第20話 最大限の礼を。




「アルベール様……っ!」




 声が聞こえた。ただひたすらに愛おしい人の、自分を呼ぶ、必死な声が。切実な声が。


 今回の夜会に呼ばれたのが、騎士としての自分でなく、貴族としての自分で良かったと、アルベールは心の底からそう思った。もし、会場の周辺を守護している騎士たちと同じように、この手に届く所に剣があったならば。


 瞬きをする間を与えることもなく、この場には二つの遺体が転がっていただろうから。




「本当に、良い度胸をしている」




 目の前に広がった光景に、アルベールはそう呟いた。


 本当に、良い度胸をしている。王宮というこの空間内に自分がいるのを分かっていながら、カミーユに手を出そうとするとは。


 余程、命を捨てたいのだとしか思えない。


 かつん、かつんと音を立てて部屋の中を進む。びくりと、視線の先の二人の男の肩が揺れるのが見えた。




「ま、待ってくださいよ。英雄閣下。俺たちはまだ……」




「そ、そうそう。まだ何もしてないですって」




 どこの侯爵家の息子だったか。どこの伯爵家の者だったか。

 言葉を発した男の手は、相変わらずカミーユの肩の上にある。アルベールの姿を見つけ、彼女は少しだけほっとしたような表情になっているけれど。


 その真っ青な顔色が、彼女がどれだけ恐ろしかったのかを如実に伝えていた。




「それがどうした」




 ぽつりと、アルベールは呟いた。まだ、何もしていないというのだ。彼らは。まだ、何もしていないではないかと。


 いつかも聞いた台詞だった。まだ、何もしていないから良いのだ、と。震える少女を前に言い放った者たちの姿が脳裏に浮かぶ。

 彼らにとってはまだであったとしても、その出来事によって男性を恐れるようになってしまった少女を、アルベールは知っていた。だから。


 目の前にいるこの者たちの事も、許すことなど出来るはずもない。


 アルベールの表情を目にした男たちの顔が、恐怖に染まった。何を言うべきか分からないというように、唇を震わせている。




 俺が来なければ、その何かが起きていたということだろう。




 かつん、かつんと音が響く。背後の、破壊され、床に倒れた扉の向こうに、人の気配が近づくのを感じた。おそらく、今回の夜会の主催者である、国王テオフィルが、人を連れて来たのだろう。彼の静止を振り切り、一人ここまで駆けて来たから。


 本当に、良い度胸をしていると思った。王宮という、もっとも人々を警戒しているこの建物の中で、彼らは、自分をこの場に近寄らせないようにしていたのだ。


 かつん、と最後の音を立てて、アルベールは男たちの前に立つ。カミーユに触れた男の手を掴めば、痛みゆえにか、男の顔が一気に歪んだ。




「っうぁあ!?」



「その手を放せ」




 静かにその腕をねじり上げれば、男の口からは悲痛の声が上がる。みしみし、と音が聞こえた気がした。もしかしたら、骨に異常をきたしたかもしれない。


 そんなこと、どうでも良いけれど。




 この程度の痛みなど。……カミーユが感じた恐怖に比べれば。




 掴んだのが手首であるだけ良いだろうと思いながら、アルベールは怒りに任せてその腕を引き、その頭を掴んで、男の身体ごと床に叩きつける。「ぐっ!?」という声を上げて、男はその場に沈み、動かなくなった。


 その様子を見ていたもう一人の男も、アルベールが視線を投げたら、「ひっ」と声を上げてその場に座り込んでしまう。腰を抜かしたらしく、目を逸らすことも出来ずにアルベールを見つめながら、「申し訳ありません」と、何度も謝罪を繰り返すだけになった。




