第23話 真なる求婚。


 夜会が行われた翌日の、昼過ぎのこと。国王からの呼び出しを受け、カミーユはアルベールと共に、再び王宮を訪れていた。


 昨夜、足を運んだ大広間とは全く趣の違う、余計な家具や調度品のない、必要な物だけが揃った国王の執務室。このギャロワ王国の王である、テオフィル・ギャロワの本質を表しているかのように、広さの割には簡素なその部屋で、カミーユはアルベールと共に客人用のソファへと腰を降ろしていた。


 向かいの席には、部屋の主であるテオフィルと、彼の背後に立つ一人の青年の姿。その顔に見覚えがあって、カミーユは落ち着かない気持ちで、知らないうちにアルベールの服の裾を握っていた。




「……陛下。王宮で起こった事件を早急に解決したい気持ちは分かりますが、この場に彼を同席させることを、私は素直に頷けないのですが」




 カミーユが何を恐れているのか気付いたのであろうアルベールは、カミーユの手に自らのそれを重ねると、テオフィルへと抗議の言葉を伝える。低い声は明らかに冷たく、テオフィルも、そして彼の背後に立つ青年も、焦ったような表情を浮かべながら、僅かに頬を引き攣らせていた。




「頼むから、そう殺気立つな、ブラン卿。……何も言わずにマイヤール卿を呼んだのは謝る。すまなかった、カミーユ嬢。驚かせてしまったな」




 そう言って頭を抱えるテオフィルの表情は本当に申し訳なさそうで。先日、オペラハウスで顔を合わせた、セーデン伯爵令息と呼ばれていた彼の背後に立つ青年もまた、顔色を悪くしながら頭を下げている。


 カミーユは慌てて首を横に振り、「大丈夫ですわ、陛下」と口を開いた。




「道すがら、アルベール様に少しだけお話を伺いましたので。今回の出来事が、実際は私を狙ったものだった可能性が高い、と。彼はその件に何か、関わりがあるということなのでしょう?」




 そうでなければ、今この場にいるはずがない。アルベールから聞いた話では、今回の件は公にしておらず、最低限の人数で調査を行っているとのことだったから。


 テオフィルはカミーユの言葉に、ほっとしたように表情を緩めて頷く。「ああ、君の言う通りだ」と言いながら。




「おそらく君の婚約者から事件の概要は聞いているだろう。ここにいるセーデン伯爵家の令息、ディオン・マイヤール卿のおかげで、私たちは異変に気付けたんだ。その上、彼の機転で、君がいた休憩室から姿を消した、使用人の現在地も確認できている」




 「この件が片付くまでは、手伝ってもらうつもりだ」と、テオフィルは続けた。




「マイヤール卿は、先日のオペラハウスの件で君に謝罪したかったらしい。昨夜はあのようなことが起きてしまい、叶わなかったから、今日、この場に呼んでおいた。が、……先に伝えておくべきだったと、反省しているよ」




 ちらり、とアルベールの方を見ながら言うテオフィルに、二人の仲の良さが透けて見えて、少しだけ微笑ましくなる。幼少期からの話し相手であり、従兄同士であるため仲が良いと聞いていたが、昨夜の会話と言い、どうやら本当のことらしかった。


 「彼の言い分を聞いてやってくれるかい?」というテオフィルの問いに、「分かりました」と言いながらこくりと頷く。元々、アルベールから話を聞いた際に、謝罪はともかく彼の話を聞いてみたいと思っていたから。




 バルテ伯爵家のご令嬢はきっと、アルベール様のことを想っていらしたのだと思うけれど。セーデン伯爵令息があの部屋を訪れたのは何故なのか、分からないままだったから。




 あの日、バルテ伯爵令嬢から感じたのは、明らかな敵意であった。アルベールに求婚された相手への嫉妬であろう。だからこそ、彼女がアルベールに好意を持っていることは分かったのだけれど。


 他の三人には、そのような意図が見当たらなかったのだ。いや、細かく言うならば、セーデン伯爵令息以外の二人からも、僅かに敵意のようなものは感じたけれど。バルテ伯爵令嬢のような、明確なそれではなかったのである。


