第14話 奮戦


「5番隊、前へ! 3番隊 は退けいっ!」

「殿っ! あれをっ! 小早川隊が!」

「何じゃ!?」


 正面の藤堂高虎とうどうたかとら隊、京極高知きょうごくたかとも隊と互角に渡り合っていた大谷吉継は、自らの乗る輿の傍で補佐をしてくれていた近習の声に振り返った。視界には、松尾山を下りて来た小早川隊が見えた。ただし、その向かう先は――。


「む? 小早川の小童め、裏切ったな!!」


 小早川隊の目指す先は――こちらであった。まっすぐに、へ向かってくる。吉継は陣形を小早川隊へとの向け、


「怯むな! 裏切り者に、我らの意地を見せてやれいっ!!」


と軍配を振るい、兵を鼓舞した。


『おおおーっ!』


 兵たちも吉継の叱咤に応え、怒涛の如く攻め寄せる小早川隊を迎え撃った。しかし、大谷隊は僅か5,000。だが、吉継の付近に布陣する他の諸将およそ5,000を含めると、総勢10,000余。対する小早川隊は15,000の兵である。数の上では、けして引けを取らない――はずであった。

 ところが、密かに東軍と内通していた脇坂安治隊が突如として大谷隊に討ち掛かり、これに呼応した小川祐忠隊、朽木元綱隊、赤座直保隊も東軍優勢と見て、側面より大谷隊を攻撃し始めた。

 4,000余りの兵が寝返ったのである。これで彼我の戦力差は6,000余対19,000余。3倍ほどの戦力差となっていた。乱戦でこれでは、勝機はない。

 戸田勝成、平塚為広の2将は大谷吉継とともに、小早川隊その他と奮戦。とはいえ、寡兵であることは変わりなく、3倍の兵力差そのままに乱戦の中で討ち死にした。

 正面の東軍――藤堂隊と京極隊、小早川隊、脇坂隊ら――と三方からの攻勢に、大谷隊は持ち堪えることが出来ずに崩れ、潰走。輿に乗って采配していた吉継は、配下の者が担ぐ輿では逃げ切れぬと判断し、


「もうよい。隆貞」


と、敗走の最中も付き従っていた家臣の湯浅隆貞ゆあさたかさだに声を掛けた。


「はっ」

「輿を下ろせ」

「はっ」


 隆貞は、地面に降ろされた輿上の吉継の傍に寄った。そして、主君の言葉を待った。


「輿では逃げ切れぬ。輿を担ぐ者たちの身も危うい。最早これまで。無念ではあるが、儂はここで自刃する」

「殿……」

「隆貞、介錯を頼む。それからな、この顔を敵に晒すことは恥辱であるから、首を刎ねたら、何処ぞに埋めてしまえ」

「……かしこまりました」

「その方らも逃げよ。今まで、よく尽くしてくれた。感謝しておる」

「殿……!」


 顔前に抜いた脇差を掲げた吉継は、何故か、太閤・秀吉が生前に開催した茶会での出来事が、唐突に頭を過ぎった。



 ある日、秀吉は子飼いの武将たちを集め、労いの茶会を催した。

 秀吉自らが、茶を淹れて諸将を持て成したのである。淹れられた茶は各将が回し飲みをしていった。

 大谷吉継の番になり、吉継は覆面を摘まみ上げて、茶を飲もうとしたが、その時、病んだ顔から膿が茶腕に、ぽとりと落ちた。落ちた膿は僅かであったが、それに気付いた諸将も、吉継自身も、これをどうしたものかと身動みじろぎも出来ずにいた。知恵者の石田三成ですら、思考が止まってしまっていた。次の番であった福島正則や、その次の加藤清正かとうきよまさなどは露骨に顔を顰めた。

(あの茶を飲むのか?)――と。

 それを吉継は責める気にはならなかった。不治の病を得た者の膿が落ちた茶など、誰が飲めようか?

 もし、他の誰かが同じ病で、もし自分が健康な体であったなら、吉継も同じように思っただろう。

 動けぬ吉継に、


「吉継。その椀を返せ」


と、声が掛かった。秀吉であった。


「は……? は、ははっ! 申し訳ありませぬ。ご無礼を致し……」


 慌てて、茶椀を返し、平身低頭で謝る吉継を見て、これであの茶を飲まずに済む――と胸を撫で下ろす者。それ見たことか――と吉継を見下す者。太閤殿下のお淹れ下さった茶を台無しにしては、只では済むまい――と太閤の勘気に恐れをなす者。

 その場にいた者が、様々な思いでいた。しかし――。


「その茶は、淹れ損なった。済まなんだな。吉継」


と、秀吉はいつもの穏やかな口調で言うなり、椀に残っていた茶を、一息に飲み干した。


「で、殿下……?」


 吉継はもとより、福島正則も加藤清正も、他の者たちも皆が呆気にとられていた。秀吉は代わりの椀を取りに行かせていた小姓を手招き、


「どれ。正則、すぐに茶を淹れてやるからの」


と、何事もなかったかのように、新たな茶を淹れて、福島正則に差し出した。

 〝人たらし〟の秀吉の面目躍如めんもくやくじょ

 茶会にいた者全てが、この方になら、忠誠を誓おう――と思ったのである。



 この期に及んで思い出すのが、あの茶会での出来事とは――。

 吉継は顔を隠した覆面の下で、我知らず、微笑んでいた。

(願わくば、来世でも主従であらんことを……)


 病で醜くなった顔を敵方に見られるのを良しとせず、『この首を持ち去れ』と言い残して、大谷吉継は自ら腹を割った。隆貞は遺命に従い、介錯した吉継の首を持ち去り、何処かへ埋めた。


 大谷隊の瓦解を皮切りにして、西軍の諸将の陣も崩れ出した。


「退くな! 戦えっ!」

「殿! これ以上は無理でございます。今は退き、捲土重来を期するべきかと……」

「むぅ……。分かった! 退けい! 退けいっ!!」


 辛うじて戦線を維持していた宇喜多秀家隊、そして小西行長隊も敗走を始めた。それは、石田三成も同様であった。


「無念。ここは潔く討ち死にを……」

「なりませぬ! 殿はお役目をお忘れかっ?」

「何と?」

「殿のお役目は豊臣を、秀頼様をお護りすることでございましょう」

「お、おお……そうであった」

「なれば、今は退き、佐和山城に向かいくださいますよう、お願い申し上げまする」

「佐和山へ?」

「佐和山城には、お父上様も兄上様もおられます。どうか、佐和山城で再びお起ちくださいますよう、重ねてお願い申し上げまする」

「相分かった。その方の申す通りじゃ」


 三成は馬に乗り、佐和山城目指して、落ちて行った。

 未の正刻(14時)頃には西軍の全てが敗走し、雌雄は決した。


 そんな中、ただ島津隊だけが、未だ動かずにいたのである。



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