第13話 興味の外。

 ベルクール公爵邸と比べれば少々見劣りするものの、広い敷地とそれを彩る美しく手入れされた庭園に囲まれた屋敷。バルテ伯爵邸。

 傾き始めた陽が差し込む、その表門の前に馬車を停めたアルベールは、寄って来た門番に窓を開けて来訪者の確認をさせた。途端、慌てたように門番の二人の男が、閉じていた門を開いていく。その間を、アルベールを乗せた馬車は進んだ。


 ゆっくりと動いて行く外の景色を見ながら、アルベールは深く息を吐いた。何で、自分は今こんな所にいるのか、と。


 本来ならば愛しい少女の屋敷で、晩餐までの間を彼女と二人、言葉を交わすことも出来ただろうに。




「カミーユが喜んでいたからこそ、処罰を甘くしたというのに……。恩を仇で返すとはな」




 甘く見るにもほどがある。




 思い、アルベールは頬を釣り上げて笑った。


 今朝方、出来上がったばかりのティーパーティ用のドレスを贈るために、エルヴィユ子爵家へと足を運んだ。彼女の喜ぶ姿を、一秒でも早く見たかったから。


 カミーユに似合うようにと考えながら、王都でも指折りの仕立て屋の者と議論を重ねたそのドレスは、パーティまでの日数の関係で、完全なオーダーメイドというわけにはいかなかった。


 それ自体は残念だったのだが、既存のドレスのサイズを調整する段階で、カミーユに似合うようにと考えに考えを重ねて、出来上がった物はそれなりに満足のいくものだった。


 ちなみに、議論を重ねてとは言うものの、ほとんどが仕立て屋の意見を取り入れた物である。残念ながら幼い頃から剣か、もしくはペンくらいしか握ったことのない自分には、女性のためのドレスをデザインするなど不可能であったから。


 昼の間は仕事へと戻らなければならない関係で、訪問するには少々早い時刻にエルヴィユ子爵家へと足を運んだ。贈り物を素直に喜ぶカミーユの姿に、気分も舞い上がっていたのだけれど。


 子爵家を出る直前に、彼女の父であるエルヴィユ子爵、バスチアンに呼び留められたのだ。「カミーユには見せていないが……。君には一応、見せておくべきかと思ったのだ」と。


 彼が差し出してきたのは、一枚の手紙だった。




「自らの立ち位置も理解できていないというのに、カミーユに対して『身の程知らず』と送り付けてくるとは」




 手にした手紙に視線を遣り、思いきり引きちぎりたい衝動に駆られるのを、軽く息を吐き出すことで押さえる。


 カミーユが望まなかったから、先日の件を公にすることをやめたというのに。他の者たちからは、彼女に感謝の意を示す手紙が届いたと聞いたが。




「どうやら、目に見える形での処罰をご所望らしいな」




 これでもう、三度目である。これ以上は、許すわけにはいかなかった。

 このまま放っておけば、いずれカミーユに害を為すのは目に見えていたから。


 そうと決まれば、早い方が良い。こういった、勘違いをした輩は、気を抜いた瞬間に、何をするか分からない。

 そう思ったからこそ、楽しみだった彼女の屋敷での晩餐を泣く泣く諦め、行きたくもない屋敷へと向かっているのだった。




「ようこそおいでくださいました、ミュレル伯爵」




 広い庭園を渡り切り、辿り着いた玄関ホールでアルベールを迎えたのは、このギャロワ王国の中でも古い歴史を持つ貴族、バルテ伯爵と、先日オペラハウスで顔を合わせた彼の娘、バルテ伯爵令嬢であった。二人のよく似た朱い髪が、ホールの照明を受けて輝いている。


