第25.5話 最初で最後の笑み

 侍女に導かれて部屋に現れたその女は、こちらを見て一瞬だけ不思議そうな顔になった後、礼の形を取った。目上の者に対する、礼の形を。


 そこは、この屋敷の中で最も日の当たる、暖かなサンルーム。自分と目の前の女以外、誰もいないその部屋で、二人はテーブルを挟み、向かい合って腰掛けた。テーブルの上には、可愛らしい生菓子と、空のティーカップ、そして熱いお茶が満ちたティーポットが置かれている。


 見るからに平凡な女。変わった瞳の色をしており、整った容貌ではあるが、社交界で名を聞かれる者たちのような、一線を画すほどのものではない。あくまでも、平凡な女。


 それなのに、何で。

 何で、何で、あの方の傍にいられるのか。何で、それが許されるのか。


 あの方に相応しいところなど、何一つないくせに。




 ……全ては国王陛下の命令なのよ。この国のための、何らかの計画の一部。こんな平凡な女が婚約者だなんて、あの方も、迷惑してらっしゃるはずだわ。




 正式に聞いたわけでは、もちろんない。けれど、間違いようがないではないか。身分も、容姿も、威厳も、何一つとしてあの方につり合わないこのような女との結婚を、あの方が望んだはずがないのだ。


 それでも、国王の命令であれば、あの方が婚約を拒否することなど出来ない。だから。

 自分が、あの方のために。




「お招き頂きありがとうございます、トルイユ侯爵令嬢。先日は、サロンで助けて頂き、ありがとうございました。……あの、大事な話、というのは」




 「何なのでしょう」と問いかけてくる、に、白けた視線を向けてしまいそうになり、取り繕う。そんなことをしてはいけないのだ。自分は。浮かべる表情は、儚く、優美に。


 それでこそ、『幻の社交界の華』と呼ばれる、あの方に相応しい姿なのだから。




 この女、大事な話があると言われて来たのね。……でも残念。わたくしは知らないの。




 この女が聞かされるはずだった、大事な話など、何も。だって自分は、のだから。来ると聞いたから、少し手を回して会うことにしただけ。その方が、都合が良かったから。


 この女と話したいことなど、何もなかった。けれど、この女に聞いてみたいことならば、ある。ただ、一つだけ。




「それよりも、ねえ。教えて欲しいの。あなた、自分がどれほど辛い立場に立とうとしているのか、分かっていらっしゃる?」




 心配するように、優しい口調を心がけてそう問いかける。害のない、儚い美貌の貴族令嬢、そのもののような表情で。


 女は数度瞬きをした後、こくりと頷いた。「もちろん、分かっています」と、女は応える。真っ直ぐに、こちらを見ながら。




「私はあくまでも子爵家の娘に過ぎず、……英雄と呼ばれ、次期公爵となられるあの方の婚約者としては、力不足も良いところ。それを、私自身が誰よりも知っています」




 淡々と告げる女に、おや、と思う。考えていたよりも、話が分かる人間なのかもしれないと、そう思った。男に襲われたからと言って、あの方を相手に結婚を急かすような女だと聞いていたから、もっと気が強い、我が儘な女なのかと思っていたけれど。


 真摯な表情と態度に、少しだけ考えを改める。無駄に危険な橋を渡るのは、自分でも嬉しくはない。


 だからこそ、これは、最後の機会。「そう思うのならば」と、不思議そうな表情を作って問いかけた。




「どうすれば良いのか、分かっているでしょう? ……あの方のためにも、このまま成り行きに任せて結婚しようなんて思わず、婚約を解消して差し上げるべきだわ。……二度目だもの。簡単でしょう」




 「それが、あなたのためにもなるわ」と、優しい口調で付け加えるのを忘れずに。全てがあなたのため。あの方のため。そう聞こえるように。


 慈愛に満ちた笑みを向ければ、誰だって素直に頷いてくれる。今までずっとそうだった。それが許される立場であり、許される人間なのだ。自分は。


 だというのに。




「……申し訳ありませんが、私はそのようには思いません」




 女はそう、真面目な顔で応えた。




「私も最初は、そう考えていました。彼のためを思えば尚更、婚約など、結婚などするべきではない、と。……今でも、そんな風に思う気持ちはあります。後の公爵夫人となるのならば、と」




