最終話 英雄閣下の申し込み。

 ベルクール公爵邸で行われている、豪華な結婚式。たくさんの花々と、社交界でも名だたる貴族たちが集まった式は、夫人や令嬢たちの華美なドレスの鮮やかさもあって、アルベールが考えていた以上に華やかな会場となっていた。


 そんな華々しい会場も、人々も、本日の主役の存在感を損なわせることはない。アルベールの瞳と同じ、王族の藍色を身に纏ったカミーユは、それほど、際立って美しかった。




「ベルクール公爵家らしいというべきか、品の良い華美さだな。準備はカミーユ嬢が主導して準備したのだろう? 何だ。心配などいらなかったようだな」




 国の忠臣であるベルクール公爵家の、幼馴染でもあり、英雄としても名高いアルベールの結婚式ということで、国王テオフィルもその場に顔を出してくれていた。もちろん、限られた時間のため、すぐに王宮に取って返すだろうけれど。


 少し離れた位置で、招待客と言葉を交わすカミーユを眺めながら、アルベールは真面目な顔で、「カミーユのことを心配するのは私の特権ですので、お控えください」と応える。いつも通りの態度に、やはりいつも通りの呆れたような顔で、「心が狭い……」とテオフィルは零していた。




「それにしても、……意外だった。お前が彼女を殺さないとはな。私としては助かるが」





 ぼそりと、周囲に聞き取れないように低く囁かれた言葉。一瞬、何のことか分からずに首を傾げるも、ああ、と思い直す。


 自分が殺したくなるはずの女など、それほど多くはないから。




「トルイユ侯爵令嬢、……というと誤解を生むな。セシル嬢のことか。……もちろん、殺そうと思った。あの場で私が毒を飲めば、彼女も飲んでくれそうだったからな。俺は解毒薬も持っていたし、そもそも耐性のある毒だったから」




 声を落とし、周囲の気配に気を配りながら、砕けた口調でそう応えた。


 無理心中を試みた、とされるには丁度良い状況だった。皇位継承権のある自分はたくさんの毒に身体を慣らして成長している。彼女が使おうとしていた毒もまた、そのうちの一つだったから。

 だからこそ、あの毒の精製方法を彼女に流したのだ。


 トルイユ侯爵家にいる、社交界の華と呼ばれる双子の令嬢。妹のフランシーヌがそう呼ばれる影で、『幻の』と頭に着けて呼ばれるのが、姉のセシル・エモニエである。身体が弱く、滅多に社交界に出てくることがないため、そう呼ばれていた。


 そのためか、彼女は薬草に精通しており、懇意にしている薬売りも数多く存在している。こちらの手の者を紛れ込ませるのは、簡単なことだった。


 そうして、商売の合間の他愛ない会話で、彼女が興味を持つように毒の話をさせたのだ。彼女がカミーユに危害を加えようとしていることは分かっていたから、話の誘導も難しくはないだろう、と。案の定、まるで偶然のように作られる危険な薬草茶の話に、彼女はあっさりと食いついたそうだ。


 この毒を選んだのには、彼女に興味を持たれやすいという以外にも理由がある。元々が薬草であることも有り、もし誤って口にしたとしても、すぐに解毒剤さえ飲めば、後遺症も残らないのである。カミーユが万が一飲んでしまった場合を考えて、アルベールもまた解毒剤を持って彼女の後を追い、トルイユ侯爵家を訪問したのだった。




 もともと、あの女とは話をするつもりだったが……。実際に目の前で、カミーユが毒を手にしているのを見たら……。




 本当に、ぞっとした。肝が冷える、とはこういうことを言うのだろう。これほどまでに恐ろしいことがあるだろうかと、そう思うほどに。


 もしかしたら、カミーユが誤って毒を口にするかもしれないと、そう思ってはいた。だからこそ、自分はそこにいたし、解毒剤は確かに自分の手の中にあって、彼女が死ぬことなど万が一にも有り得ないと、そう分かっていたのに。