 全てを覆い隠すように、穏やかな笑みを浮かべるバルテ伯爵とは違い、何を勘違いしているのか、彼の娘はアルベールを見つめ、その目を輝かせながら頬を染めている。


 その反応にさえ、うんざりした。彼女が自分を見て頬を染めるその理由こそが、カミーユを傷付けることになるのだ。

 そんなもの、アルベールにとっては害でしかないのだから。




「久しぶりですね。突然の訪問に驚かれたことでしょう。……私も、訪問するつもりなど更々なかったのですがね」




 いつも通り、その顔に笑みの一つも浮かべることなく、アルベールはそう挨拶を返す。礼儀に則るならば、ここで彼の娘にも声をかけるべきだとは分かっていたけれど。

 アルベールは彼女の方を一瞥した後、すっとその視線をバルテ伯爵へと戻した。




「場所を移して頂いても? このような場でする話ではないので」




 温度の感じられない声で言えば、僅かに動揺したようにバルテ伯爵が数度瞬きをした。「もちろんです。こちらへ」と屋敷の中へ案内していく彼は、振り向く瞬間に少しだけ不審そうな顔をしていた。もしかしたら、彼は知らないのかもしれない。今回アルベールがこの場を訪れることになった経緯を。




 そもそも、貴族らしい貴族であるバルテ伯爵が知っていたならば、このようなみっともないことを許すはずもないだろうからな。




 全ては令嬢の独断だったのだろう。

 それが後に、彼女自身にも、その家にも、多大なる影響を与えるとも理解できずに。

 世間を知らぬ、社交界デビュー前の少女でもあるまいに、と半ば呆れながら、アルベールは先を行くバルテ伯爵の後を追った。


 日当たりの良い、少人数用の客間であろう部屋に案内されたアルベールは、バルテ伯爵に薦められたソファへと腰掛ける。向かい合わせの席に着いたのは、バルテ伯爵とその令嬢。

 それと同時に、屋敷の侍女がさっとそれぞれの前のテーブルの上に、湯気の立つ紅茶を置いた。


 さて、何から話すべきかと考えるアルベールに、先に口を開いたのはバルテ伯爵の方であった。




「この度おいでになられたのは、……先の、オペラハウスでの件でしょうか……?」




 おそるおそる、というように、バルテ伯爵はそう訊ねてくる。先日、直々に手紙を送ったため、そちらについては知らないはずがなかった。だからだろう。彼の顔には、その件はすでに終わったのではないか、というような、不思議そうな表情が浮かんでいた。


 終わったと思っていたのだ。アルベール自身も。カミーユが喜んでいたからそれで良いと、そう思っていたというのに。


 もちろん、カミーユがアルベールから彼らを救ったと思わせるようにしておけば、彼らはカミーユに頭が上がらないだろうという打算も、確かにあったが。


 「残念ながら、また別の件です」と、アルベールはいやいやながらに応えた。




「今日の朝、私が求婚している令嬢の家、エルヴィユ子爵家に、とある手紙が届いたのです。その令嬢に対し、身の程を知れ、というような内容の手紙が」




 そう言って、アルベールは侍従に合図を出し、手紙を一通持って来させた。カミーユ宛になっている、件の手紙である。


 アルベールがそれを手渡せば、バルテ伯爵は不審そうにそれを受け取り、内容に目を通す。「これが、どうされました?」と、彼は言った。送り主の名もない手紙である。当然の反応だといえるだろう。

 何も知らないのであれば。


 彼の隣に座る令嬢だけが、真っ青な顔で俯いていた。




「その手紙は、どうやら誰かに代筆されたものらしく、私の元やエルヴィユ子爵家に送られた手紙の送り主たちとは、誰とも筆跡が一致しませんでした。……だから、調べたのです。王都中の代筆家たちを」




 「そうしたら、面白い話が聞けました」と、アルベールは続けた。


 バルテ伯爵令嬢の顔色は、もはや紙のようだった。




「この手紙の依頼主は、そこにいるバルテ伯爵令嬢であった、と。もし自分が書いたと気付かれた際を見越して、証文も取ってありました。それが、こちらに」




 もう一枚、アルベールは書類を差し出す。バルテ伯爵は驚愕の視線でアルベールを見つめた後、震える指でその書類を受け取った。見開いた目でそれを一読した後、その手の中で、書類は大きく皺を作る。


 「何ということを……」と、零すように呟いたバルテ伯爵は、自分の娘の方へとゆっくりとその顔を向けた。信じられないというような、驚愕の眼差しで。




「ドリアーヌ、我が娘ながら、なんと愚かな……。あれほど言ったではないか……! もう、関わるな、と」




 父であるバルテ伯爵の言葉に、ドリアーヌと呼ばれた令嬢は、その肩を震わせながら首を横に振る。「わ、わたくしは……」と口を開くけれど、それ以上、言葉が続くことはなかった。


