「結論から言おう。『彼女』は遺伝子的に現代人と同じ人間だ。そして人喰い殺人鬼本人である」


 平喜からの『検死結果』を聞き、優成は小さく息を吐く。傍にいる神楽も、強張っていた身体から力が抜けていた。

 一週間前。優成達と遭遇した後、自動車事故によって餓鬼は死亡した。

 勿論優成はすぐに救急車(それと警察)を呼んだが、優成が確認した時点で既に死んでいて、全てが手遅れだった。一応顛末としては『交通事故』であるし、公園に誘導して逮捕しようという優成の行動は咎められる事もなかったが……結果的に容疑者死亡という結末になったのは、優成としても不本意なものだった。

 事件の全容解明には、容疑者の供述が欠かせない。どんなに気狂いな理由であっても、当人の口からその気持ちを明かす事が、『何故』を解明するのに必要だからだ。勿論その証言が本当かどうかは、当人以外には知りようもないが。

 容疑者死亡によりそれすら叶わなくなり、行き場のない衝動を覚えた優成は、平喜の下を訪れていた。司法解剖の結果、そして科捜研の結果を以て、彼が餓鬼の『分析』を行っていると聞いたために。今の平喜ならば、餓鬼について何かを教えてくれるかも知れないと思ったのだ。


「やっぱり、アイツが人喰い殺人鬼だったのか……」


「ああ。血液型、足のサイズや性別、そして科捜研で行われた指紋の照合、遺伝子鑑定の結果。現場で集めた証拠の全てが、奴が人喰い殺人鬼だと示した。双子でも指紋は異なる事から、一卵性双生児の可能性もない」


 平喜は淡々と、得られた情報からの結果を述べる。無論これは大事な事だ。証拠もなくコイツが犯人だというのは、事件の本質を見誤る一因。全てにおいて証拠による立証を怠ってはならない。

 しかしあの餓鬼が犯人だというのは、優成としては確信していた事だ。これは本題ではなく前提。ここからが本題の、餓鬼の正体に関する話である。


「爺さん、率直な意見を聞かせてくれ。コイツは何者だ? 肌はヘドロみたいな色で、頭も禿げ上がってるし沁みだらけ。腹もでっぷりと膨らんで、お世辞にも健康的な身体には見えない。なのに力の強さは俺達よりも遥かに強い。何もかも普通じゃねぇ」


「……そうですね。金属の手錠を素手で壊すとか、ビルの壁にあるパイプを引っ剥がすとか、人間技じゃないとまでは言いませんけど色々滅茶苦茶です」


 神楽が言うように、餓鬼の強さは少々人間離れしていた。そもそも何故下水道に潜んでいたのか? あの肌や体型は、餓鬼の生い立ちに関係あるのか?

 この事件は容疑者死亡により、終わってしまった。五人もの罪なき人を喰い殺した餓鬼に同情するつもりはないが……何か、常識的でない境遇があったのではないかと思わせる。

 解剖で全てが分かる訳ではない。だが、解剖結果は表層からは分からない様々な事を教えてくれる。平喜ならば、その何かに気付いたのではないか……

 有り体に言えば、単なる期待だ。分からないと一言言われたなら、それで話は終わり、二度と解き明かされない謎。

 平喜も、そう思ったのだろうか。


「……あくまでも、推論という事でなら話をしよう。今は私の下で調査を進めているが、いずれもっと大きな、専門的機関で研究を行うよう、警察に申請するつもりだった。それぐらいかの人物は、興味深い存在だ」


 淡々とした、しかし妙な『興奮』を感じさせる口調で、平喜はそう答えた。


「専門的機関で研究? どういう事だ?」


「順を追って話そう。まず、人喰い殺人鬼……お前さんが餓鬼と呼んでいる人物は、これまで現場に残っていた証拠の通り、身長百六十四センチの女性だ。頭蓋骨の縫合から判断するに、年齢は十五歳以上二十歳未満。腹部が膨らんでいたのは腹水、つまり大量の液体が溜まっていた事が原因だ。血液検査の結果と身体の痩せ方から、タンパク質不足が原因と見られる」


「栄養失調って事か? なら、まさか犯人が人を喰っていたのは……」


「腹が減っていたから、と考えるのが自然だ。食べた肉の量や頻度からも、食事目当ての狩りだったと考えるのが自然に思える」


 平喜は淡々と、書籍を読み上げるように淀みなく答える。だが、聞く側である優成、そして神楽も言葉を失った。

 猟奇殺人犯が狩りと称して人を殺す……共感は出来ないが、動機として理解は出来よう。しかし栄養失調の人間が、食べるために人を殺すのは、何かがおかしい。極限状況でそうした選択を迫られたなら兎も角、日本の市街地ならば他の食べ物、例えばコンビニの廃棄弁当などいくらでもあるのだから。道徳観の欠如とも言い難い、異様なものを感じる。

 言葉を失う優成達だったが、平喜の話はまだ続く。


「また、胃の内容物を確認したところ、粘り気を帯びた腐敗物……ヘドロが確認された。どうやら直近の七十二時間に関しては、下水道に溜まっているヘドロを食べていたらしい。歯垢の色合い、慢性的なタンパク質不足から考えて、常食していた事が窺える」


