第31話 美術部

 連絡をとると、俺は美術部への入部を決める。

 絵が描きたい。絵の練習がしたい。

 今の俺はそれで頭がいっぱいだ。

 退院して次の日。

 俺は高校に行くと、さっそく美術室へ向かう。

 そこにあった自画像を描き直す。

 細部を絵の具で塗って書き足していく。

 はみ出した部分は削り取り、さらに書いていく。

 時間をかければかけるほど、素晴らしい出来映えになっていく。

 理想の自分と今の自分。その両方を描くことに深みが増していく。

 チラリと美術部員の絵を見る。

 うまい。

 色彩の使い方、絵一枚にかける思い。

 それらが段違いだ。

 俺にもあんな絵が描けるようになるのだろうか?

 疑問を抱きながらも、ペンを走らせる。

「あらあら。こんな朝早くから始めるなんて」

 鴻先生が澄んだ瞳をこちらに向ける。

「はい。少しでも早く完成させたくって」

「それもいいですが、そろそろ体育祭の時期、身体も鍛えなくちゃいけないですね」

「もうそんな時期ですか。でも俺、インドア派なので」

 クスリと笑い絵に書き足していく。

「そこ、書き足していますが、あえて希薄にするのも面白くありませんか?」

「希薄、薄くするんですか?」

「はい。それでメリハリがでて面白いと思います」

 俺は実践してみる。

 そして引きの位置で絵全体を見渡す。

「なるほど。確かにいいですね」

「そう、書いているうちは近寄るから全体像が見えないでしょう? でも引きの絵で見ると全体のバランスが見えてくる」

 得心いくと、美術部員が入ってくる。

「失礼します」

「あら。飯野いいのさん。おはようございます」

「おはようございます。先生、と……?」

「あ。今度入部することになった稲荷祐介です。よろしくお願いします」

「あの入院していた……。こちらこそよろしくお願いします」

 飯野さんは丁寧に頭を下げると、絵に向き合う。

 そして一気に書き上げる。

「う、うまい……」

 書き上げる速度も速いが、書かれている絵全体のバランスがずば抜けてうまいのだ。

「し、失礼します」

 遠慮がちに声が入ってくる。

「あ。祐介」

 明るい声に振り向くと、そこには明理がいた。

「あの、わたしも入部させてください。鴻先生」

「いいでしょう。これも青春の一ページですね」

 鴻先生に入部届をもらいにいく明理。次いでに俺も正式に入部届を書かないといけないらしい。

 ということで二人して職員室に向かう。

「なんで明理まで入部するんだよ」

「わたし、祐介のことなんでも知っておきたいの。だから仲間外れは嫌だもん」

「そうか」

 重い。

 もっと気楽に付き合える方が良かったんじゃないか?

