第14話 あなたに伝える言葉。

 いつもよりも早い時刻に目を覚まし、食事を終える。数日前に受け取った贈り物のドレスに袖を通せば、眺めていた時には気付かなかった端々の繊細な意匠に、思わず息を呑んだ。




 やっぱり、なんて美しいドレスなんでしょう。




 落ち着いた色味のため、一見すれば少々地味に映るかもしれないが、赤にほど近い茶色の刺繍が細かく刺されており、動くたびにその糸の光沢できらきらと光る。派手過ぎず、そしてティーパーティを飾るには申し分ないほど華やかで。

 気分までも晴れやかになりながら、カミーユはアルベールの訪れを待っていた。


 今回ティーパーティが行われるのは、アルベールの生家であるベルクール公爵邸である。アルベールは現在、ミュレル伯爵として爵位を授かった際に受け取った別の屋敷に住んでいるらしいが、彼が主催の家族であることに変わりはない。


 そのため、カミーユは自らの家の馬車で会場に向かっても良いと伝えたのだが。アルベールは断固として首を縦には振ってくれなかったのだ。絶対に、自分がエスコートして連れて行くのだ、と言って。




 ……せめて、エスコートを自然に受けられるくらいには、ならないと。




 アルベールと約束した時間よりも少しだけ早い時間に玄関ホールに立ったカミーユは、ぎゅっと自らの手を握りしめながらそう思った。


 先日の、妹の婚約者であるジョエルを招いて開いた晩餐の席で、カミーユはアルベールに求婚されたあの日から、随分と変わった自分の気持ちに気付くことになったのだが。何となく口にしづらく、あの日から数日間、毎日顔を合わせてはいるものの、伝えられないままであった。


 そもそも、今更何と口にすれば良いのか分からないと言うのが本音である。


 アルベールの場合、素直に気持ちを伝えれば、それだけで喜んでくれそうな気もするのだけれど。結局、時機を掴めないまま、今日に至っていた。




 ただ気持ちを口にすれば良いだけなのに……。なんて難しいのかしら。




 妹のエレーヌには、難しく考えすぎなのだと言われてしまった。伝えなければ、とそればかりを考えすぎて、いつそれを口にすれば良いのか分からなくなってしまっているのだと。それならばいっそ、自然に口にしたくなるまで待ってみれば良いではないか、と。




「あのアルベール様のことだもの。そんな機会、きっとすぐに来ると思うわ」




 「それよりも、せっかくのティーパーティを楽しむべきだわ」と、エレーヌはあっさりと言った。


 確かに、妹の言うことは一理あるのだけども。アルベールは自分に想いを寄せてくれていると知っているというのに、自分は何も伝えないというのは、公平性に欠けるわけで。


 やはりなるべく早く言わなくてはと思いながら、何かに挑むような気持ちで玄関扉を睨みつけていた。


 それほど長い時間を待たず、客人が来訪したという報告を受けた。

 珍しく、と言うべきか、約束の時間丁度に訪れたアルベールの姿を見たカミーユは、驚きのあまり何度も瞬きを繰り返す。正確には、彼の纏ったその衣装に。


 そのため、視線の先のアルベールもまた、カミーユを見て驚いたように動きを止めたことに気付かないままだった。




「ごきげんよう、カミーユ。……すまない、言葉に詰まってしまった。あまりに可憐すぎて……。今日のティーパーティの参加者が、女性だけで本当に良かった。そうでなければ、このまま閉じ込めてしまわねばならぬところだった」




 はっとしたように口を開いたアルベールは、言葉を詰まらせながらそう続けた。

 その内容に、「ご冗談を」と言って微笑むが、彼はむしろ驚いたような顔で「本気だが」と応える。


 けれど内容が内容だったので、やはり冗談にしか思えず。「そういうことにしておきますわ」とカミーユは返した。




「ごきげんよう、アルベール様。今日もとても素敵、なのですが。……あの、そのお召し物は……」




 触れて良いものかと悩みながら、おそるおそるカミーユはそう口にする。彼に似合わない衣装などあるのだろうかと思うし、今回のそれもまた良く似合っているのだけれど。


 問題は、その色合いである。


 カミーユのドレスに使われているものとよく似た淡い茶色の装いは、その端々にこれもまたカミーユのものとよく似た刺繍が細かく刺されている。


 つまり、カミーユの色に彩られた、カミーユのドレスと合わせたような衣装なのだ。アルベール自身が、カミーユの持つ色合いに染められた状態なのである。




 男性が女性に贈るドレスに、自分の色を使うのはよくあることだけれど、逆はとても珍しいのよね。




 パーティなどでパートナーを務める際、男性が女性にドレスを贈るのは一般的なことである。そしてそのドレスの色に、男性の持つ髪や瞳の色を使う場合、このギャロワ王国では、『この女性は自分の恋人だ』というような、牽制の意味合いがあるのだが。


 逆の場合は、当たり前だが、意味もまた逆になる。すなわち。




「ドレスを贈る時、自分もまた女性の色合いを身に着けるのは、『貴女の虜』という意味だと聞いた。その通りだと思ったから、そうさせてもらったが……」




 「いけなかっただろうか……?」と、少し困ったように訊ねられ、カミーユは慌てて「い、いいえ」と言って首を横に振った。

 女性の色を身に着ける場合、『この女性の虜である』という意味以外にも、恋人や婚約者、既婚者でなければ、『自分はこの女性に求愛中である』という意味を持っていたから。


 だからそれを駄目であるということはないのだけれど。本当にそれを身に着ける男性は、とても珍しいのもまた事実である。


 求愛中だが、まだパートナーになってもらえる程度で、求愛を受け入れてもらってはいないという風にも取れるため、矜持の高い貴族男性たちは忌避しがちなのである。


 大丈夫なのだろうかと思い、「他の意味も、ご存知ですか……?」と小さく訊ねるけれど。アルベールは数度瞬きをした後、にっこりと笑って「ああ、もちろん聞いた」と応えた。




