第十二章 判決

 警察庁広域重要指定事件125号事件犯人、「シリアルストーカー」こと羽本鉄治郎による犯行は、結果的に埼玉、千葉、東京の三都県にまたがる事となり、最終的に六人の死者を出したこの事件は日本の凶悪犯罪史にその名を間違いなく刻む事となった。

 現役の入国審査官が殺人鬼という事態に法務省には批判が集中したが、最終的には直接の上司である東京入国管理局局長の辞任、法務省事務次官や法務大臣ら幹部数名の減俸などの処置で落ち着く見通しとなった。

 羽本はそのまま起訴されたが、法廷においても自分の主張を変える事は終始一貫してなかった。淡々としたビジネスライクな口調から発せられる狂気に満ちた言動は法廷内でも波紋を呼び、被害者遺族が「これ以上見たくない」と言って裁判傍聴を拒否する事態にまで発展したという。弁護側は精神鑑定を請求する構えを見せ、実際にその狂気に言動から検察側でさえこれに異議を唱えなかったのだが、当の羽本はこれを拒絶した。いわく、「自分はどこも狂っていない」との事だった。

 それ以降の裁判の詳しい経緯はここでは省略する。記したところで気分が悪くなる事は間違いがないからだ。確かなのは、裁判が開始されてから一年後の二〇〇七年三月末日、千葉地裁が一つの判決を下した事だけである。


『被告人を、死刑に処す』


 弁護側の再三の要請にも耳を貸さず、結局羽本は控訴をしなかった。結果、逮捕からわずか一年をもってして羽本の死刑が確定し、羽本の身柄は死刑執行施設のある東京拘置所へと移送された。だが、元法務省職員である彼に死刑の執行命令を出す事はやはり法務大臣としては勇気のいる行動らしく、判決確定後も死刑執行のサインが書かれる事はなかった。

 かつて千葉はおろか日本中を恐怖のどん底へと突き落とした怪物『シリアルストーカー』……羽本鉄治郎。その怪物は今もなお、薄暗い死刑囚独房の中から、混沌と闇に満ちた現代社会を静かに見つめ続けているのである。



 さて、話は最後に「シリアルストーカー」事件が終結してから一週間後、すなわち二〇〇六年一月三十日へと遡る。

 東京・品川の裏町。その一角にある三階建ての古びたビルの二階。そこに私立探偵・榊原恵一の事務所はあった。実力そのものは折り紙付きの榊原ではあるが、事務所の立地の悪さと広告活動をほとんどしていない事もあってか、事務所は常に閑古鳥が鳴いている状態である。が、榊原はそれを気にする様子もなく、マイペースに事務所の経営を続けていた。

 この日、榊原は事務所のデスクから、事務所備え付けのテレビのニュースをじっと見つめていた。画面の中では、先日解決したシリアルストーカー事件に対する続報が流れている。この時点で羽本はすでに犯行の詳細を素直に自供しており、メディアは羽本に対する様々な憶測などを述べるようになりつつあるところだった。

 榊原は小さく首を振るとテレビを消し、デスクの上に置かれた書類への書き込みを再開する。今回の事件に関する記録をまとめているところであり、それもあと少しで終わろうとするところだった。いつもと変わらぬ時間がゆっくりと過ぎていくかと思われた。

 だが、その時不意に事務所のドアがノックされた。榊原は手を止め、訝しげにドアの方を見つめる。アポイントは受けていない。だが、ここは用もない人間が興味本位で訪れるような場所ではない。榊原の顔に少し警戒の色が浮かんだ。

 とはいえ、このまま追い返すわけにもいかない。榊原は慎重な様子で声をかけた。

「どうぞ。鍵は開いていますよ」

 すると、ドアがゆっくりと開いて向こうから来客が顔をのぞかせた。その姿を見て、榊原の顔に困惑が広がる。

 そこには、ブレザーの制服を着た女子高生と思しき人物が立っていたからである。

「えっと……君は?」

 榊原が当惑気味に声をかけると、相手は礼儀正しく頭を下げて挨拶をした。

「すみません、連絡もなしに急に訪ねたりして。でも、ここしか頼れる場所がなくて……。あの、探偵の榊原恵一さんですよね?」

「はぁ、そうですが……あなたは?」

 その問いに、相手は頭を下げたまま答えた。

「ごめんなさい。私から名乗るべきでした。私は亜由美……宮下亜由美みやしたあゆみと言います」

「宮下、さん……」

 少なくとも榊原の記憶にはない名前だった。だが、亜由美は不意に頭を上げると、唐突にこんな事を言い始めた。

「……助けてください」

 シンプルで、それが故に心に響く言葉だった。榊原の表情が真剣なものになる。

「助けろ、というのは?」

「私……もう、どうしたらいいのかわからなくて……榊原さんの噂を聞いてこうしてここに……」

 どうやら気丈にはふるまっているが、内心ではかなり参っているようだった。榊原は少し考え込んで亜由美と名乗ったこの少女を見つめていたが、やがてゆっくりとした口調でこう告げた。

「……いいでしょう。ひとまずお話をお聞きします。どうぞおかけください」

 それを聞いて、亜由美は深々と頭を下げると、そのままソファに腰を下ろしたのだった。


 ……これが榊原と、後に榊原の秘書として活動する事になる女性・宮下亜由美の出会いになるわけなのだが……それはまた、別の話である。

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シリアルストーカー 奥田光治 @3322233

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