 いいや、しょうがない。彼女も彼女なりに意識しているのだろう。それを否定することなんてできない。

「はい。入部届」

 二枚差し出されると、俺と明理がとる。

 そこに名前と学年、クラスを記入すると先生に渡す。

 判子を押し、コピーする。

「これで正式に美術部員になりました。分からないことがあったらなんでも聴いてください」

「「はい」」

 俺と明理は声をそろえて返事をする。


 入部手続きが終わると、さっそく美術部に向かう。

 飯野さんに加え横柳くん、半田はんださん、水口みなぐちさんがいる。

 全員美術部員なのだろう。

 絵を描いたり談笑したりしている。

 俺はその端で授業の絵を描き続ける。

 明理はみんなに交じって談笑をしている。

 なんのために入部したか、分からないな。

「えー。付き合っているの!? マジ?」

「マジマジ。あそこにいる稲荷さんと、でしょ?」

「う、うん」

 恋バナか。

 それにしても俺を引き合いに出さなくてもいいじゃないか。

 これじゃ集中できない。

 前に座っていた横柳くんがこちらに振り返る。

「すごいですね。あんな可愛い子と付き合えるなんて」

「何言ってんだよ。横柳くん」

「だって、付き合っている人なんて珍しいですよ。今のクラス」

「確かにな」

 俺は恥ずかしくなり、頬を掻く。

「それに麻里奈さんや菜乃さん、釘宮さんとも噂になっていましたよ」

「それは忘れてくれ。俺は明理一筋だから」

「きゃー、今の聞こえました!?」

 テンションの上がる水口さん。

 俺たちの会話を聴いていたらしい。

「明理一筋だから、なんて言われてみたいわ!」

 水口さんがほわほわした様子でほっぺに手を当てる。そのまま天にも昇りそうな顔をしている。

 いやまあいい。

「なんだかすいません」

 ばつの悪そうになった横柳くんが謝ってくる。

「いやいや、いいよ。事実だし」

「格好いいですね」

「そうか?」

「そうですよ。僕も言ってみたいものです。一筋なんて」

 メガネを外し、ふきふきとレンズをふく横柳くん。

「横柳くん。この絵、どう思う?」

 俺は自分の絵を横柳くんに見えるようにする。

「すごいですね。うまいです。でも美術部員にはこのくらい朝飯前です。もっと表現の幅を広げないと、美大には受かりませんよ?」

「あはは。そうか。厳しいんだな」

「そうです。って。美大に行くんですか?」

「ああ。そのつもりだ」

 こくりと頷く。

 これからのことを考えると小場禍大学に行くのがいいのかもしれないが、俺にはやりたいことがある。だったらそれを叶えるためにチャレンジしてみたい。

「だったらもっと教えます。僕にできることはなんでも言ってください」

「ど、どうした? 急に」

「自分、この美術部で一人男でした。だから男友達が欲しかったんです」

「だから友達料ってか。いらねーよ」

 横柳くんのアプローチに苦言を呈する。

「まあ、後輩ですからね。面倒みさせてください」

 なおも引き下がらない横柳くん。

「お前、それでいいのか?」

「いいです。素敵な絵が見たい。それで入部したので」

 それで俺にも協力的なのか。

 俺が魅力的な絵を描けば、横柳くんにとってもプラスになる、と。

 チャイムがなる。

「そろそろ朝のホームルームですね」

「ああ。急ごう」

 俺は絵の具や筆を片付ける。

 そして美術部を出ると、横柳くん、明理と一緒に駆け足でクラスに戻る。

「明理はそれで良かったのか?」

「うん。少しでもそばにいたいの。いさせて」

 美大までくるつもりはないのだろうけど。

 でも明理に絵心がないのは俺にだって知っている。

 子どもの頃から書いていて、俺の方がいつもうまかったから、そのうち俺も書かなくなっていった。

 明理が可愛そう。

 そう思って書かなくなった。

 気を遣ったのだ。

 だから元々絵を描くのは好きなのだ。

 それなのに、明理は俺とそばにいたいからという不純な動機で美術部に入っている。

 これでいいのか?

 分からない。

 でも分からないことだらけのこの世界で、俺は一つ答えを見つけた。

 それは明理と一緒にいて幸せにすること。心に誓った。

 絶対に幸せにする。


 ホームルームが終わり、授業を受けて数分。

 紙が回されている。

 どうやら放課後のカラオケに行く人を募る話らしい。俺のところにも回ってきた。

 俺は絵が書きたいからパス。

 まあ、明理は行くだろう。

 そう思っていた。

 でも、違った。

 明理も一緒に美術部に行くらしい。

 放課後になり、美術部に駆け込むと、俺はさっそく課題を書き始める。

「さあ、明理さんも書いてみせて」

 飯野先輩に言われて書き始める明理。

 課題はリンゴとバナナ、ブドウの模写だ。

 明理は震える手で書き始める。

「緊張しすぎよ。もっと楽にして」

 飯野先輩はそう告げると、深呼吸をする明理。

 模写はあまりうまくいかなかったが、それでも頑張って書いたのだろう。

 飯野先輩は難しい顔をする。

 やっぱり明理には向いていないかもしれない。

 それは明理も悟っている。

「ようし、じゃあ、線と曲線を描く練習をしよっか?」

 飯野先輩はそう言い、画用紙を取り出す。

 教育熱心な先輩だ。

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