 テオフィルはカミーユの言葉に頷いた後、セーデン伯爵令息の方を振り返った。「言いたいことがあるならば、伝えると良い」と言って。


 セーデン伯爵令息は静かに頷いた後、一歩こちらに足を踏み出して、深々と頭を下げた。




「セーデン伯爵家の長男である、ディオン・マイヤールと申します。その節は、大変申し訳ありませんでした。まさか、あれほど怯えられるとは思ってもいなくて……。いえ、そもそもシークレットルームに入ったことから全て、間違っていたのです」




 「本当に申し訳なく思っています……」と言う彼からは、やはり自分に対する敵意が伝わってこない。そもそも、直接謝ろうとするのだから、当たり前の話である。手紙では何とでも言えるが、面と向かって気に入らない相手に謝罪したいなど、普通ならば考えもしないだろうから。


 その点、ディオンの態度は、非常に真摯なそれであった。だから、頷いたのだ。「その謝罪を受け入れます」と。彼の言葉の通り、まさか自分があれほど怯えるとは思っていなかったのだろうから。




「ですが、一つだけ教えてください。あの日、なぜあなたはシークレットルームを訪れたのですか? あなたも、そして他の方々も」




 普通ならば、考えられない話だったから。最高位の貴族か、王族か。あの部屋を使うのはそういった身分の人間ばかりで、中にいるのが子爵家の娘である自分だと知っていたとしても、許される行為ではないと理解出来ないはずもない。だというのに。


 ディオンは頭を上げると、真っ直ぐにこちらを見る。「他の方々は知りませんが、……私の場合は、単なる好奇心でした」と口を開いた。




「私はあの日、別の友人たちとオペラを鑑賞しにあのオペラハウスを訪れていたのですが、観劇を終え、外へ向かう途中に、バルテ伯爵令嬢たちが何やら集まっているのが目に入りまして。何をしているのかと声をかけたのです。彼女たちとも、面識があったものですから」




 ディオンが言うには、バルテ伯爵令嬢たちは、シークレットルームにいるカミーユに挨拶しに行く、と言っていたらしい。アルベールの忘れ物を持っているから、入らせてもらえるはずだ、と。


 英雄と呼ばれ、次期公爵でもあるアルベールを射止めた人物とはどのような女性なのか。気にならないはずもなく、ディオンは彼女たちについて行きたいと頼んだらしい。




「バルテ伯爵令嬢も含め、他の方々には何やら目的があったようですが、残念ながら私はそれを知りません。……あの場で失礼な物言いをしたことも、本当に申し訳なく思っています。雰囲気に流されたとはいえ、初対面の方に対する態度ではありませんでした」




 「本当に、申し訳ありませんでした」と、彼は再度、深々と頭を下げる。根は真面目な人なのだろう。頭を上げてもらうように告げた後、カミーユは微笑んで、「もう、あんなことはしないでくださいね」とだけ、言葉を返した。


 今回は、カミーユが男性恐怖症であるために、このような事態になっているのだが。見知らぬ他人が、自分や自分と親しい人間しかいないはずの空間に入り込んで来たら、誰だって恐怖を感じるだろうし、不快でもあるだろうから。


 ディオンはしっかりとその頭を縦に振ると、「肝に銘じます」と応えた。潔い返事に、思ったよりも良い人なのかもしれないと安心した頃、「良かったね、マイヤール卿」と、黙って話を聞いていたテオフィルが笑った。




「謝罪を受け入れて貰えて。夜会の会場で待ち伏せするくらいには、気になっていたんだろうから」




 からかうような言葉に、少しだけ気が抜けたように笑ったディオンが「本当に」と言って頷く。やはり悪い人ではないのだなと思っていたら、「マイヤール卿」と、隣から声が聞こえて顔をそちらに向いた。


 今までカミーユたちの会話を静かに見守ってくれていたアルベールは、真剣な面持ちでディオンの方を見ていた。




「バルテ伯爵令嬢たちの思惑が分からないということだが、そもそも彼女たちは、普段から共にいるほど仲が良かっただろうか。少なくとも私は、彼女らが共にいる所を見たことがないのだが」