「私が求愛どころか、求婚中であることは社交界中が知っている。それに、私が本気であることを皆が知ってくれれば、余計な手出しをしてくる者も減るだろうから」




 「丁度良いと思っている」とまで言われてしまえば、カミーユにはそれ以上、何も言えない。「それに」と、アルベールは少し嬉しそうに続けた。




「君の持つ色に包まれていると、気分が良い。私が、君のものになれた気がするから。だから、君が許してくれるならば、この服で共に過ごしても構わないだろうか?」




 穏やかな笑みを浮かべて言う彼は、とても幸せそうな表情で。自分の気持ちを自覚した手前、カミーユは言葉の内容にその顔を赤くしながら、こくりと一つ頷くに留めた。


 アルベールの乗って来た馬車で、彼の生家へと向かうために、二人揃ってエルヴィユ子爵邸の玄関をくぐる。

 今回のティーパーティは、主にアルベールの母であるベルクール公爵夫人の親しい友人たちが招かれているという。そのため、カミーユ以外の全てが既婚女性という話だった。公爵やその息子であるアルベールたちも参加しない、本当に女性だけのパーティであったらしいが、カミーユが心細くないようにとの配慮で、カミーユが参加する場合に限定して、アルベールの参加が認められたとのことだ。


 自分のせいでアルベールの時間を奪うことになったと聞き、思わず謝罪したカミーユであったが、とうのアルベールは特に気にした様子もなく、むしろカミーユと共に参加できると言って、楽しそうですらあった。


 玄関ポーチの前に停めてあった豪奢な四頭立ての馬車の前で足を止め、アルベールが控えめに手を差し出してくる。見慣れた穏やかな表情に、大きな手。


 今までも、稀に挨拶の時にこうして手を差し出してくれていたのだけれど、カミーユは一度として触れることが出来なかった。怖かった、というのが本音だった。いくら自分に気持ちを寄せていようと、彼が男性であることに変わりはなかったから。


 でもそれは、あの日の、オペラハウスでの出来事の前までの話。

 男性であっても、彼は違うと、そう思えた今では。




「……カミーユ?」




 じっと自らの手を凝視してくるカミーユに、アルベールは少しだけ不思議そうに呟く。

 そういえば、いつの間にか敬称も無しに名を呼ばれるようになったと、今更そんなことを思った。


 男性である彼が傍にいることも、自然に名前を呼ぶ仕種も、全て。

 いつの間にこんなに、当たり前のことになったのだろう。




 ……この人なら、大丈夫。




 恐れる自分に、何も無理強いすることはない。怯える自分を護ってくれた、優しい人。

 今でも、男の人は怖くて仕方がないけれど、でも。

 この人なら。




「カミーユ、無理はしなくても……」




 身動き一つとらなくなったカミーユの様子に、アルベールが口を開いた。

 同時に、カミーユは深く息を吸い込む。呼吸を止め、そろそろとその手を伸ばして。


 きゅっと、両手で、アルベールのその手に触れた。




「……カミーユっ!?」




 手を差し出した彼自身も、まさか本当にカミーユがその手を取るとは思っていなかったのだろう。驚いた声で名前を呼ばれ、おそるおそるその目を上向ける。


 自分の手に重なった、カミーユの手を見つめるアルベールの顔は、驚きや喜びに満ちた、何とも言えない複雑な表情をしていて。

 視線をこちらに向け、一拍の後にその相好を崩したアルベールに、カミーユもまた詰めていた息を吐き出した。




「ふふ。……アルベール様」




 もうすぐ、彼に求婚されてから、三週間ほどになる。そしてそれから毎日、彼はカミーユの元を訪れてくれた。おそらくは、忙しい時間を縫ってでも、カミーユが彼という存在に慣れるために。何かを強要するわけでもなく、ただ傍にいてくれた。


 それだけの時間を費やしてくれたから、自分を護ってくれると信じられたから。

 「ありがとう、ございます」と、カミーユは呟いた。




「お待たせしました。これでやっと、お伝えできる」




 言えばアルベールは不思議そうな顔で、首を傾げていて。その幼子のような所作を微笑ましく思いながら、カミーユは口を閉じると、ぎゅっとアルベールの手を握った。


 きっと今が、エレーヌの言っていた、その時なのだ。


 息を整えるように呼吸を繰り返し、一度目を閉じて。

 目を開き、真っ直ぐにアルベールを見つめて、言った。




「あなたの傍に、いても良いですか?」




 まだ、決死の覚悟で手を触れるくらいしか出来なくて。それでさえも、心臓がばくばくとうるさくて、どうしようのないのだけれど。

 少しずつ、少しずつ、歩み寄って行くから。


 これからずっと、その傍らに立っていても良いだろうか。


 そんな気持ちを込めて、カミーユはゆっくりと微笑んだ。目の前の綺麗な顔が驚きに歪み、ついで笑みに変わった途端、その藍色の瞳から透明な雫が流れる。その姿がなぜか、とても愛おしく感じて。


 彼の傍ならばきっと大丈夫だと、そう思った。

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