第24話 この世に必要ないもの。


 ミュレル伯爵邸にある、執務室。その隣に設けられた、要人用の客間。ソファに腰かけるアルベールを、予定もなく、急に、屋敷を訪れたテオフィルは、おかしなものを見るような目で見ていた。




「……いや、なんかやつれてないか」




 思わず、というように呟かれた言葉に、アルベールはじろりと瞳だけをそちらに向ける。ひくりと、テオフィルの頬が引き攣った。


 王宮の夜会で起きた騒動、その翌日に、カミーユから『真なる求婚』を受けてから、今日で一週間が過ぎていた。


 本当ならば、幸せの絶頂期であろう。誰よりも愛おしく、傍にいることだけを切実に願ってきた相手から、求婚されたのだから。もっとも、本人にそのつもりはなかったのだろうし、直接『結婚して欲しい』と言われたわけではないにしても、だ。




「……彼女に会えず、することがないからな。仕事ばかりしていた」




 ぼそりと呟けば、テオフィルは彼の向かいのソファに腰かけつつ、思わずというように笑っていた。「まあ、そんなことだろうとは思っていたが」と言いながら。




「仕方がないだろう。結婚式を行うという噂だけでも囮としては十分だと私が言うのに、お前と、お前の家が本気で一か月後に結婚式を行うことにしたんだからな。本来なら、お前程の位にある人間の結婚式は、少なくとも『真なる求婚』から半年はかけるものだ。最短記録では三ヶ月だったか」




 テーブルの中央に置かれた焼き菓子を手にしながら、テオフィルはその顔に浮かべた楽しそうな笑みを隠そうともしない。「それを一カ月で終わらせようというのだから、カミーユ嬢が忙しいのも当たり前だろう」と、彼は当然のように言った。




「残すところは、カミーユ嬢の衣装関連だと聞いたが。次期公爵夫人の結婚式のドレス制作ともなれば、一大行事だ。使い道がなくて溜めに溜めた金を、お前がカミーユ嬢のためにと湯水のように使って、方々の店の布やら靴やら宝石やらを買い込み、果ては各店のお針子まで雇ったものだから、さぞドレスを作る側にも気合が入っている事だろう。……何、後はたったの三週間程度だ。二年もの間、忘れられなかったことを思い返せば、早いものだろうさ」




 「大人しく仕事でもしていろ」と、すげなく言われてしまえば、ぐうの音も出ないというものである。アルベールとて、彼の言い分が正しいことを理解していたから。


 それでも、いつも通り毎日カミーユの元を訪れはするけれど。彼女は現在、結婚式が行われる予定の、ベルクール公爵邸に入り浸っているわけで。顔を合わせて数度言葉を交わすだけで、アルベールの母であるロクサーヌに追い返されてしまうのだった。


 原因の半分は、先日の『真なる求婚』のことだろう。全面的にアルベールが悪いと思っているところが、母らしいとは思ったが。




 あのような事件が起きなければ、俺からであっても、カミーユからであっても、もっとしっかりと準備した上で『真なる求婚』が出来たことだろう。……俺がカミーユを守り切れなかったことが引き金であるとはいえ、当事者である俺を邪魔者扱いするとは……。




 我が母のことながら、息子への信頼度があまりにも低いと、アルベールは知らず溜息を吐いていた。


 ロクサーヌの考えでは、カミーユの後ろ盾がベルクール公爵家であると対外的に発表する意味もあって、ベルクール公爵邸で『真なる求婚』を行うことを進言するつもりだったようだ。それに関しては、アルベールもロクサーヌと同意見である。


 王位継承権を有する次期公爵の夫人として、子爵家の令嬢というのはあまりにも身分が違っていたからだ。いくらアルベールがカミーユを愛おしく思い、傍に置こうと、周囲がどういう反応を見せるかなど分かり切った話である。


 だからこそ、ベルクール公爵邸で『真なる求婚』を行うことにより、彼女の後ろにはベルクール公爵家がついているのだと示す必要があった。

 アルベールとしては、カミーユから求婚されること以上に嬉しいことなどないのだが、周囲がそれを理解するはずもないのである。




「だからこそ、ベルクール公爵邸で『真なる求婚』をやり直したというのに……」




 紅茶のカップに手を伸ばしながら、溜息と共にアルベールは呟く。先に挙げた事情などがあり、あの日の三日後、ベルクール公爵邸で正式に『真なる求婚』を行ったのだ。もちろん、慣例には従わずに、カミーユから求婚を受ける、という形で。




『ずっと、アルベール様の傍にいたいから……。私と、結婚してくれませんか?』




 招待された人々の前で恥ずかしそうにそう言った彼女の姿はあまりに愛らしく、今でも瞼の裏に焼き付いている。思い返す程に顔が緩みそうになるほど、鮮明に。

 だと、いうのに。




「お前がカミーユ嬢を独占しようとして、準備が先に進まなくなるのが目に見えてるからだろう。結婚式の会場として関わるため、この前の件を話しているから、こんな所にいないで早く主犯を見つけろ、という線もあるか。……何というか、ことカミーユ嬢が絡むことに関しては、本気で公爵夫人に信用されていないよな。お前」