 問いかけるアルベールに、カミーユは数度瞬きをする。社交界に顔を出すことが少なく、参加しても緊張し通しで、周囲に気を配る余裕がなかったカミーユからすれば、知る由もない話だった。


 反対に、アルベールもまた夜会などに出席する機会は少なかったようだが、断ることの出来ない重要な席には顔を出していたはず。彼が言っているのは、そういった場面でのことだろう。


 問われたディオンはといえば、アルベールの言葉に一つ頷くと、「私も同じ意見です」と答えた。




「恐れながら、私は閣下よりも社交の場に参加させて頂くことが多いと思うのですが、あの場にいた方々はそれぞれ、普段は別の方と共に過ごされています。それについては、私も違和感がありました。だからこそ私のように、好奇心で集まっているのかと思っていたのですが……」




 「見なかったのです」と、ディオンは不審そうな様子で続けた。




「ああいった場所も一種の社交界ですから、同じ場所に誰が顔を見せているのかは、常に把握するようにしているのですが。……あの日、あの方々と普段行動を共にされている方は、誰もいなかったのです」




 ディオンの言葉に、カミーユもまた首を傾げる。普段から共に過ごしている、気心の知れた者たちではなく、一緒にいる所を見たこともないような者たちと共に、オペラハウスに顔を出していたというのは、何とも不思議な話だった。しかも、その面々が揃って、シークレットルームに押し入って来る、なんて。


 もしかしたらあの日、あの場に彼らが居合わせたのは、偶然ではなかったのだろうか。




 まさかとは思うけれど、アルベール様か、もしくは私に会うためにわざわざ来られたのかしら……?




 そう考えた方が、辻褄は合いそうだ。けれど一体、何のために。それに、もしそうだったとしたら。


 あの日、自分とアルベールがあの場を訪れることを知っていた、ということになる。


 シークレットルームは、オペラハウスに一つしか存在しない。そのため、その部屋に訪れる者が誰なのか、オペラハウスの従業員ならば自ずと知れるわけだけれど。


 警備などの点からしても、その部屋の特性上、情報を他者に漏らすのは大変な問題である。




「……あの面々に、共通点のようなものはないだろうか。些細なことでも構わない」




 表情を険しくしたアルベールが、そう問いかける。「昨夜の件とは関係ないとは思うが、……カミーユに関係している事かもしれないからな」と。


 ディオンは少し考える素振りを見せた後、すぐには思いつかなかったらしく、ゆっくりと首を横に振るだけだった。




「二人、三人ならともかく、あの方々、全てに共通すること、というのは……」




 そう言って、彼は申し訳なさそうな顔をしていて。アルベールは静かに頷き、「何か分かったら、教えてくれ」と言うだけに留めていた。




「……それにしても、意外だったな。ブラン卿は、今回の件をカミーユ嬢に話さないつもりだと思っていたから」




 話が切れたのを見計らうように、テオフィルがそう呟いた。本当に予想外だった、というようなその口調に、カミーユは再度アルベールの方へ視線を向ける。


 彼はテオフィルの方へと視線を向けたまま、「彼女を怯えさせないために、そうするべきかとも考えたのですが」と、口を開いた。




「今回の件と言い、オペラハウスの件と言い、私は彼女の護衛に万全を期したつもりでいたのですが、……結果として、完全に護ることは出来ませんでした。これからはもっと確実にと考えており、そうであれば、黙って画策するよりも、必要な情報は彼女自身にも共有しておくべきかと思いまして」




 どうだろうか、というようにこちらを向いたアルベールに、カミーユは素直に頷く。もちろん、アルベールが自分を守ってくれるというのはとても嬉しいし、有り難いことだ。けれど、である。




「私はアルベール様を信じておりますが、だからといって、何があるか分からないとも思っているのです。何も言わずにいられるよりも、状況を教えて頂いていた方が、私自身も用心できますし、何か起きた時も対応が早いでしょう」




 騎士の家門である、エルヴィユ子爵家に生まれた者として、女の身であっても、護られることだけを信じるようなか弱い淑女ではないつもりだ。男性が怖くて近寄れないがゆえに、他の令嬢たちよりも他人に対する警戒心が高いと自負している。