 そもそも、当初の予定では、カミーユの傍らに座り、彼女の手元にあるはずの毒をアルベールが口にするつもりだった。それが一番、手っ取り早い方法だったから。けれど。


 どうしても、命を脅かす者の傍に、カミーユを置いてはおけなかった。頭で理解していても、受け入れられなかったのだ。万が一など、絶対にあってはならない。そう思ったからこそ、回りくどい会話を使って、セシルが自分を殺そうとするように仕向けたのである。


 ではなぜそのまま、セシルの死を見届けなかったのか。それはそれで、簡単なことだった。




「確かに、見殺しにすることも出来た。だが、……あの場で殺してしまえば、カミーユの心に残ってしまう。状況を説明し、自分を殺そうとした相手だと思えば、最初こそ納得してくれるかもしれないが……。時が経つにつれ、自分のせいだと思う瞬間がないとは限らない。彼女は、人を殺して英雄と呼ばれる俺とは違うから」




 自分がアルベールの婚約者となってしまったから、セシルが無理心中を試みる程に追い詰めたのではないか、と。


 アルベールにとってそれは、カミーユの命が危機に曝されるのと同じくらい、恐ろしい事だった。


 騎士の本分は、守ること。カミーユの心の平穏まで、全てを守る。そう考えた時、彼女の心に傷を付けるかもしれない事件を引き起こすのは、絶対に違うと思ったのだ。


 それに、アルベールがセシルを見殺しにしたとカミーユが知れば、彼女はどう感じるだろうかとも、思った。彼女が自分に怯え、距離を取ってしまったら。そのような人間だとは思わなかったと、そんな風に言われたら。


 考えただけでも、怖くて仕方がなくて。結局、命を取ることをしなかったのである。


 だからといって、あの女を野放しにする気は毛頭ないが。




「そう言うな。お前のおかげで、助かった人もたくさんいるのだから。……まあ、彼女の収容先は、『絞首台』と呼ばれている、キャージュ修道院だ。そう遠くない未来に、かの修道院で修道女が死んだと聞くことになるだろうが、……残念ながら、俗世の名前を捨てた人間だ。それが誰かは分からないだろうな」




 罪を犯した貴族令嬢が収容される修道院。その中でも、特に過酷な環境であると言われるのが、隣国との国境付近にある、キャージュ修道院である。他の修道院とは違い、あえて劣悪な環境のまま留められたそこは、馴染むことが出来ずに自殺する者が多い。そのため、絞首台と呼ばれるのである。


 セシルという女は、皇位継承権を持つアルベールを殺そうとしたため、反逆の罪でそこに送られることとなった。その上、彼女はすでに三人もの人間を殺害していた。その三人とは、先の王宮の舞踏会でカミーユを陥れようとした、使用人と元侯爵家、元伯爵家の令息である。


 テオフィルが付けていた騎士たちの目の前で、セシルが指示したらしい近くの街に住む人間が彼らを訪問し、差し入れたのが、例の薬草茶の茶葉だったらしい。騎士たちは建物の中までは入れず、知らぬ間に息を引き取っていたとか。次に使用人代わりの村人が建物の中へ入って、初めて気付いたという。


 彼女の家の侍女たちや使用人たちは、彼女に心酔しているらしく全く口を割らなかったが、亡くなった三人を世話していた臨時の使用人たちは、自らの罪を軽くするために、すぐさま口を割ったそうだ。セシルが指示したのだ、と。それだけであれば、言い逃れも出来たかもしれないが、カミーユやアルベールに出した毒と同じ物であったため、さすがに逃げようがなかった。


 いくら勘当されているとはいえ、侯爵家と伯爵家の血筋の者を殺害した罪は重い。彼女の父親であるトルイユ侯爵でさえ、何も言えないようだった。


 だからこそ、キャージュ修道院に送ることになったのだが。「そう遠くない未来、とは生温いことを」と、アルベールはぼそりと呟いた。




「俺はあの女に、簡単に死んで欲しくはない。……カミーユと同じ恐怖を嫌という程味わわせた後で、自ら命を絶ってもらわなくては」




 それを、カミーユが知ることは、一生ないとしても。

 冷えた眼差しで、楽しそうに語るアルベールに、テオフィルはぞっとしたように目を逸らすと、「聞いたら止めねばならないから、何も聞かないでおこう」と言って頭を抱えていた。


