第25話 虎穴に入らざれば。


 会場となっている、ベルクール公爵邸の大広間。結婚式の準備が進むそこも、一週間前となれば、随分と完成形に近くなっていた。


 元々、結婚式であれがしたい、これがしたい、というような希望も持っていなかったため、ほとんどがアルベールの母であるベルクール公爵夫人ロクサーヌと、カミーユの母であるエルヴィユ子爵夫人アナベルの発案であったが。

 趣味の良い二人が提案してくれた物の中から、カミーユが好きな物を選んでいく。そうして出来た会場は、想像していたよりもずっと神秘的で、厳かで。カミーユの好む落ち着いた雰囲気に包まれていた。




 ……そもそも、結婚するなんて思ってもいなかったもの……。




 結婚出来ないと、自分だけではなく、家族でさえも思ったからこそ、政治的な思惑の元に結ばれた、クラルティ伯爵家のジョエルとの婚約が解消されたのだから。人生とは、本当に分からないものである。


 ほとんど完成に近付いたウェディングドレスは、ギャロワ王国の結婚式では定番の深い藍色のドレス。王族の瞳と同じその色を身に纏うことで、正式に許しを得た結婚であることを周囲に示すのが、この国の伝統であった。


 そしてそれは、奇しくもアルベールの瞳の色でもあるわけで。夜空に星を散らしたように、細かな宝石が散りばめられたそのドレスを、修正箇所がないかと身に着けるたびに、くすぐったいような気持ちになるのだった。




 陛下は、あくまでも囮の一部だから、本当に開かずとも良いと仰っていたし、私もそれで良いと思っていたのだけど……。まさか、たったの一カ月で、こんなに素敵なドレスを作ってもらえるなんて思ってもみなかったわ。




 感動すると同時に、申し訳ない、と思ってしまうのもまた、仕方のないことだろう。


 国王テオフィルの言葉があってなお、アルベールとベルクール公爵家は、正式に結婚式を行うことを決めた。エルヴィユ子爵家としても、ベルクール公爵家がそう言うならばと拒否することなど出来るはずもなく。


 むしろカミーユの両親は、アルベールの判断と、彼に出会ってからのカミーユの変化を知っているためか、とても嬉しそうにしていた。おかげで、今回式に関わっている者たちには、かなりの無理をお願いすることになったわけだが。


 中でもウェディングドレスの製作をお願いしたブティックは、完全にオーダーメイドであったこともあり、眠る間もないくらい忙しかったはずだ。いくら方々の店を買収し、お針子を個人的に雇ったとしても、ぎりぎりの日程であったことは間違いないはずだから。


 ちなみにカミーユ自身は、ある程度形の決まっている、セミオーダーでも構わないと言ったのだ。それならば、完全なオーダーメイドよりは余裕が出来るだろうから、と。しかしアルベールがそれを了承するはずもなく、どうしてもと押し切られる形で今回のような形になったのである。


 アルベールの母であるロクサーヌにも、ドレスにそこまでする必要はないと、アルベールを説得して欲しいと頼んでみたのだが。




『大丈夫だ。あの馬鹿息子は騎士として剣を振るうことしか考えたことがないから、金の使い道を知らん。最近では、領地のことも少しは上手くやっているようだが、その程度。この機に溜め込んだ金を使わせた方が、カミーユさんのためにも、世のためにもなるだろう』




 はっ、と鼻で嗤うように言うロクサーヌに、頷くわけにもいかず。カミーユはただ笑みを返すに留めた。英雄と言われて、アルベールが誉めそやされるのを見るのが当たり前となっていたカミーユには、ロクサーヌの反応はとても新鮮な物だった。さすがは、親子である。


 そして肝心のアルベールはといえば、結婚式を正式に行うと決まった日から、一日に一度、顔を合わせる程度しか会っていなかった。結婚式の準備をするカミーユもあまり時間が取れず、アルベールの方も仕事など、色々と忙しいようで。


 毎日言葉を交わし、少しの時間でも共に過ごしていたのを思えば、淋しくもあったけれど。結婚すれば伯爵夫人となる上、アルベールとは同じ屋敷で過ごせるようになるのだと思えば、一層頑張ろうと思えるのだった。