「カミーユ、大丈夫か……?」




「アルベール様……」




 男たちの様子を一瞥し、アルベールはカミーユの方へ向き直る。意識を失って伸びた男を跨いで一歩近づき、その肩に触れようと手を伸ばすが、そこで手を止めた。


 触れて大丈夫なのか、分からなかった。ただでさえ男性を恐れているというのに、このような状態に置かれているのだ。自分もまた、男であるという事実は変わらなかったから。


 そんなアルベールの逡巡を余所に、呆然とこちらの動きを見ていた彼女はしかし、アルベールの視線を受けて我に返ると、さっと後ろを向いてしゃがみ込んだ。


 アルベールは気付いていなかったのだが、そこには見ず知らずの、一人の令嬢が座り込んでいた。




「ほら、皆さんが助けに来てくれました。もう、大丈夫ですよ」




 穏やかな口調で、驚かせないように、カミーユは令嬢にそう囁く。身体を丸め、己を護るように両腕で頭を庇っていた令嬢は、おそるおそる顔を上げると、周囲を見渡した。ほっとした様子で息を吐き、肩を降ろす。ぽろぽろと、涙を流しながら。




「よ、かった……。わたし、怖くて……。助けてくれて、あ、ありがとう、ございました……!」




 令嬢はカミーユの手を握り、嗚咽の合間にそう呟いていた。青白い顔に優しい笑みを浮かべながら、「私は何もしていませんわ」と言うカミーユの姿に、何があったのかを推察する。


 もしかしたら、先に彼らに襲われそうになったのは、目の前にいる令嬢なのかもしれない、と。カミーユは元々この部屋にいたから、令嬢が助けを求めたのだろう。それを庇っていたからこそ、助けてくれて、という言葉が出るのだろうから。




 ……男というだけでも、恐ろしかっただろうに。




 それでも前に出て別の令嬢を庇うカミーユの姿を思い浮かべれば、それだけで胸が苦しくなる。


 なぜ、このようなことになったのか。このような事態を許してしまったのか。




「侍女たちに来てもらえ。ご令嬢方の髪や服装を整えるように伝えろ。こいつらは、別室に捕らえておけ。話を聞かなければいけないだろうから」




 背後から聞こえた声に、アルベールはそちらを振り返る。厳しい顔をしたテオフィルは、疲れたような様子でこちらに歩み寄って来た。「自分の責任だ」と言いながら。




「間に合ったようだから良かったものの……。令嬢たちにも、話を聞かせてもらいたい。ここでは気分も悪いだろうから、別の部屋へ移そう」




 引き連れて来た騎士たちによって引きずり出されていく二人の男を見ながら、テオフィルは思案気に呟く。事態の収拾のためにと、彼がそう提案するのは当たり前のことであった。だが、だ。


 二人に移動を促すためだろう、テオフィルの背後にいた騎士の一人が足を踏み出した途端、ぎゅ、と、服の裾が引かれた気がして、アルベールは視線をそちらへと移す。平静を保った表情を浮かべるカミーユの肩はしかし、僅かに震え、いつかと同じく、縋るようにアルベールの服を握っていて。


 「申し訳ありません、陛下」と、アルベールはカミーユの姿を背後に隠すようにして、前に出た。




「このような事態となり、我が婚約者もそちらのご令嬢も、心身ともにとても疲れているはず。話を聞くのは、明日でもよろしいのではないでしょうか」




 カミーユを思うがゆえに、鋭くなった視線。テオフィルは僅かにたじろいだ後、申し訳なさそうに「気が利かなかったな」と呟いた。




「ミュレル伯爵の言う通りだ。今日の所はゆっくり休んでくれ。隣の部屋を開けよう。落ち着くまでは、そこで過ごすと言い」




 言って、彼はすぐに背後の騎士たちに指示を出す。騎士の一人がカミーユの背後にいた令嬢の元へ行き、エスコートして立ち上がらせていた。この分ならば問題ないだろうと、アルベールもまたカミーユの方に向き直る。ほっとした様子の彼女に、少しだけ安堵した。


 と、テオフィルが思い出したように、「ああ、そうだ」と口を開いた。今まさに部屋を出ようとしていた令嬢も、彼の方を振り返る。「このようなことを言って、また気が利かないやつだと思われるかもしれないが」と、彼は困ったように笑って続けた。




