第12話 焦燥



 島左近の戦死後も各戦線では一進一退の攻防が続き、石田隊は黒田長政隊、細川忠興隊、加藤嘉明隊に絶え間なく攻め立てられ、苦戦していた。

 やがてこく(午前9時)頃、石田隊の第一陣が崩れた。しかし、三成自身が陣頭に立って指揮を執ったため、大きく崩れることはなく、陣を維持していた。



 その頃、桃配山の家康は気が気でなかった。この戦に勝てば〝天下人〟の座が、グッと近くなるというのに、こんな後方の本陣では、その趨勢がよく分からない。最前線から遠すぎるのだ。本陣内の陣卓前をウロウロと忙しなく歩き回っていた家康は、正純に声を掛けた。


「ええい、戦はどうなっておるのだ?」

「はっ。一進一退の状況かと」

「南宮山の毛利勢は?」

「動く気配はありませぬ。吉川殿が、約束通りに抑えているものと……」

「広家ならば心配はなかろうが、万が一ということもある。輝政らに、用心しろと伝えよ」

「畏まりました」

「いつまでも、こんな後ろからでは戦況が分からん。もっと前に行くぞ!」

「は? ははっ」


 一瞬、意図を計り損ねた正純であったが、すぐに察し、応えた。近習たちが慌てて、片付けや移動の準備を始めた。家康はずかずかと帷幕を出て、用意された馬に跨った。


「小早川はどうなった?」

「まだ、松尾山から動きはありませぬ」

小童こわっぱめ! まだ決しかねておるのか!」


 イライラする気持ちを落ち着けようと、家康はゆったりと馬を進めた。それでも鞍上の気持ちを汲み取った馬が、落ち着かない足取りで進む。


 誰もが、家康公といえば、この画――という恰幅のいい『肖像』と『鳴かぬなら 鳴くまで待とう 不如帰ほととぎす』の句のせいで、我慢強い、老練な狸親爺の印象を持っているであろうが、様々な資料から伺い知れる本来の気性は〝せっかち〟で〝短気〟であったようだ。

 そんな気性を忍耐強いものに変えたのは、幼少期からの〝人質〟生活だったようである。最初は織田家、次いで今川家で長い期間を人質として暮らしてきた家康は、人生が儘ならないものである――と、学んだのだ。

 もっとも、織田家はともかく、今川家では家康を、〝人質〟としては異例なくらいに厚遇している。これは、家康を今川家の直臣にして、間接的に三河を支配しようとする思惑もあったようだ。

 さらに、今川家の軍師、家宰で、今川義元の師でもあった太原崇孚たいげんそうふ雪斎せっさい)が、学問を教えたという説もあるが、こちらには異論もあり、定かではない。


 それはともかく、家康は桃配山を下りて、のちに『陣馬野』という地名になったあたりまで進出したが、多くの兵を引き連れて家康本隊が動いたのである。それだけで、他を圧するものがあった。

 東軍に属している各隊は、家康にいいところを見せようと奮戦し、西軍の各隊は家康本隊の進出に気圧され、東軍各隊の攻勢に圧され始めた。

 それは石田隊も同様であった。うま初刻しょこく(午前11時)頃、対峙する黒田隊、細川隊、加藤隊に、入れ代わり立ち代わりに攻められて、次第に柵内に押し込められるという有様であった。そこで三成は、八十島助左衛門を呼び、


「助左衛門!」

「はっ」

「すぐさま島津殿の元へおもむき、助力を求めてまいれ!」

「ははっ! 直ちに!」

「細川忠興の側面を突け、とな」

「はっ! かしこまりました」


と、三成に命じられた助左衛門は馬を駆り、三成の陣から見て、南方に布陣していた島津義弘隊の元へと疾った。


 島津隊1,500余は開戦直後から動くこともなく、ただ戦場で、じっと待機しているばかりであった。そこへ、助左衛門は駆け付け、


「石田三成が家臣、八十島助左衛門でござる! 我が殿から、『島津殿には、細川忠興の側面を突いて頂きたい』との伝言でございまする!」

「無礼者! 馬上より言上するとは何ごとぞ! 我ら島津は、三成の家臣ではない! とく下がれ!!」


 助左衛門の態度に立腹した島津豊久しまづとよひさが、そう怒鳴り、追い返した。

 そもそもが戦力不足の島津は、自陣を維持するだけで手一杯であり、助左衛門の態度を、助勢を断る口実にしたのである。もっとも、島津勢は最初から戦を傍観する腹積もりであったと見えて、退却戦まではどことも一戦も交えることなく、戦局が決するまで動かなかった。



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