かった。

 映画を見終わり、休憩スペースですぐに絵を描き始める。

「もう。ホントに絵バカなんだから」

 呆れたような声は聞き飽きた。

 それでも描く。俺にはその力がある。好きという力が。

 こうして明日も絵を描き続けるのだろう。

 きっとこの先も。

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