「休憩してもらうのはもちろん構わないが、その後、王宮を出るには、必ず夜会の会場に出る必要がある。そこでは、何事もなかったように振舞った方が良い。私とミュレル伯爵が急に姿を消したものだから、何事かと気にしている者も多いだろう。暗い顔をしていたら、根も葉もない噂を立てる者が現れないとも限らないからな」




 「困ったものだ」と息を吐くテオフィルに、しかしカミーユも令嬢もまた、神妙な顔で頷いていた。男性はともかく、女性の場合、社交界でおかしな噂が流れようものならば、貴族社会に身を置くことが出来なくなる。アルベールはくだらないと思っているが、そういうものなのだともまた、理解していた。


 テオフィルの指示で侍女が来ることになっているから、乱れた令嬢の髪形も整えられるため、大して広間の客人たちの気を引くこともないだろう。当たり障りのない会話をしてやり過ごせば、問題ないはず。


 そう思っていたら、別室で休むために騎士と共に部屋の扉の前まで進んでいた令嬢が、「あの……」と小さく声を上げた。




「私、皆さんに先程の出来事を伝えてもよろしいでしょうか? エルヴィユ子爵令嬢が、身を呈して助けてくれた、と。そしてブラン卿と陛下が助けてくれたのだ、と」




 「エルヴィユ子爵令嬢は素晴らしい方なのだと、友人たちに伝えたくて……」と、もごもごと続ける令嬢は、その頬を僅かに赤く染めていて。驚いた様子のカミーユを余所に、テオフィルは面白そうに笑って、「それは良い」と応えた。




「ミュレル伯爵の婚約者の事を知りたがっている者は大勢いるからな。話題にもなるだろう。そうすれば、おかしな噂が立つ事もないだろうからな」




 うんうん、と頷くテオフィルにカミーユは恐縮したように「そんな、私は、何も……」と言うけれど。これに応えたのは、彼女に庇われた令嬢であった。




「何もだなんて、とんでもないですわ! 子爵令嬢は、私の姿を見た時に、扉を閉めることも出来たのです。ううん。そもそも、扉を開けないことだって出来たはず。それなのに、危険を冒して助けてくれたんだもの。廊下の先は行き止まりだから、令嬢が開けてくださらなかったら、私は……。だから、令嬢がとてもお優しい方だって、皆さんにお伝えしたいのです」




 言い切る令嬢の決意は固いようで、それを止める必要もなく。カミーユは少々呆気に取られた様子で令嬢の顔を見た後、気恥ずかしそうに笑っていた。




「話もまとまったようなので、私たちはこれで失礼します。陛下には、くれぐれもこの件の調査をよろしくお願いいたします」




 カミーユの方へ手を差し出し、その手に彼女の手が重なったのを見届けて、アルベールはそう切り出した。会場には、まだ挨拶をしていない者もいたが、今はカミーユを早く休める場所に送り届けるのが最優先である。


 国王であるテオフィルがいるにも関わらず、早々に退出しようとするアルベールにカミーユは驚いた様子だったが、テオフィルは慣れた様子で「ああ、任せておけ」と言って道を譲ってくれた。「行こうか、カミーユ」と言って、彼女の歩幅に合わせ、扉の方へと足を進めて。


 テオフィルのすぐ傍まで来た時、僅かにアルベールは足を止めた。




「私の最愛を傷付けた者たちとは、ぜひ、私自ら話がしたいと思います。……俺たちがここに来るのを阻んだ小細工と言い、あの二人だけの仕業とは思えん。先程の令嬢を狙ってか、あるいは……。あの二人を泳がせてでも、尻尾を掴んでくれ」




 エスコートする手は冷え切り、縋るようにアルベールの手をぎゅっと握っている。カミーユをここまで怯えさせてくれたのだ。最大限の礼をしてやらねば気が済まない。


 カミーユに聞こえぬよう、ぼそり、と呟いた声に、テオフィルもまた「元より、そのつもりだ」と言って頷いていた。

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