第19話 恐怖の再来。


 それは、アルベールが部屋を出てから、少し経ってからのことだった。激しく音を立てる扉に、カミーユは驚いて身を固くする。

 一体、何故急に扉が叩かれるのだろう。




 部屋の外には、使用人の方たちがいらっしゃったはずなのに、何故……。




 思うも、次の瞬間、聞こえて来た声にそのような疑問を忘れてしまった。




「だ、誰かいませんか……! いたら、助けて……!」




 あまりにも必死な様子の女性の声に、カミーユは慌てて立ち上がり、扉へと駆け寄った。その間にも、扉を叩く音は止まない。


 「どうされました……!?」と、カミーユは扉越しに問いかける。何が起きているか分からないというのに、無闇にそれを招き入れるわけにはいかなかったから。


 カミーユの声が聞こえたらしい、扉の向こうの人物は、ほっとした様子で、「……! ああ、良かった……!」と声を上げた。




「お、男の人たちに追われているんです……! 助けてください……!」




 一瞬、身体が凍り付いてしまったかのように動かなくなった。男の人たちに追われているという、その言葉に。その言葉が表した状況に、身が竦んだから。


 しかし扉の向こうから再度、「は、早く開けてください……!」と、悲痛の声が聞こえてきて、慌てて扉を開く。


 扉の向こうから現れたのは、夜会のために整えていたであろう髪を振り乱し、今にも泣きそうなほどに顔を歪めた、一人の令嬢。彼女は慌てた様子で部屋の中に入ると、「扉を閉めて!」と声を張り上げた。


 カミーユもまた、慌てて扉を閉じる。閉まる扉の合間に、二人の男がふらふらと覚束ない足取りで歩み寄ってくるのが見えた。おそらく酒にでも酔っているのだろう。夜会が始まってしばらく経っているため仕方がないかもしれないが、その目だけは真っ直ぐにこちらを見ていて、それがこの上なく恐ろしかった。


 扉の鍵を閉めて、震えている令嬢を支えながらソファへと進む。鍵がかかっていることに気付けば、さすがに彼らも諦めるだろう。そう思いながら。




「た、助けて頂き、ありがとうございました……。本当に助かりました……」




 ソファに腰を降ろし、自らの身体を抱きながら言う令嬢に、カミーユは、「あの方たちは……?」と問い掛ける。何しろ状況が全く分からない状態だったから。


 と、ガチャガチャ、とドアノブを回す音に続き、ドンドンッ! と力任せに扉を叩く音で、二人は揃ってはっと扉の方を見る。男たちが部屋の前まで来たらしかった。




「ねえ、出てきなよー。ここに入ったの見てたからさー」




「鍵かけてやがる。面倒くせぇなぁ」




 扉越しに聞こえる男たちの声に身震いしながら、令嬢を見れば、彼女もまた怯えた様子で扉の方を凝視していた。その間にも、ドンッ、ドンッという、激しい音が響く。


 扉から目を離すことが出来ないまま、令嬢は「わ、私、この部屋の隣の休憩室で休んでいて……」と、この状況に至るまでの経緯をたどたどしく口にした。




「広間に戻ろうと部屋を出た所で、声をかけられたんです。あ、相手をしろ、と……」




 ぎゅ、と自分の腕に食い込むほどに指に力を入れる令嬢の恐怖が、カミーユには痛いほどに分かった。誰もいない場所。複数人の男。抗えるはずもないと分かり切った状況に、品定めをするように、こちらを見る、視線。


 「うっ」と、思わず口許に手を当てる。咄嗟に頭に浮かんだ光景に、胃の中がひっくり返りそうな心地になって、必死に堪える。




 だめ。不安がっている人の前で……。さらに不安がらせてしまう。




 扉があるから大丈夫。誰もここには入って来ない。そう自分に言い聞かせて、何事もない様子を装いながら、言葉を続ける令嬢を見守った。




「あ、あの方たちは伯爵家と侯爵家の方たちで……、下位貴族の令嬢に手を出してることで有名なんです。多分、顔を見たらすぐに分かると思います。……男爵家の娘である私では、下手に拒否して刺激することも出来ず、逃げることしか出来なくて……」




