第20.5話 不愉快な結果。
あの方と共に何食わぬ顔で王宮を訪れたあの女は、当たり前のようにあの方のエスコートを受け、当たり前のようにあの方に笑みを向けられていた。
あの方の色を表した、銀と藍の布地で作られた美しいドレス。隣に立つあの方は、落ち着いた風合いの茶色の衣装を纏っている。その細部を彩る刺繍は赤く、誰が見ても彼らが、お互いの色合いを見に着けているのだと分かった。それが、どういう意味を持つのかということも。
「まあ、英雄閣下と婚約者のご令嬢、本当にお互いを愛おしく想っていらっしゃるのねぇ」
「あそこまで堂々と相手の色を身に纏っているならば、誰にも入る隙はないでしょう。ミュレル伯爵様が贈ったのでしょうから、意味は……」
彼女は私のもの。私は彼女のもの。それが、この国の社交界に置いて、お互いがお互いの色を纏う意味であった。
加えて、周囲の人間たちはあの方の笑みなど見たことがないと、二人が本当に想い合っているのだと、そんなくだらないことを話していたけれど。彼は王位継承権を持つ最高位の貴族である。そのくらいの演技が出来ないはずがないのだ。
ドレスにしても、建前で出来ること。そうやって楽しそうに笑っていれば良いわ。あの方の隣は、あんたなんかがいて良い場所じゃないの。
顔にはいつも通りの笑みを浮かべながら、脳裏でこれから起こるはずの出来事を描けば、少しだけ気分も晴れた。
夜会の客人たちがひっきりなしに挨拶をしてくる中、ちらちらとあの女の方へ視線を向ける。男性を極度に恐れている上、社交界にあまり出てきたこともないという話のため、早いうちに休憩室へ入るかと思ったのだが。思ったよりも粘っているようだった。
と、国王テオフィルが二人の方へと向かうのが見えた。まるで周囲に聞かせるかのように、高らかに響く声。国王である彼を前にして、あの方は殊更にあの女を愛するような態度を示して見せる。
「申し訳ありませんが、私は心が狭いので、陛下と言えど彼女が他の男と言葉を交わすのが非常に気に入りません。なので私を通して頂ければ嬉しいのですが」
さらりとそう口にする姿は堂に入っていて。誰もが微笑ましそうに彼らの会話を聞いていた。
無理もない。国王その人が命じたのであろう婚約なのだ。誰よりも彼にその意志を見せなければならないのだろうから。でも。
……ずるい。
素直にそう思った。演技であっても、嘘であっても、あのように言われるあの女がずるく、憎かった。国王の命がなければ、あの方にあのように言ってもらえたのは、自分だったはずなのだから。
でも、大丈夫。使用人も買収したし、ろくでなしの貴族令息たちも焚きつけた。休憩室にさえ入れば、……次に姿を見せた時、はしたない女としてあの方との婚約もなかったことになるはずだから。
あの女があの方を伴ってティーパーティに参加したと聞いたあの日から、少しずつ計画を練って今に至る。王宮の使用人を買収し、誘惑し、必要な情報を得て。行きたくもなかった品のない夜会に出て、高位貴族のはみ出し者と取引をした。
全てはあの方のため。あの方との未来を護るため。
そうして、遂にその時が来た。
「カミーユ、疲れただろう。そろそろ休憩室へ向かおうか」
普段からは想像も出来ないような、あの方の優しい声。妬ましさに張り付けた笑みが崩れそうになるのを必死に堪えながら、二人が夜会の広間を出て、休憩室の方へと消えていくのを見送る。
そうしてしばらくして、あの方は一人で会場に戻って来た。予想していた通りに。
これでもう、逃げられない。……仕方ないの。わたくしとあの方の関係を邪魔するのだもの。退場して頂かないと。
思い、ふふ、と笑みを浮かべながら、休憩室へ続く廊下へと繋がる扉を見つめた。
あの方が客人の相手をし始めた頃に、二人の男がその扉をくぐっていく。彼らは先日、仮面をつけたとある夜会に出席して見つけた、この舞台の立役者たちである。
そして二人が扉の向こうに消えた後、入れ替わるように一人の使用人が会場へと入って来た。見覚えのあるその男は、こちらを見つけると、嬉しそうに笑みを浮かべて見せる。