 それゆえに、必要な情報を知っているのと、全く知らないのとでは、もしもの時の反応にも差が出るだろう。そしてその差はきっと、とても些細なことでありながら、命さえも左右するものであるかもしれないと、カミーユ自身も理解していた。


 また同じようなことが起こるかもしれない。そう考えるだけで、身震いするほど恐ろしいけれど。何も知らないままでいるよりは、心の準備が出来ている分、ほんの少し気が楽だった。


 テオフィルはカミーユの言葉に耳を傾けた後、気が抜けたように、ふっと微笑む。「君の言う通りだな」と言いながら。




「このような場合において、君が何も知らなかったと言って責める者はいないだろう。だが、知らないからと言って相手が引いてくれるわけではない。確かにそれならば、知った上で構えていた方が良いに決まっているからな」




 したり顔で頷いたテオフィルは、「では、君にもこのまま、この場に残ってもらおう」と続けた。




「君が何も知らされていなかったならば、先に帰ってもらうべきだと思っていたが。知っているならば問題ないからな」




 そう言って、テオフィルは昨夜から少しだけ変わった現状を教えてくれた。


 昨夜の二人の男、侯爵家と伯爵家の子息は、予想通りとでも言うべきか、昨夜の尋問以上のことを話さなかったという。そのため今日の夕刻に、囮として一度釈放するとのことだ。その経過を騎士たちに追わせる算段である。


 また、休憩室に控えていたはずの使用人は、首都から少し離れたとある伯爵家の領地の、その外れにある、古い小屋へと向かったそうだ。追っていた騎士からの報告だったが、使用人は小屋から動くことなく、誰かが訪れる様子もないらしい。こちらもまた、経過を確認する、とのことである。




「その小屋のある領地を治める伯爵家と、昨夜の二人との関わりは分からないまま。調べさせてはいるが、あまり期待出来ないだろうとのことだ」




 使用人について、王宮で働いている者たちに聞いたところ、それほど目立っておかしなことをするような人間ではなかったという話である。また、その使用人と昨夜の二人もまた、面識がなさそうだとのこと。




「それぞれが都合良く、ばらばらに画策したとでも? ……何か共通点があるはずです。そうでなければ、あまりに出来過ぎている」




 その眉間に皺を寄せながら、アルベールがそう呟く。テオフィルもまた、それに頷いていた。




「ブラン卿の言う通りだ。まだ情報が少なすぎる。もう少し調べてみなければ、分かるものも分からないだろうな。何か揺さぶりをかければ、相手も慌てて襤褸を出すだろうか?」




 ふむ、と考え出したテオフィルに、アルベールやディオン、そしてカミーユも考え込む。王宮での出来事である。このような出来事が起きた以上、早いところ解決してしまいたいテオフィルの気持ちも分かった。


 一体どうすれば、自分を狙った相手を動揺させることが出来るだろうか。揺さぶり、その姿を見ることが出来るだろうか。


 この場に訪れる前にアルベールから聞いた話では、相手はいくつかの目的を持つ者に絞られるという。


 アルベールを政治的に気に入らず、カミーユとの婚約によって、二つの騎士団を手中に収めることを危険視する者。


 単にアルベールがカミーユと婚約したことが気に入らない者。


 穿った考えをするならば、アルベールが婚約者として選んだカミーユを害し、罪をギャロワ王国の内部の者に擦りつけ、内乱を起こさせたい他国の陰謀、ということも考えられるとか。


 どのような相手であっても、姿を見せざるを得ない程に動揺する事柄。嫌がる共通項といえば。




「……アルベール様が結婚式を行えば、どうでしょう?」




 そう、カミーユは提案した。カミーユの手を包んでいた大きな掌が、びくりと震える。


 我ながら良い考えだと思った。そうすれば、どの相手であっても、引きずり出すことが出来るのではないか、と。


 政治的にしろ、国内の内乱にしろ、アルベール自身が目的にしろ、相手はアルベールが結婚することを止めるために、カミーユを男たちに襲わせたのだろうから。結婚式ともなれば、動かざるを得ないだろう。そうして慌てて動いたならば、襤褸も出るはず。