 もぐもぐと、口にした焼き菓子を咀嚼しながら言うテオフィルに、反論することなど出来るはずもなく。アルベールは手にした紅茶を口に運んだ。




「……で。予定もなく、急にここに来た本題は? 囮として開放した二人にその後、変化はあったのか。どこかの伯爵と子爵の領地の外れに逃げ込んだとしか聞いていないんだが」




 自分の屋敷で、部屋に自分とテオフィルしかいないのもあり、アルベールはぞんざいな口調で訊ねる。国王である従兄の突然の訪問である。理由として考えられるのは、それであろう。


 王宮での夜会から、一週間と一日。夜会の翌日には、秘密裏にあの二人を解放したわけだが、彼らはすぐに二手に分かれたらしい。そしてそれぞれが、とある伯爵と子爵の領地の外れにある、領主の別荘に逃げ込んだと報告されていた。


 テオフィルはアルベールの口調を気にする様子もなく、「お前に報告してやるのを忘れるくらいには、特に動きはないな」と応えた。




「それぞれの土地の持ち主と、あの二人と関わりはないようだ。表立って調査出来れば早いんだが、ままならないな」




 溜息を吐きながら、「そういえば」とテオフィルは続けた。




「彼らは逃げ込んだ建物から一歩も出ていないらしいぞ。通いの使用人が世話をしていると。だが、その使用人に雇い主を聞いても知らないと言われるそうだ。金をやるというから、仕事をしているだけだ、とな。……予想以上に、手が込んでいる。あの二人に加え、あの時の使用人が逃げ込んでいる小屋にしても同じだ。共通することが何もない」




 うんざりした様子で続いた話に、アルベールは落胆を隠せなかった。彼らを裏で動かしている主犯に辿り着きさえすれば、カミーユの安全が一つ保証されるというのに。


 気分を変えようと、落ちて来た前髪を掻き上げながら、「一歩も動いていないということは、元々そういう契約だったのかもしれないな」と、アルベールは口を開いた。




「普通ならば、早々に始末してしまっているだろう。彼らの計画が成功していたら、彼ら自身も背後にいる者も、諸共に処罰は免れない。それを知っていながら、隠れ場所まで都合しているということは……」




 王宮内でかなりの力を持っており、相手が王位継承権を持つ自分であってもなお、処罰から彼らを守ることが出来る自信がある者か。


 アルベールがカミーユを愛するがゆえに、事件そのものをなかったことにして、彼らを解放するだろうと思っている者か。それとも。




「……反対に、お前の、カミーユ嬢への愛情を甘く見ていて。カミーユ嬢が襲われたと知るなり、お前が早々に婚約を解消し、あの二人の事もそれなりの処分ですませると思っている者、か」




 考えられる可能性の選択肢が多く、アルベールは息を吐く。これだから、社交界は嫌いなのだ。誰もが笑みを張り付けたあの世界は、誰一人本心を表に出そうとはしないのだから。


 「マイヤール卿は一緒じゃないのか」と、アルベールは再びテオフィルに問う。限られた者にしか知らされていないこの件において、ディオン・マイヤールは最も社交界に精通している人物だからだ。


 テオフィルは、「何か調べ物があるらしい」と言い、手にしていた焼き菓子の最後の一欠片を口に含んだ。




「思い出したことがある、とか。もうすぐここに来るはずだ。オペラハウスの観劇を口実に、話をしてくると言っていたからな」




「思い出したこと?」




 一体、何を思い出したというのだろう。僅かに首を傾げたアルベールに、テオフィルはまたもぐもぐと咀嚼しながら、「さて、な」と応えた。




「調べ終えたら、ここで合流するように伝えておいた。オペラハウスの公演が終わる時間に来たつもりだから、そろそろ……。ああほら、来たようだ」




 こんこん、と部屋の扉が叩かれる音で、アルベールはそちらへと顔を向ける。入って良いという旨を伝えれば、使用人が扉を開き、ついでディオンが姿を現した。「陛下、ミュレル伯爵閣下、ご機嫌麗しく」という、聞き慣れた挨拶を口にしながら。




「思ったよりも早かったな、マイヤール卿。調べ物は完了したかな?」




 テオフィルの指示で、アルベールの隣、もっとも扉に近い位置のソファに座ったディオンは、こくりと頷いて「無事に」と返す。どうやら『思い出したこと』とやらの調べ物が終わったらしい。何やら懐から、折りたたんだ紙を取り出した。