 「それなら」と、口を開く。そう思うならば、婚約を解消しても良いではないか、と。


 しかし女は首を横に振り、「それは、私の思い違いだったのです」と、再度呟いた。




「あの方の婚約者というのは、後の公爵夫人である前に、なのです。あの方は私に、完璧な公爵夫人になって欲しくて求婚してくださったわけじゃない。……ただ、に、傍にいて欲しいと、そう願ってくださったから」




 「もちろん、あの方の夫人として恥ずかしくないよう、学んでいくつもりです」と、女は続けた。とても優しい、幸せそうな顔で。


 ぐっと、握り込んだ手のひらに、爪が刺さる。なんて、人を不快にする女なのだろう。まるであの方がそれを望んだかのように言うとは。




 あの方の本心など、考えてもいないのだわ。そう言うしかなかった、あの方の立場なんて。




 「そうなのね」と柔らかい声を意識して返しながら、決めた。もう、迷う必要などないのだと。


 この女と結婚しても、あの方が不幸になるだけだから。




「そこまでの決意ならば、仕方ないわね。あなたを思っての言葉だったのだけれど」




 言いながら、ティーポットの方へと手を伸ばした。女の前に置かれた空のカップと、自らの前にあるカップにお茶を注ぐ。


 「私などのことを考えて頂き、ありがとうございます」と、微笑む女に笑みを返し、「気にしないで」と呟いた。




「あの方とあなたが結婚したら、身内になるのだものね。わたくしとあの方が従兄だから。……せっかくだから、お茶をどうぞ。わたくしのお気に入りの薬草茶なの。わたくしは身体が弱いから、身体に良い薬草に詳しくて」




 笑みを絶やさぬままに、お茶を飲むように薦める。


 そう。これは、一つの試練なのだ。あの方に相応しい者を選ぶための試練。


 あの方の傍らに立つためには、あの方が望むことを、その口に出さずとも気付かなくてはならない。そうして、あの方のために行動できてこそ、あの方に相応しい者となれる。




 この手を汚してでも、……あの方が望んでいるはずだから。




 確証のない確信を胸に、微笑む。「どうぞ、飲んでみて」と言いながら。


 いくらあの方の婚約者とはいえ、彼女は子爵家の令嬢に過ぎない。自分の言葉に逆らえる身分ではないのだ。


 そして、このお茶は本当に、ただの薬草茶である。少々、普通とは調合が違うため、予想とは違う効果をもたらすことにはなるわけだが。




 わたくしは何も知らないわ。ただ、偶然そうなってしまっただけ。……偶然、この女の呼吸が止まってしまうだけだもの。




 そうして、目を覚ますことはないだろう。もう、二度と。


 そこまでしても、相手は子爵家の令嬢。この女の家族が騒いでも、自分へ与えられる罰は大したものではない。あくまでも、偶然起きてしまった事故だから。




 国王陛下は少しお怒りになられるかもしれないけれど、……そもそも、その時はわたくしではなくて、ここにこの女を招待した人間が責任を問われるわ。わたくしはただ、招待した人がいなかったから、代わりに相手をしているだけ。




 その時に起きた、偶然の事故。であれば、誰が悪いわけでもない。偶然が重なっただけだ。


 加えて、この女がお茶を飲まなければ、自分が一人で飲んでいたはずと考えると、亡くなったのが子爵家の令嬢で良かったと、誰もが思うだろう。もちろん、あの方も。


 「さあ」と更に女に声をかける。早くそのカップに口を付けて、その最後を見届けさせて欲しい。




 息が止まったのを確認したら、大声で助けを呼んであげるから。




 女は少しだけ躊躇うような素振りを見せたけれど、身分の違う自分の言葉を聞かないわけにもいかず。そろそろと、そのカップに手を伸ばす。ゆっくりとカップが持ち上がり、口の方へと動いて。