 それから半年ほど経った頃、一人の修道女が修道院から逃げ出し、ならず者の男たちに襲われた挙句、自ら命を絶ったとテオフィルは聞かされるのだが、それはまた別の話である。




「セシル嬢を切り捨てることにしたから、トルイユ侯爵家は罪に問わなかった。かなり調べてはみたが、お前の叔母である夫人も、この件には全く関係なかったようだからな。……それにしても、フランシーヌ嬢はなぜあの日、カミーユ嬢を屋敷に呼んだのだろうか。セシル嬢に騙されて屋敷にいなかったようだが、カミーユ嬢を呼んだのは間違いなく彼女だったのだろう?」




 使用人から受け取った、銀の杯に注がれた酒を口にしながら、テオフィルは不思議そうに問うてくる。ちらりと視線を向けた先には、件のトルイユ侯爵家の面々の姿があった。セシル嬢の件は内密に処理したため、親戚筋に当たる彼らは、結婚式に招待することになったのである。


 顔を見せなければ何かあったと思われるため、欠席することは出来なかったのだろう。その表情は、あまり明るいものではなかったが。


 「セシル嬢について、警告するつもりだったようだ」と、アルベールはテオフィルの問いに答えた。




「同じ屋敷に住んでいるのだから、姉の動きがおかしいことぐらい気付いていた、と。姉にも声をかけたそうだが、聞く耳を持たなかったらしい。……昔から、思い込みが激しかったからな」




 アルベールの母であるベルクール公爵夫人と、彼女の妹であり、セシルの母であるトルイユ侯爵夫人が、まだアルベールたちが幼い頃に言った言葉。アルベールとセシルの結婚を匂わす会話を、心から信じるくらいには。


 そしてその思い込みを、周囲を巻き込んで信じさせていく。そんな少女だった。まさか、今でも変わらないとは思ってもいなかったが。


 フランシーヌはあの後、自らカミーユの元を訪れて頭を下げていた。自分が招待したから、危険に曝してしまった、と。姉を止められなかった自分のせいだ、と。


 あくまでも、セシルが自分の判断で行ったこと。気にする必要はないのだと、そう、カミーユは彼女に告げていたけれど。フランシーヌは、それに頷くことが出来ない様子だった。一番近くにいながら、姉の凶行を止められなかったのである。何事もなかったから良かったとはいえ、事が起こっていれば、トルイユ侯爵家そのものにも罰を与えられたであろう出来事だったのだから。もちろん、最後には深々と礼を言って去って行ったわけだが。


 アルベールからすれば、カミーユに借りのある人間が一人増えたという認識でしかなかったため、二人の会話に口を挟む気もなかった。これから、カミーユが自分の伴侶として生きていくためにも、味方は一人でも多い方が良いのである。社交界の華として名高い、トルイユ侯爵令嬢ともなれば、強い味方になってくれるだろう。




 それもこれも、カミーユの器の大きさだな。




 もう少し小言を言っても良いだろうに、彼女は決してそれを口にしないから。自らは強くあらねばと頑張っているのが見て取れると言うのに、それを周囲には強要しない。だからこそ、誰もが皆、感謝の言葉を残し、その優しさを記憶に残す。


 カミーユらしいと、そう思った。初めて会った時からずっと、変わらない。愛しい愛しい、ただ一人の人。




「アルベール様」




 離れた所から聞こえた声に、アルベールはさっと顔を上げる。他の誰の声よりもしっかりと耳に入る、愛らしい声。「ほら、主役はさっさと行け」とテオフィルが言うのに頷き、簡易の礼の形を取った後、自分の名を呼ぶ声の方へと足を進めた。


