第11話 序盤戦



 「長槍隊、前へ!! 弓隊は援護! 放てぇ!!」


 正則は矢継ぎ早に各隊に命令を飛ばした。正則の指示を受けて、陣鐘や陣太鼓が打ち鳴らされた。あらかじめ決められた合図通りに、長槍隊が進み出た。その前方へと弓隊の放った矢が、雨あられと宇喜多秀家の長槍隊へと降り注ぐ。

 この時代、槍は三けん半(約6.3メートル)もの長さが主流となり、足軽は槍先を並べる、『槍衾やりぶすま』を作って、相手方と穂先をガチャガチャと打ち合う戦法が多用されるようになっていた。弓隊は、そこへと矢を射込むのである。

 防具としては〝胴丸〟や〝腹巻〟などが普及していたものの、足軽にあてがわれるのは軽量で簡易な、防御の面で見劣る代物である。首や胸元、肩口などは覆われておらず、上空から飛来する矢はそれなりに効果があった。

 矢を射込まれ、バタバタと倒れる足軽も少なからずいたし、鎧の隙間に槍の刃を突き入れられて死ぬ者もいた。別の場所では、騎馬が地響きを立てて疾駆し、速さと馬の重厚さで足軽隊を蹂躙した。敵味方入り乱れて、戦場は一進一退の様相。

 だが、戦いはまだ始まったばかりであった。

 


 石田三成の陣でも、俄かにせわしくなり、怒声が飛び交っていた。三成は、黒田長政、細川忠興、加藤嘉明の各軍勢の攻撃を受け、対応に追われていた。先陣で島左近しまさこんが奮闘し、戦線を維持していた。

 島左近は石田三成に礼を尽くして迎えられた重臣であった。三成は左近に2万石の禄を出して迎え入れたという。三成はまだ4万石の身であったから、その知行の半分を差し出すという、破格の待遇であった。

 異説では、19万石の佐和山城主になってから召し抱えた――ともいわれているが、いずれにしても厚遇である。


『冶部少(三成)に過ぎたるもの、二つあり。島の左近に佐和山の城』


と謳われるほどの武将であった。

 左近は合戦前日にも、まだ江戸のいると思われていた家康の赤坂、岡山着陣に動揺した西軍を鼓舞するべく、僅か兵500余を率いて、東軍の中村一栄なかむらかずしげ有馬豊氏ありまとようじ両隊と杭瀬川付近で交戦。この緒戦において、首級30余を上げて勝利していた。

 左近は、その勢いを以って奇襲を敢行し、東軍を討つべし――と主張するも、慎重な三成に策を退けられている。


 それはともかく、陣頭で奮戦した左近が率いる石田隊の勢いは他を圧倒するほどで、黒田長政隊では多大な犠牲を出していた。

「これではいかん」と考えた長政は配下の菅正利かんまさとしに鉄砲隊を率いさせ、側面より銃撃するように指示。馬上にあった左近は負傷し、後退を余儀なくされた。


「何っ!? 左近が?」


 島左近、負傷――。

 その報は、自らも陣頭で指揮を執っていた三成にももたらされた。三成は喧噪の中、左近の元に駆け付けた。


「左近! しっかりせい!!」

「殿……。不覚にございます……」


 三成の呼び掛けに、血の気を失った顔色の左近がようよう言った。その顔色を見て三成は、左近がもう長くないことを知った。だが、それでもなお、左近を叱咤するように声を掛ける。


「何を言う。左近ともあろう者が、これしきの傷で……」

「……申し訳ございませぬ。左近、これにて……失礼……仕ります……る……」

「左近……!」


 石田隊、そして西軍にとって、島左近の死は誤算であった。しかも序盤で――である。左近の戦死の報は西軍を駈け廻り、各隊では動揺、或いは士気の低下を招き、その後の戦に影響を与えることとなった。



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