 自分を囮にするようなものではあるけれど、そうでなくてもいつ何をされるのか分からないというのだから。いつまでも怯えて日々を過ごすより、早い内に終わった方がカミーユ自身も助かると、そう思う気持ちも確かにあった。


 いつまた何をしてくるか分からない相手なのだから、いっそのこと罠を仕掛けて待った方が良い。そうすれば少なくとも、結婚式までの間で事は終わるはずだ。


 そんなことを考えていたから、気付かなかったのだ。自分以外の面々が、驚愕の表情で自分を見ていることに。




「……いや、まあ、それは確かに、そうすれば相手方もかなり動揺するだろうし、襤褸も出すかもしれないけど、さ」




 そう、言い難そうに口を開いたのは、この国の王である青年であった。




「ブラン卿の結婚式の相手はもちろん、カミーユ嬢でしょう? ……今のって、正式な結婚の申し込み、ってことになるよね……? 良いの? そんな感じで」




 おそるおそるといった、テオフィルの口調。伺うような視線。


 言われて、何のことかと首を傾げたカミーユは、次の瞬間はっと息を呑む。考えてみれば、そうなってしまうからだ。


 正式な結婚の申し込み。それは政略結婚の多い貴族同士の結婚において、婚約期間を置き、真に結婚することを申し入れるための行為である。『真なる求婚』と言われることが多い。


 『真なる求婚』は男性側から行われ、想いの丈を伝えるために盛大に行われるほど、想いが深いとされるのだ。人によっては神殿やレストランを貸し切ったり、結婚式そのものと同様にお互いに着飾った上で行ったりと、想いが深ければ深いほど、派手な求婚となる、ギャロワ王国の伝統の一つである。


 それを、今言ってしまったのだ。女であるカミーユから、王宮とはいえ執務室の、簡素な場で。結婚式をすればどうだろう、なんて適当な言葉で。


 事実に気付いた瞬間、カミーユは真っ赤を通り越して真っ青になっていた。




「わ、私、何ということを……! も、申し訳ありません、アルベール様!」




 慌ててアルベールの方を向いて謝罪を口にすれば、アルベールは驚いた顔でカミーユの顔を見つめる。「いや、俺は……」と、彼は何か言葉を紡ごうとするけれど。


 「逆に、良かったんじゃないか?」という、テオフィルの声にそれは阻まれた。




「一度目の求婚はブラン卿がしたんだし、二度目はカミーユ嬢からでも。何も伝統が全てではない。ブラン卿も、カミーユ嬢から求婚されたんだ。嬉しいだろう」




 楽しそうな笑みを浮かべて、テオフィルはそう告げる。アルベールの方を見れば、彼は嬉しそうに微笑みながらカミーユを見ていて。テオフィルの言葉に、「とても」と返していた。


 確かにテオフィルの言う通り、アルベールからはすでに求婚されているわけで。それを考えれば、今回カミーユから求婚する形になったのは、むしろ良いのかもしれない。


 カミーユ自身も、いずれはアルベールと結婚するのだと思っていた。昨夜の件も有り、結婚そのものを諦めていた以前とは違って、彼との日々を望む自分にも気が付いていた。彼と夫婦となれたら、ずっと傍にいられるのだと思うと、その日を待ち遠しくさえ思う。


 けれど、だ。


 「……もし、私から正式に求婚して良かったのならば」と、カミーユは小さく呟いた。




「もっと盛大に行いたかったですわ。我が家門はあまり贅沢を好みませんが、想いの深さに比例していると言われるのなら、私の出来得る限り、精一杯飾った場所で、アルベール様に結婚してくださいって言いたかったです」




 私としたことが、と後悔に俯くカミーユは気付かなかった。


 にやにやと楽しそうに笑うテオフィルにも、微笑ましそうにこちらを見るディオンにも。

 真っ赤になってしまった顔を片手で覆って、緩んだ表情を見せまいと必死になっている、アルベールの姿にも。最後まで、気付かないままだった。

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