 今日、この場には、ベルクール公爵家の身内や、古くからの付き合いのある貴族たち、エルヴィユ子爵家の親族の姿があった。そしてテオフィルや、先日から随分と世話になった、セーデン伯爵家の令息、ディオン、そしてカミーユの妹、エレーヌの婚約者である、ジョエルなどが招待されている。皆が皆、話すのを止めて、明るい表情で主役の二人を見守っていた。


 花々が飾られた壇上には、見届け人である司祭の姿。そこまで続くカーペットの途中で待つ、優しく微笑む、愛しい人。


 彼女と結ばれないと知り、戦争に行くことを決めた過去の自分が見たら、どう思うだろうか。信じられないと言って、夢だと思い込むだろう。そんなことを、本気で思った。




「……アルベール様。実は私、アルベール様に結婚を申し込まれた時は、本当に結婚するなんて、夢にも思っていませんでした」




 壇上へと向かう道すがら、傍らに寄り添う彼女は、そうぽつりと呟いた。周囲に聞こえないように、潜めた声で、「今まで、言えなかったのですけれど」と言う彼女は、楽しそうに笑っていた。




「身分も、容姿も、……あの時は知らなかったでしょうけれど、私が抱えている問題も。何一つ、あなたには釣り合わないのですもの。婚約を解消した私を可哀想に思って、アルベール様が結婚を申し込んでくれたのだと、そう思ったのです」




「……ふむ。あの状況を思えば、そう思われても、仕方がないかもしれぬな」




 驚いた顔をした彼女の顔を覚えている。当然の事だろう。自分は彼女を知っているけれど、彼女は英雄と呼ばれる自分のことを、よく知らないのだから。


 アルベールが言えば、彼女はこくりと頷く。「だから、今、とても不思議な気分なのです」と、彼女は続けた。




「本当に、現実なのか。実はまだ、あの婚約解消の日よりも前で、私は眠っていて、夢を見ているのではないかしら。何度も、本気で思いましたし、今でも思っています。……まるで夢みたいだと思うくらいには、幸せなのです。これからずっと、アルベール様の傍にいられることが」




 「あの日、結婚を申し込んでくださって、本当にありがとうございました」と、彼女は微笑む。本当に、幸せそうな表情で。


 その笑みにつられて、アルベールも笑った。それは全てこちらの台詞だと、そう思いながら足を止めて。


 一度彼女の腕を放して、その場で跪く。まだ司祭の待つ壇上に辿り着く前の出来事に、客人たちは皆一様に、不思議そうな表情を向けていた。


 「……アルベール様?」と、同じく不思議そうに言う彼女に、笑みを深める。「一度目の求婚のやり直しだな」と言って、アルベールはカミーユの手を取った。




「この命ある限り、君を想い、君を守り、幸せにすると誓おう。……カミーユ・カルリエ嬢に、結婚を申し込みたい。この、アルベール・ブランと、生涯を共にしてくれ」




 真っ直ぐな求婚の言葉に、周囲が息を呑むのが聞こえた。少女たちの羨ましそうな悲鳴が耳に届く。


 カミーユは何度もその赤く見える茶色の瞳を瞬かせた後、泣きそうな顔で笑った。「……もちろんですわ」と言って。


 こくり、と頷く彼女の手の甲に口付けてから、立ち上がる。その耳元で、「愛している」と囁けば、彼女は顔を真っ赤にして、「私も、その、……愛しております」と返してくれた。


 二人揃って、再び司祭の元へと進んで行く。彼女からの告白による喜びと、愛らしい彼女への愛しさが募り、表情が緩むけれど、隠すわけにもいかず。壇上に登り、周囲の招待客たちの祝福と、ほんの数人の呆れた顔の中で、二人は生涯を誓った。


 後に結婚式に呼ばれていた者は誰もが口にする。それは、今まで微笑むことさえ碌にしなかった英雄閣下が見せた、数ある内で一番最初の、本当に幸せそうな笑みだった、と。

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英雄閣下の素知らぬ溺愛 蒼月ヤミ @yukinokakera

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