 「ブラン卿に訊ねられてから、ずっと考えていたのです」と言いながら、彼は手にした紙を開き、テーブルの上に広げて見せる。


 それは、アルベールも見慣れた、このギャロワ王国の地図であった。




「あの日、オペラハウスにいたあの方たちの共通点は何だろう、と。そればかり考えていたから、分からなかったのです。王宮でカミーユ嬢を襲おうとした二人の逃げた先の土地や、使用人を唆した犯人にならば共通点があるはずだと、そちらから辿っていったら、……分かりました。これらの全てに、共通することがあると」




 言ってディオンは、広がった地図の三つの場所を示す。それぞれが、あの日、休憩室の前から消えた使用人と、カミーユを襲おうとして二人が潜んでいる場所であった。


 「気付いたのは、ほんの昨日のことです」と、ディオンは呟いた。




「ある夜会の、男性だけが入れる休憩室で、一人の男が言っていたのです。その人物の息子が、とある令嬢に執心するあまり、別荘を贈ったのだ、と。詳しく聞いたところ、その男が気付いた時には、すでに名義も変わっていたようで。始末に負えないと言って嘆いておられました。……それが、こちらの伯爵の、この別荘でした」




 そう言って、ディオンは先ほど示していた場所を再度示す。そこは、二人の男が潜んでいるという別荘の内の一つであった。


 「それだけではありません」と、ディオンは更に続けた。




「今日の午前中に無理を言って会ってもらい、言葉を交わしたのですが。こちらの子爵家でも、同じようなことが起きておりました。もっとも、こちらは当主自ら、贈ったという話でしたが。そして、先程オペラハウスで別の貴族たちに聞いたところ、こちらの伯爵家の小屋は、その近くにある土地ごと、伯爵の従兄が贈ったと。……全て、同じご令嬢でした」




 ぞくり、とした。伯爵家の血縁者や、子爵家の当主が、好意のみでその領地を贈る令嬢。それほどの人物。


 「そこまで辿って、思い出したのです」と、ディオンは続けた。




「あの日、オペラハウスにいたあの面々、全てに共通することが。オペラハウスで友人たちに聞いて、確信が持てました。……彼らは皆、これらの別荘を贈られた令嬢の、信者のような者たちです」




 真っ直ぐに告げられた言葉。テオフィルは不思議そうな顔で、「一人の令嬢に、信者って……」と呟いているけれど。


 アルベールには、心当たりがあった。周囲の人間を、性別に関係なく心酔させる人物。自分はそんな人物を、昔から知っている。何せ、それなりに会う機会も多かった、従妹の一人だから。




「……トルイユ、侯爵令嬢、か」




 吐き出すように呟く。彼女が自分に好意を持っている事には気付いていたが、まさか。

 カミーユを他者に襲わせ、貶めようとするほどとは、思ってもいなかった。そのような馬鹿げたことをする人間だと、思いたくなかったのかもしれない。


 ディオンが静かに、首を縦に振るのを見て、まさかと思った。まさかカミーユを傷付けようとしたのが、自分の血縁者であったとは。


 唯一人、テオフィルだけが困ったような顔で口許に手を当てている。「トルイユ侯爵令嬢、といえば……」と彼が言うのに、ディオンが「社交界の華と呼ばれている方です」と応えた。




「『幻の』、社交界の華と呼ばれている方。オペラハウスにいた方々は、直接令嬢に何かを言われたわけではなく、自主的に、あの場に集まったようでした。……トルイユ侯爵令嬢の想い人であるミュレル伯爵閣下が、カミーユ嬢に騙されているのだと、そう思い込んで」




 だから、あの場でカミーユの本性でも暴こうとしたと、そういうことか。


 思わず、「ははっ」と鼻で嗤ってしまった。何と馬鹿げた話だろうか。二年もの間、彼女への想いを秘め続け、婚約解消を知るや否や、彼女の意志を無視して求婚したのは自分だというのに。




「……本当に、馬鹿げている。身内だと、そう思っていたからこそ言葉も交わしたというのに、……よりにもよってカミーユに手を出そうとするとは」




 早く、消してしまわなければならない。そう思った。カミーユと、自分の目に、映ることのないように。


 カミーユに、害を為す人間など、アルベールからすれば、必要ないのだ。

 そこに、どのような理由があろうとも、どのような関係であろうとも。




「そうと分かれば、……今後の彼女の動きを見張っていてもらえますか、陛下。最後の始末は、私がつけますので」




 据わった藍色の目で、テオフィルを捕らえて、そう告げる。一気に冷え切った空気に頭を抱えながら、テオフィルは諦めたように「分かった」と言って頷いた。




「頼むから、先走って始末するなよ。頼むから」




 そう続いた声に、先走らなければ良いのだなと、都合の良いことを考えながら、アルベールは「もちろんです」と応えた。


 今この瞬間でも、一年先でも、構わない。

 カミーユに害を為すものを許さない。それだけだった。

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