 「巻き込んでしまって、ごめんなさい……」と、泣きそうな顔で言う彼女に、カミーユはゆっくりと首を横に振った。「謝る必要なんてありません」と言いながら。


 むしろ今の話を聞いて、どこに彼女が謝る要素があるというのだろう。こうして怯えて、震えて。まだ何もされてはいないとしても、その姿は、被害者以外の何者でもなかった。




「どう考えても、貴女のせいじゃないもの。大丈夫。もう少ししたら諦めるでしょうから。それに、あれだけ大きな音を立てているのだから、誰かが気付くかもしれないわ。もう少しだけ、頑張りましょう」




 先ほどからずっと、扉が叩かれている。あまりにも大きな音を立てながら。

 アルベールのために用意されたこの休憩室は、他の休憩室と比べても、最も広間から遠い。けれど、これほどまでに音を響かせていれば、誰かが気付くはずである。


 他の休憩室に誰かがいればもっと良かったのだが、これだけ騒いでいるというのに、扉の向こうの男たち以外の声が聞こえることはなかったので、誰もいないのだろう。

 それよりも気になるのは、部屋の前にいたはずの使用人の存在だった。




 確かに、アルベール様が言葉を交わしていたのに……。何で急にいなくなってしまったのかしら。




 相変わらず扉の方から聞こえる音から気を紛らわせるように考えていたカミーユは、急に先ほどよりも激しく、ダンッと響いた音に息を止めた。


 今の音は、まるで。




「扉を、壊そうと、してる……?」




「ひっ……!?」



 彼らは腕だけではなく、身体全体を使って、扉を壊そうとしている。その証拠に、彼らがぶつかる度に、部屋の扉がミシミシと音を立てていた。




 前々から彼女を狙っていた……? けれど、それだけの理由で王宮の扉を壊そうとするかしら……。




 いくら侯爵家や伯爵家の子息と言えど、そのようなことを王宮で行えばそれなりの罪に問われるだろう。それも、女性を乱暴する目的で、ともなれば。




 普通なら考えられないわ。他の目的があるのかしら? それとも、罪に問われない自信があるか、……罪に問われても良いと思っているか。




 考えながら、しかしミシミシとさらに音を立て始めた扉に意識を奪われる。外開きの扉は衝撃を受ける度に内側に膨れ、それほど時間を立てずに壊れてしまいそうだった。


 「ひっ」と、声が零れそうになり、しかしそれを押し留める。蒼褪めた表情で扉を凝視し、震える令嬢の恐怖をこれ以上煽るわけにはいかない。


 切迫した緊張感が部屋に満ちる。恐ろしくて、あまりにも早く胸を打つ鼓動に吐き気を催しながらも、必死に表情を繕いながら周囲へと視線を向けた。


 部屋の中にあるのは、いくつかのテーブルとソファ、そして椅子。壁に囲まれた部屋の内、背後にだけ窓があるけれど、ここは二階である。見る限り、周囲に背の高い木のようなものもないようなので、とても無事では降りられない。


 それでも、男たちに襲われるくらいならば。




 ……だめ。私一人ならば良いけれど、彼女を置いてはいけないわ。




「あ、嘘……」




 令嬢が呆然とそう口にする。

 とうとう、ギシギシと音を立て始めた扉にカミーユは令嬢と二人、ソファから立ち上がった。どこかに隠れなければ。きょろきょろと、辺りを見回しながらそう思うけれど、身を隠せるような物がないのもまた事実で。


 せめて少しでも離れようと、「こっちへ」と、令嬢の手を引いて背後の壁の方へと向かう。

 やはりと言うべきか、窓から外を確認しても、掴まれそうな木々はなく。室内の光が漏れる中で確認できる窓の外、その真下には、緑色の芝生が広がっているだけだった。




 大丈夫。きっと誰かが気付くはず。だから、少しでも気を逸らさないと……。




 怖くて怖くて仕方がなくて。恐怖に竦みそうになる身体を叱咤し、気を紛らわせるように思考を巡らせる。


 大丈夫だきっと。誰かが来てくれる。


 アルベールが、気付いてくれる。だから。


 ミシッ、ミシッ、……バンッ!