 期待に目を輝かせる中、こんこんっ、と部屋の扉がノックされた。




「お嬢様、お客様です。どうしても、今お嬢様にお会いしたい、と」




 聞こえて来たのは、いつも傍に控えている侍女の声。良いところで、と思うと同時に、喜色の混じったその声を不思議に思う。客人が来ており、場を離れられないと知っているにも関わらず、むしろ喜んでいるような声音。


 一体、誰が面会を望んでいるのだろうと、渋々立ち上がろうとした時だった。「あ、お待ちを……!」という侍女の声と共に、部屋の扉が開き、顔を出したのは。


 短く、肩に届かない程の長さになっても美しい銀の髪と、目が眩むほどの美貌。この国で、その名を知らぬ者はいないと確信できる、救国の英雄。




「……アルベール、様……!」




 声を上げ、立ち上がって礼の形を取る。他の誰よりも、彼の前では特別に美しく、優雅に。彼に相応しい人間は、自分なのだと伝わるように。


 侍女の静止を振り切って部屋に入って来たアルベールは、こちらに視線を向けて。しかしすぐに顔を逸らす。ついで、その美しい容貌を明るくした。「ああ、ここにいたのか」と、言いながら。




「捜した、カミーユ。私を置いてどこに行ったのかと思えば……」




 アルベールは女の姿を目に映すと同時にそちらに歩み寄り、女の足元に跪く。「あまり心配させないでくれ」と言いながら女の手を取り、その指先に口付けた。それはそれは、甘く、優しい声で。表情で。




 何これ。何これ。何なのこれ……。




 呆然としながら礼の形を解き、椅子に座ることも出来ぬまま、目にした光景。


 女は当たり前のようにアルベールの口付けを受け、擽ったそうに笑う。「心配なんて。行き先はちゃんとご存知だったでしょう?」と、応える表情は明るく、穏やかで。




「何で、そんな女なんかに……!」




 低く、抑えきれなかった声が零れれば、女の方はそれに気付かなかったように笑っているだけだったけれど。


 寒いと、思った。急に空気が、凍ったような、そんな。




「カミーユ。先に出ていてくれるだろうか? 私は少し、……話し合う必要があるようだ」




 唐突に、そう言ってアルベールはその場で立ち上がった。こちらを見ることさえせずに、女の手を取ると、席を立たせてしまう。むしろ女の方が、良いのだろうかというような、不安そうな顔をしていた。


 アルベールはその笑みを深めて、「大丈夫だ」と声をかけた。




「すぐに後を追う。……屋敷の前に、私の馬車を停めている。そこで待っていてくれ」




 「大丈夫だから」と再度アルベールが言うけれど、女の不安そうな表情は変わらないまま。アルベールのエスコートを受ける形で、女は部屋の扉の方へと足を進めた。




「トルイユ侯爵令嬢。お話し中に席を立ってしまい、申し訳ありません。またお会いできることを楽しみにしていますわ」




 扉の前まで進んだ女は、そう言って頭を下げる。固くなってしまった表情を無理矢理に動かして、自分らしい、優しい笑みを作った。「ええ、また」と声をかければ、女はすぐに部屋の扉をくぐり、姿を消した。後に残ったのは、自分と、そして。


 この世で、最も自分に相応しい人だけ。




 あの女がお茶を飲まなかったのは誤算だったけれど。……もう、なりふり構っていられないもの。人を雇って始末するしか……。




 全ては目の前にいる、この方のために。この方と自分が、二人で幸せになるために。




「……久しぶりだな。トルイユ侯爵令嬢」




 あの女を完全に見送ったアルベールは、先程の柔らかな表情など存在しなかったかのように、冷たい顔でそう言った。「楽しんでいる所を、邪魔して悪かった」と。




「カミーユが私の傍にいないと、不安でな。従妹であるお前の元にいるのだから安全だとは思っていたが、気が急いてしまった」




 言って、彼はくしゃりと髪をかき上げる。幼い頃から彼を知っている自分ですら、知らない顔で。


 わけが、分からなかった。この方は、こんな顔をする人ではない。少なくとも、他の誰かに、自分以外の誰かに対して、表情を柔らかくするなんてこと、有り得ない。それなのに。




