第13話 叛意


「殿っ!!」


 石田方の陣に戻った助左衛門は、馬上から三成に呼び掛けた。


「おお、助左衛門。どうであった!? 島津は助勢してくれるか?」

「それが……」


 今し方、島津の陣で叱責された助左衛門は、馬を降りて三成の元に走り寄った。三成の前まで来て片膝を付き、


「申し訳ありませぬ!」


と、いきなり頭を下げて、謝罪した。その態度に三成は驚きと疑問を抱き、


「如何した?」


と問い掛けた。助左衛門は島津の陣所での出来事を語り、深く頭を垂れた。


「某の不徳のせいで、取り返しのつかぬことを……」

「よい。島津にも余力はないのであろう。然らば、狼煙を上げい! ちょうど、徳川の本隊が出て来ておる。松尾山の小早川殿に合図を送るのじゃ!」

「ははっ!」


 助左衛門は汚名を返上すべく、三成の命に従い、狼煙を上げさせに狼煙台へと向かった。すぐさま三成の陣所から、白い煙が空高く立ち上った。

 狼煙の合図で、小早川秀秋が松尾山を攻め降りる手筈となっていた。その打ち合わせに、三成自身が夜中にわざわざ、小早川の陣所にまで走ったのだ。確かに承った――と、小早川家の家老2人、稲葉正成いなばまさなり平岡頼勝ひらおかよりかつの言質を取った。

 今まで戦に加わっていなかった、新手の小早川秀秋の軍15,000余の参戦で戦局が変わる。一抹の不安はあったが、期待を込めて、三成は松尾山を見やった。



 石田隊の陣所から上る狼煙を見て、小早川秀秋は狼狽えた。傍に控える正成と頼勝の顔を窺い、


「石田の陣所の狼煙じゃ」


と、おどおどとした態度で、家臣の言葉を待った。秀秋はこれが初陣というわけではなかったが、僅か19歳の若武者であった。


 小早川秀秋は、秀吉の正室であった高台院(おね)の甥で、秀吉の後継者候補として養子となり、豊臣姓を名乗っていた。だが、秀吉に実子である秀頼が誕生し、跡目争いそのものがなくなり、後継者候補から外れることとなった。

 その後、毛利家を抱き込もうとする秀吉は、後嗣のいなかった毛利輝元の養子に――と毛利家に持ち掛けるが、毛利家の血縁者でない他家の者が当主になるのを防ぐために、小早川隆景が自分の養子にしたい――と申し出て、秀秋は小早川家に入ることになったのである。


 秀吉の血縁であることだけで出世した秀秋にとって、彼が自身でことを決めたという、確固たる自信が欲しかったのかもしれない。この度の戦では石田三成、徳川家康の双方から各陣営への勧誘があり、それぞれから好条件を提示されていた。

 しかしながら、秀秋は戦が始まってからも、どちらの陣営に付くべきか、迷って決しかねていたのである。

 それでも、三成からの狼煙を見て、秀秋もさすがに今が〝決断の時〟だと判断したのだ。


 定説では、去就を決めかねる秀秋に立腹した家康が、小早川秀秋の陣に鉄砲を撃ち込ませ、それに怯えた秀秋が西軍に討ち掛かる――というものである。だが、兵たちの歓声や怒声、騎馬のいななきに地響き、各陣営で発砲する火縄銃の轟音。これでは、鉄砲を撃ち込ませても、どの陣営の発砲音かが分からない。それに広い戦場では、さすがに鉄砲でも射程距離の範囲外だ。

 実際には、何度も使者を送ったものと思われる。

 

 それはともかく、家老の正成は秀秋に、決意を促すように問い掛けた。


「殿。ようござりまするな?」

「正成、頼勝。内府殿に味方して、間違いないのじゃな?」

「はっ。内府殿なれば、この戦、必ずや勝ちましょう。戦とは〝勝って〟こそ」

「うむ……」

「また、治部少輔殿に付けば、小早川家の先行きは危うくなりましょう。先年のこと、お忘れにございますか?」

「わ、忘れてなど……おらぬ」


 慶長の役後、秀秋は転封されており、しかも、それは減封であった。その際、旧領を一時的に預かった1人が、石田三成であったのだ。秀秋がそのことを恨みに思っていたかは定かではないが、因縁があったのは間違いない。


「では、よろしいですな? そろそろ動かねば、内府殿の心証も悪くなりましょう」

「う、うむ」

「然らば……」


 そう言って、秀秋の騎乗を見届けた正成と頼勝は、待機する兵たちに下知を飛ばした。


「これより! 我らは出陣する! 目指すは大谷吉継の陣! 掛かれぇっ!!」

『おおおっー!!』


 兵たちは手にした得物を掲げて、鬨の声を上げ、一斉に松尾山を駆け下り出した。小早川隊15,000余の目標は松尾山の麓。そこに陣取る大谷吉継の陣所であった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る