 「令嬢はお忘れのようですが」と、アルベールは低く呟いた。




「元々、私はもう二度と令嬢と顔を合わせることのないよう、交流のある家門の方々に通達しておくつもりでした。それを、カミーユ……、エルヴィユ子爵令嬢が、そこまでする必要はないと言うからこそ、手紙で警告するだけに留めた。……だというのに、貴女はそのエルヴィユ子爵令嬢に身の程を知れと言う。……さすがに、我慢がならない」



 口にすれば、思い出すようにふつふつと怒りが湧き出す。

 あの日、カミーユが感じた恐怖を思えば、やはり野放しになどするべきではないのだと、改めてそう思った。




「忠告を無視した令嬢と、令嬢を止めることが出来なかったこちらの家門。……私は今後一切、あなた方に関わることをしないと宣言いたしましょう」



 これ以上関わっても、ろくなことにならない。カミーユのためにならないのならば、それは全て、遠ざけるべきなのだ。


 特に家門同士の付合いがあるわけでもないため、「それでは」と言って立ち上がろうとすれば、案の定と言うべきか、バルテ伯爵が「お待ちください!」と声を張り上げた。







「……それで、バルテ伯爵は娘を他国に嫁がせると言ったのか」




 バルテ伯爵邸を訪れた、その翌日の昼前。


 ギャロワ王国の頂点とも言える国王の執務室。定期的にそこに呼び出されているアルベールは、国王テオフィルの言葉に静かに頷く。「さすがに、私や私の家から嫌厭されるのは得策ではないと判断したのでしょう」と、アルベールは執務机の前に立ったまま、続けた。




「私が拒絶すれば、他の貴族たちもそれに倣います。英雄閣下に嫌われるくらいならば、伯爵家との交流を閉ざした方が良いと考えて。余程密接な交流を持っている家門でなければ、今後彼らを受け入れることはなくなってしまったでしょうからね」




 だからこそあの時、バルテ伯爵は提案して来たのだ。家門を拒絶される位ならば、自分の娘を、アルベールやカミーユの目の届かない所に嫁がせる、と。


 そしてそれに、アルベールは応じたのである。他国であれば、それでも良い、と。




「私としては、カミーユに害が及ばなければ、後は全てどうでも良いことですからね。他国と言えば少々バルテ伯爵も渋ってはいましたが、最後には応じてくれましたので」




 影響力がなくなれば、カミーユに害を為すことも出来まい。


 それに、一度ならず二度までも、カミーユを煩わせようとした人間である。その顔すら見たくないと思っていたから、丁度良かったのだった。


 それをそのまま口にすれば、テオフィルは少し呆れた顔になった後、「お前は本当に、罪ばかり作るな……」とぼそりと呟いていた。




「バルテ伯爵家の令嬢がお前に懸想していたとは知らなかったが、まあ、それは良いとして。……私としても、丁度隣国に情報網が欲しかったところだったから、丁度良かった。嫁ぎ先に良さそうな相手を、それとなく流しておこう。令嬢を送る際に、こちらの間諜を潜り込ませておけば良いからな」




 ふふ、と楽しそうに笑う、自分と同じ色の瞳を持つ王の姿に、アルベールはただ「お好きにどうぞ」とだけ返す。

 国王であるテオフィルが画策すると言うならば、令嬢自身にも監視がつくだろう。カミーユの安全のためにも、これ以上ない提案である。


 そもそも、カミーユの傍から脅威が一つでも減るのならば、その相手がどうなろうと、どこへ行こうと、正直どうでも良い。それよりも、だ。




「そろそろよろしいでしょうか。私も、それほど暇な人間ではありませんので」




 こうしている間にも、彼女と過ごす時間が刻一刻と減っていく。そのことの方が、アルベールにとっては何よりも懸念すべき案件であった。


 心なしかそわそわと落ち着かないアルベールの様子に、テオフィルは先ほどの楽しそうな表情を、見慣れた呆れ顔へと変えていて。

 「ああ、もう良い。エルヴィユ子爵令嬢によろしく」と言って、追い払うように手を振った。

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