「特に結婚式を控えた今は、誰に何を言われるか分からない。片時も離したくないのだが、そうすると嫌われてしまいそうでな」




 「加減が難しい」と言って少しだけ困ったような顔をするアルベールの表情は、とても人間味がある、優しい表情をしていた。


 英雄と呼ばれながらも、人を寄せ付けない雰囲気を持つ美貌の次期公爵。それが、目の前にいるこの方である。誰に対しても分け隔てなく冷たくて、表情を変える事すらない。そんな人だった。


 だから、自分が彼と結ばれて、少しずつ彼の心を温めてあげるのだと、そう思っていたのに。




 何で、あんな女のことを思って、そんな顔をするの。何で、何で。




 気分が悪い。


 アルベールは、かつかつと足音を立てて、先程まであの女が座っていた席に着く。彼を案内してきた侍女が、すかさずテーブルにあったティーカップを引き、新しく代わりのティーカップを置いた。そこに、お茶は入っていない。当たり前だ。今日のお茶は自分が淹れるから、くれぐれも空の状態で出してくれと指示していたから。


 侍女はそのまま、一礼して部屋を後にした。未婚の男女が二人きりになるわけにはいかないため、扉を開いたまま。おそらく、扉の向こうで誰かが待機していることだろう。


 再び座っていた椅子に腰かけながら、僅かに唇を噛む。アルベールにお茶を出さないわけにはいかない。けれど、ティーポットに入っているのは。




「陛下の命令で婚約したと誤解している者もいるようだが、私は以前から、彼女のことを愛していた。彼女が婚約していた間も、ずっと。だから今回、私の意志で彼女に求婚した。この機を逃すわけにはいかなかった。……今でも、日々愛しさが募る」




 「苦しいほどに」と、呟くアルベールは、とても幸せそうで。ぶつりと、手の平に嫌な感覚が走った。握り締めていた爪が、皮膚を突き破った気配がする。


 そんな痛みをもってしても、収まらなかった。この、どうしようもない衝動は。




 愛しい? 愛しいですって? 有り得ない……! アルベール様が、あの、アルベール・ブランが、あんな女なんか……!




 思い、意識して笑みを浮かべながら口を開く。「アルベール様は、本当の愛を知らないのですわ」と、諭すような声音で呟いた。




「きっと、初恋に溺れているだけなのです。あの方しかいないと思い込んでいるだけ。……本当にあなた様に必要な方が他にいることに、気付いていないだけですわ」




 少なくとも、彼に必要なのはあの女ではない。有り得ないのだ。全てにおいて、自分に劣るあのような女が、アルベールに愛されるなど。あるはずがないのだ。


 この方にそんな顔をさせるのが、あんな平凡な女であるなど。自分こそが、彼の心を溶かし、彼に優しく微笑んでもらえるはずの、唯一だというのに。


 しかしアルベールは不服そうな顔になった後、軽く溜息を吐く。「果たして、そうだろうか」と、彼は言った。




「お前の言う私に必要な者と、私が思う、私に必要な者は違う。確かに、私の立場を思えば、他の選択肢も出てくるだろうが。私は、私自身の傍には、彼女以外の人間など、必要ないと確信している。口にするのもおぞましいが、……彼女がその命を失えば、私に生きている意味などなくなるだろう。すぐさま、彼女の後を追うため、この胸に剣を突き立てる。そう思う程に」





 「共に命を終えれば、死後も傍にいられるだろうからな」と、アルベールは真摯な表情で呟いた。当然とでも言うように。それ以外の道など存在しないとでも言うように。ぞっとするほどの、静かな視線だった。


 そしてその言葉を聞いて、気付く。もし、あの女を始末してしまったならば。




 ……アルベール様も、死んで、しまう?




 あの女の後を追って。死後であっても尚、その傍らに寄り添うために。


 「あはは」と、知らず、乾いた笑みが零れる。あの女を消しても尚、彼はあの女を選ぶというのか。誰の指示でもなく、自分の意志で。自分の思いで。


 愛しいなどと、彼の口から聞くことになろうとは。自分以外の誰かを思う、そんな言葉を。




 ……嫌よ。嫌。絶対に……!