慌てて、顔を背けた。もし誰かが見ていたらどうするというのだろうか。もちろん、自分を見て嬉しそうにする男など掃いて捨てるほどいるため、それほど気にも留められないだろうけれど。
再び視線を戻した時、使用人が扉の鍵を締めているのが見えた。これでもう、誰も休憩室の方に行くことは出来ない。それほど時間をかけずとも、言い逃れの出来ない状態になるだろう。
休憩室に誰もいないことを確認して出てくるように言っておいたから、今あの扉の向こうにいるのは、あの女と、あの二人だけのはず。……どんな顔をするかしら。
誰かが廊下への扉の鍵がかかっていることに気付き、それを開けて。あの方が挨拶を終えて、あの女の元へ向かったとして。
二人の男と戯れるあの女の姿を見れば、あの方はきっと、ほっとするだろう。これで、あの女と結婚しなくても良いのだ、と。
噂はすぐに社交界に流れるはずだから、陛下であっても婚姻を無理に進めることはないでしょう。他の男を誑かした汚らわしい女なんて、あの方に相応しくないのだから。
そうして、使用人を始末し、あの二人の貴族令息たちとの取引を終えれば、そこまで。邪魔者は消え、あの方は自分の傍にいてくれる。想像するだけで、胸が躍るようだった。
だというのに。
「聞きました? また例の二人が、下位貴族の令嬢を……」
「見境のない方たちだとは思っていたけれど、まさか王宮の夜会で、なんて。……それにしても、英雄閣下の婚約者のご令嬢は立派な方ですわね!」
「あの二人に襲われそうになった男爵家のご令嬢を庇ってくださったとか。そうそう、出来ることではありませんわ!」
流れる噂は全て、あの女を称えるものばかり。ぎり、と、奥歯が音を立てた。
なぜ。どうして。
どういうこと。誰もいないのを確認しろとあれだけ言ったのに……! あの二人にしてもそう! どうしてあの女だけを狙わなかったの……!
あの方にエスコートされたあの女が、何事もなかったかのような顔で会場を出てすぐに、名前も知らない男爵家の令嬢が言い出したのだ。女癖の悪いことで有名な侯爵家と伯爵家の令息に襲われそうになり、あの女に助けてもらったのだ、と。
英雄閣下に相応しい、素晴らしい婚約者だ、と。
不愉快だった。心の底から。
「ミュレル伯爵に加えて、陛下までいなくなったから何事かと思ったが……。あの二人の素行の悪さは有名だったからな」
「元々、家の方から勘当される話がありましたものね。これでこの国の社交界も平和になりますわ。流石は、英雄閣下の選んだ方」
「本当に」
そこかしこで交わされる会話。ぞっとするほどの称賛の声。
なぜ。どうして。こんなはずではなかったというのに。
何でこんなに役に立たないの……! せめて髪型の一つ、乱してくれていれば、噂の立てようもあったというのに……!
会場中の注目を浴びていたあの女の髪型だけでも変わっていたならば、誰かがその変化に気付き、噂も少しは信憑性が増したはずだというのに。これでは、噂を立てた方が白い目で見られてしまう。
何もかもが、上手くいかなかった。
「……大丈夫ですか? 顔色が……」
「ああ、噂をお聞きになったのですね。大丈夫ですよ。陛下があの二人を捕らえているそうですから。貴女が危害を加えられることはありません」
「もし捕まっていなかったとしても、私が指一本触れさせませんけれどね」
周囲の男たちが心配そうに言うのを聞きながら、慌てて表情を繕い、「まあ、心強いですわ」と嫋やかに微笑んで言葉を返す。男たちはその顔を一気に赤くして、嬉しそうに更に何やら言い募っていた。
そんな彼らの言葉を笑みを浮かべたまま聞き流しながら、考える。
もう、遠慮なんてしていられない。
「せっかく命ばかりはと思ったのだけれど。だめね。……ちゃんと、いなくなってもらわなくては」
小さく呟いた言葉に気付いた者はおらず。深めた笑みに暗い影が滲んだことに気付いた者もまた、誰もいなかった。
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