「お、開いた開いた」




「王宮の扉壊すとか、さすがに初めてやったな。……ま、王宮にくるのもこれで最後だから、どうでも良いけど」




 バタンッ! と音を立てて、外開きの二枚の扉のうち、一枚が、部屋の内側に倒れる。どこか楽しそうな調子で言う男たちを信じられない心地で見ながら、カミーユは震える令嬢を背後に庇って立った。


 にやにやとした下卑た表情。相手の気持ちなど存在していないかのように、楽しそうに笑う男たち。


 いつかと同じような光景に身体が竦むけれど。背後にいる彼女にまで、自分と同じような目に合わせるわけにはいかなかった。


 男の人を目にするだけで恐怖に竦み、怯え、息さえも出来なくなるような、そんな目に合わせるわけには。




「あ。アンタ、英雄閣下の婚約者じゃん。丁度良かった」




「オレ、あんたのこと気になってたんだよなぁ。あの英雄閣下が惚れるくらいだから、相当イイんだろうと思ってな」




 一歩、また一歩。倒れた扉を踏みつけながら、男たちは楽しそうにこちらへと歩いてくる。


 何で誰も来ないのだろう。あれだけの音を立てて、今もまた、大きな音で扉が倒れたというのに。




「……来ないで」




 ゆっくりと、まるで獲物を追い詰めるように、二人はこちらに歩み寄ってくる。じりじり、じりじりと、近付いてくるにつれ、カミーユもまた、後ろに身を引き、背後の令嬢が身体を固くしているの感じる。


 怖い。怖い。なぜ誰も来ないのだろう。




「来るなって言ってもなぁ。そういうわけにもいかねぇんだよ」




「大丈夫だって。楽しいことするだけだからさ」




 全身の血の気が引く。ぞっと、一気に。


 彼らは今のこの状態でさえ、楽しそうに笑う。こんなにも恐ろしいのに。こんなにも怖いのに。


 彼らは、自分以外の人間の気持ちなど分からないのだろう。自分たちが楽しければ、それでも良いというのだろう。


 なけなしの虚勢を張って二人を睨みつける。足が、身体が震えるけれど、構わずに。


 一瞬、一秒が異様に長く感じる空間で、彼らはとうとう、カミーユの目の前まで近付いた。




「……最後の忠告よ。仮にも侯爵家や伯爵家の方たちの所業とは思えないわ。このようなことをして、無事に済むはずもない。分かっているでしょう。……引き返しなさい。誰かが来る前に」




 意識して、低く声を張り上げる。少しでも、ほんの少しでも時間を稼ごうと。


 案の定、男たちは楽しそうに一つ口笛を吹き、笑った。「さすが閣下の婚約者、威勢が良いな」と言いながら。




「まあ、ここまで来て、すごすご引き返すはずもねぇよな」




「……っ!?」




 伸びて来た腕が、カミーユの肩を掴んだ。いよいよ怯えた令嬢が、後ろで力が抜けたように座り込むのを感じる。


 「こっちの子は、潔いなぁ」と、面白そうに言いながら、二人の視線はカミーユの方へと向いたまま。


 「放して!」と言って腕を振り回すも、すぐさまそれをもう一人の男に掴まれた。途端、脳裏に鮮明に浮かんだ、いつかの記憶。腕に、肩に、首筋に触れる知らない男の吐息。その記憶をなぞるように、目の前の男もまたカミーユの服に手を伸ばして。


 耐えきれず、ぎゅっと、目を閉じた。




 ……やめて。放して。……助けて……!




「アルベール様……っ!」




 そう、声を上げて叫んだ時だった。


 「本当に、良い度胸をしている」という、低く、あまりにも冷たい殺意を秘めた声が、聞こえて来たのは。

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