「それに、結婚したら傍にいられる時間も増えるもの。公爵家や伯爵家、子爵家。何より、アルベール様に恥じないように、出来る限り頑張らないと……!」




 ぐっと掌を握り込んでアルベールにそう宣言すれば、彼は微笑んで頷いてくれた。その顔が少しだけ淋しそうに見えたのは、気のせいだっただろうか。


 ちなみに、それをロクサーヌに言ったところ、彼女はとても嬉しそうに笑っていた。『どこかの馬鹿息子と違って、羨ましいほどにしっかりした娘さんだ』と、彼女がアナベルに語ったことを、カミーユは知らないままだったが。


 分からない所は素直に訊ねて修正し、少しずつ本番に向けて整っていく会場は、五日前にはすでに、手の付ける必要がない程完璧な物となっていた。もちろん、埃のするようなものにはカバーをしており、生花などは当日の準備となるため、まだまだ殺風景ではあるけれど。あとはドレスの完成を待つのみだと、皆がそう思っていた頃のことだった。


 その手紙が、届いたのは。




「これと、これと、こちらが、カミーユ様宛てのお手紙となります。ご確認くださいませ」




 毎日足を運んでいるベルクール公爵邸の玄関ホール。入ってくるなり、使用人の女性がそう言って頭を下げ、手紙の載ったトレイを掲げてくる。それを受け取り、「ありがとう、助かるわ」と礼を言えば、彼女は嬉しそうに微笑んで、仕事へと戻って行った。


 ベルクール公爵邸で結婚式の準備を始めてから、こういうことも珍しくなかった。




『王家の夜会という、正式な場に婚約者と共に同席してから、一か月足らずで結婚式を行うのだから。英雄閣下は、随分と婚約者を愛しておられるのだろう』




 妹のエレーヌに聞いたところ、それが最近の社交界での、専らの噂らしい。『さすがアルベール様だわ!』と、エレーヌは自分の事のように嬉しそうに言っていた。


 おそらくテオフィルとアルベールが意図的に流した噂なのであろうが、その甲斐もあってか、こうして早い内から交流を持っておこうとする貴族が後を絶たないのである。カミーユが子爵家の令嬢であるということも、敷居が低くなっている要因の一つだろう。


 それ自体は別に構わないし、ミュレル伯爵夫人、果てはベルクール公爵夫人となる以上、こういう交流も大事だと分かっていた。だから今回も、そういった手紙なのだろうと思っていたのだけれど。




「……これは」




 その内の一つに、気になる送り主の名前があるのを見て、僅かに目を細める。それと同時に、カミーユはすぐさま、ミュレル伯爵邸へと向かうことを決めた。この手紙を、アルベールに見せなければ、と。情報の共有がどれほど大事なことなのか、カミーユは理解していたから。


 封を開けて、手紙の内容を確認しながら、カミーユは近くにいた使用人の女性に、ミュレル伯爵邸に向かうことを告げる。アルベールにその旨を告げる、早馬を出してほしい、とも。


 ベルクール公爵邸の使用人は、カミーユが指示するのを当たり前と思っているようで。カミーユの指示通り、てきぱきと動き出してくれた。ベルクール公爵邸の紋が入った馬車を当然のように用意してくれたことには恐縮してしまったけれど。事情を聞いたロクサーヌが顔を見せて、気にする必要はないと言ってくれたため、好意に甘えることにしたのだった。




「……とうとう、と言うべきか。やはり、と言うべきか」




 ミュレル伯爵邸の客間。華美過ぎず、しかし明らかに手の込んだ、同じ職人によるものだろう揃いの家具が、必要最低限置かれたその部屋。ソファに座ったカミーユは、隣に座るアルベールがそう呟くのに、こくりと頷く。「マイヤール卿の仰った通りですね」と言いながら。




「私が以前、ブティックで顔を合わせたトルイユ侯爵家のご令嬢、フランシーヌ・エモニエ嬢からのお手紙ですわ。話したいことがあるから、侯爵家に来てくれないか、とは。……大事な話とは、何なのでしょう」