 彼は、アルベールは、自分と結ばれるべきなのだ。それ以外の未来など、訪れてはならない。


 彼自身がそれを拒み、他の女を選ぶと言うならば、いっそ。




 ……わたくしが、一緒に。




「トルイユ侯爵令嬢。すまないが、帰る前に、お茶を一杯貰えるか」




 アルベールはそう言って、空のカップを示す。「急いでいたものだから、喉が渇いてしまった」と。


 にっこりと、優美に微笑んだ。「もちろん」と、言いながら。


 生きているにしろ、死んでいるにしろ。アルベールと共にいられるのならば、それで。


 ティーポットを手に取り、アルベールの前にあるカップにお茶を注ぐ。「少し温くなってしまいましたが、喉が渇いているのでしたら、丁度良いですわね」と、楚々と笑いながら。




「ああ、すまないな」




 言って、アルベールはティーカップに手を伸ばす。優雅な仕種でそれを持ち上げると、何の疑いもなく、口へと運ぶ。


 このお茶を口にすれば、彼は命を落とす。自分もすぐに、その後を追おう。そうすれば、彼の傍に、ずっといられる。自分だけが、ずっと。なんて簡単なことだろう。でも。


 本当に、良いのか。




「……! ……あのっ」




 一瞬の躊躇いは、思わず、声に零れた。アルベールが驚いたように、動きを止める。「どうかしたのか」と問いながら。




 本当に、良いのだろうか。わたくしはこれを、後悔しない……?




 考えて。「カミーユが」という、彼の声に、はっとした。




「私の最愛が、待っている。お茶を飲んだら去るから、用があるならば連絡してくれ」




 当たり前のように言われた言葉。呼び止めようとしていると思われたのだろう、煩わしそうな声音。


 笑いが、出た。「ええ、そうさせて頂きますわ」と、自然と口にする。


 最愛。最愛と言ったのだ、彼は。あの女のことを。自分以外の、女のことを。




 ……迷う必要なんて、ないわ。




 彼は、自分のものなのだから。もう二度と、奪われないようにしなければ。奪われない場所に、隠してしまわなければ。


 たとえば、命を失った末の未来、とか。




「わたくしが調合した薬草茶です。お口に合うかは分かりませんが、……飲んでみてください」




 自らもテーブルの上にあるカップを手にしながら、アルベールを見つめる。すぐに自分も、後を追えるように。いつまでも、傍にいられるように。


 不思議そうな顔で、何かを探る様な表情でこちらを見ていた彼の手が、ゆっくりと繊細なカップを、その口許へと運ぶのが見えた。唇にその端を当て、カップが持ち上がろうとする。


 あと少し、もう少しで。ごくりと生唾を呑みながら、見守って。


 「……残念だな」と言う声が、聞こえた。




「イエヴァの葉と、レイフの根、他にもいくつかの薬草を混ぜた、薬草茶。薬草を使って人間の呼吸を止めるには、最適な選択と言えよう。……今ここで私の手を止めてくれていたら、皇位継承権を持つ次期公爵の殺人未遂という汚名を着ることもなかったはずだが。これで終わりだ、トルイユ侯爵令嬢。……いや。フランシーヌ・エモニエ嬢の双子の姉、セシル・エモニエ嬢、と言うべきだな」




 これまでに聞いたことのない、冷えた、それでいて嬉しそうなアルベールの声。楽しそうな表情。そして間違いようもない、軽蔑の眼差し。




「カミーユを辱めようとし、それどころか、彼女の命を奪おうとしたんだ。……楽に死ねると思うな」




 今、自分が生きていることが不思議な程、鋭利な視線。息が詰まり、身動きさえ取れない中で、彼はただ笑っていた。


 彼が最愛とのたまう女を害する自分がいなくなることを、心底嬉しいとでもいうように。ただただ、笑っていた。


 それが、セシルの見た最初で最後の、自分に向けられた彼の笑みだった。

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