 顔を俯かせ、膝の上の指先を見つめながら呟けば、アルベールは「ふむ」と呼んでいた手紙を折りたたむ。「文字通り、大事な話なのだろうな」と、彼は口を開いた。




「それが、誰にとっての大事な話かは知らないが。……だが、この手紙だけでは、手が出せぬ」




 不満そうに呟くアルベールに、カミーユもまた頷いた。


 トルイユ侯爵令嬢が、王宮での夜会の際、男たちを唆してカミーユを襲わせた主犯である。そう、カミーユたちは考えていた。それ以前に、オペラハウスでシークレットルームに侵入してきた者たちも、おそらく彼女を思っての行動だった。


 けれど全てに確固とした証拠がないのが現状である。生半可な状況証拠を持ち出したとしても、貴族の中でも高位に当たる、侯爵家の令嬢を拘束するのは難しい。


 だからこそ、結婚式という囮を使って、証拠を引き出せないかと動いているわけで。そんな中で送られてきたこの手紙は、とても重要な物だった。


 意味合いとしては、虎穴に入らざれば、というものだが。




「……大丈夫です。私が直接行けば、何らかの動きがあるでしょう。この手紙は、アルベール様が保管しておいてください。……私に何かあった時、言い逃れが出来ないように」




 ぎゅ、とアルベールの手を握って告げる。心の底から不快そうな表情の彼を、宥めるように。


 自分が分かっているのだ。彼が分からないはずもない。何か起きなければ、手が出せないのだと。ならば、何かが起きるような状況に出向くしかない。


 また夜会の日と同じようなことが起きるかもしれないと思うと、恐ろしくて仕方がないけれど、それでも。今回でなければまた次と、あてもなく怯え続けなければならないのだから。




 これからずっと、アルベール様の傍にいるためにも、……ここで終わらせておかなければ。




 むしろ、何もない所から急に襲われるようなことがないだけ良いというものである。いくらアルベールが付けてくれた護衛が、そうと分からないように周囲を固めてくれていても、また彼女に繋がる証拠がないと、考え込む羽目になるのだから。




「そもそも、こうなることが分かっていて提案させて頂いたので、ほっとしております。何もなかったら、私の考え違いになってしまいますもの。そうでしょう?」




 そう言って笑いかければ、アルベールはそれでも暗い顔をしていたけれど。ふっと、小さく微笑んでくれた。「ああ、君の言う通りだ」と。




「今回は、君に頼む他ない。陛下にも、状況を伝えておこう。君を囮になど、これ以上ない程に気分が悪いのだが、……仕方がない。そのために、この一カ月近く、用意して来たのだから」




 ぽつりと彼が呟いた言葉に、カミーユはこくりと頷く。カミーユが結婚式の準備をしている間に、アルベールが忙しくしていたのは、何も仕事のためだけではないと分かっていた。だから、大丈夫だ。きっと。


 彼が護ってくれるから、大丈夫だ。




「招待されたのは、明日か。カミーユ、くれぐれも、あの屋敷で出された物を口にしないでくれ。気になる話を陛下から聞いた。こちらの手の者を数人紛れ込ませているから、いざとなったら助けてくれる。陛下が紛れ込ませた者もいるはず。何かあれば、現行犯で決着がつく手筈だ。だから大丈夫、なんだが……。やはり、そのような場所に君を送り出すのは、嫌なものだな」




 深々と溜息を吐くアルベールは、本当に不安そうな顔をしていて。あまりに彼らしくないその表情に申し訳なくなりながら、カミーユは「大丈夫ですよ」と再度口にする。「アルベール様たちがたくさん用意してくださっているのでしょう? だから大丈夫です」と、彼が少しでも安心できるように。




「私は、アルベール様を信じておりますもの。……その代わり、ちゃんと無事に帰って来たら、あの、……ぎゅってしてもらえますか……?」




 顔を合わせてはいたからと、アルベールに見合うようにと気を張っていても、淋しいものは淋しいわけで。帰って来た時に彼が抱きしめてくれる、そう思えば、きっと頑張れる気がすると、そう思って、おずおずと頼んだのだけれど。


 急に両手で顔を覆ったアルベールは、数拍の間をおいて、頷いてくれた。手を外し、「君が望むなら、いくらでも」と言った彼の顔は少し朱かったけれど。カミーユは決意も新たに、「頑張りますわ」と呟いたのだった。

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