「へ、ヘドロを常食って、そんな事したら病気になりそうなんですけど」


「普通であれば、そのとおりだ。だが奴はそうならなかった。その秘密は、どうやら腸内細菌にあるらしい」


「腸内細菌?」


「通常の人体には存在しない種類が、豊富に含まれていた。中には未だ種類が判明していない、新種と思われるものも見付かっている。それらがヘドロの有機物を分解し、糖やアミノ酸などの栄養に変えていたらしい。所謂共生というやつだ」


「なんでまた、そんな奇妙な細菌がいたのだしょう?」


「恐らく、長年下水道で暮らしてきた影響だ。細菌の方が変化したか、或いは人間の方が変化したか……」


「おい、待ってくれ。長年下水道で暮らしてきた……?」


 聴き逃がせない言葉に、優成が待ったを掛ける。

 下水道で暮らしていたとして、果たして人間は何年も生きていけるものなのか? そもそも何故何年も下水道で暮らしていたのか?

 新たな疑問が続々と沸き立つ。その疑問に、平喜は答えを返す。ただし此度は、淡々とではなく……感情を込めたように。


「餓鬼の身体には、通常では見られない身体的特徴が幾つも確認された。手足に水掻きのような被膜が出来ていた点、極めて高い血中ヘモグロビン濃度、白濁化してかなり低かったであろう視力……いずれも、下水道または下水そのものでの生活に適している。高い運動能力も、濁流の中を泳ぐ過程で身に付けたのだろう。とてもじゃないが、一朝一夕で身に付くものではない」


「いや、だからってそんな……だ、大体歳だって十五かそこらなんですよね? 世捨て人なら兎も角、十何歳かの女の子が下水道で何年も暮らすなんて」


 あり得ない。そう言おうとしたであろう神楽だったが、不意に言葉を途切れさせる。

 優成も、何も言えない。神楽よりも一足先に気付いてしまったがために。


「……あくまでも推測だが、恐らく彼女は幼少期に下水道へと流れた。捨てられたか、事故で行方不明になったかは分からないが」


「そ、そんな、小さな子供が流されて助かるのも考え難いですし、ましてやそこから生き抜くなんて、あり得ません!」


「そうだ。普通ならばあり得ない……しかしそのあり得ないというのは、確率的な話だ」


「確率……?」


 平喜の言い回しに違和感を覚えたのか。思わずといった様子で神楽は聞き返す。

 その問いへの答えとして、平喜はこう答えた。

 ――――例えば火山噴火で出来た、新しい島があるとしよう。

 熱々のマグマが冷え固まったばかりの島に、生命の姿はない。しかし何万年と経てばその岩だらけの島は森に覆われ、様々な生命が息づく豊かな環境となる。付近の大陸などから生物が流れてくるからだ。

 だが、それは結果の話。

 鳥のように長距離を飛べる生物を除けば、大陸から島に流れ着く方法は主に津波や大嵐に攫われ、流木などの上で海を漂うしかない。そうして流された生物の大部分は、海の藻屑になって消えるだろう。

 島に無事辿り着けるのは、ほんの一握りの個体だけ。そのほんの一握りも、新たな環境に適応出来るとは限らない。大半は身体が環境に合わず、死んでいく。

 逆に言えば、無数の命が挑戦を繰り返せば――――ごく一部は辿り着いた新天地で生きていける。

 例えその命が、人間であっても、だ。


「児童虐待による死亡件数は、警察が把握しているだけで年間六十人。無戸籍で未発見となれば、年間何人が遺棄されているか分かったものではない」


「……児童虐待ってのは、今でこそニュースになるが、別にこの二〜三十年でいきなり現れた犯罪じゃない。昔から起きていた事だ。日本だけでなく世界も含めれば、先進国だけじゃなくて途上国も考えれば、ま、それなりにはあるだろうな」


 人類が下水道という構造を作り出してから、果たしてどれだけの子供がそこに落ちたか、或いは落とされたのだろうか。

 殆どの子供は、何も出来ないまま死んだ筈だ。幸運にも生き延びたところで、食べ物がなくては飢え死にするだけ。辛うじて生きていける場所に辿り着けたとしても、そこにあるのはヘドロや、精々それを食べている虫や動物しかいない。これらを食べてもやがて病気で死ぬ。

 だが、奇跡的に生き延びた子供が生まれた。

 それは数百万分の一の幸運か、それとも数千万分の一の奇跡か。体質的に恵まれていたのか、腸内細菌が極めて稀な突然変異を起こしたのか。

 いずれにせよ、その幸運な子供は新たな環境に『適応』した。


「それって……まるで、その。進化みたいじゃないですか。進化した人間なんて、そんなの漫画じゃあるまいし」


「人間は進化しないと、本気で思っているのか? 例えば人間の体温は、十年刻みで〇・〇五度ずつ低下しているという。衣服や冷暖房が発達し、人類の身体そのものが温度をコントロールしないで良くなった結果、よりエネルギーを消費しない効率的な身体に進化している」


「う……」


「進化というのは、より良い存在への変化ではない。環境に適応する過程だ。テクノロジーにより住心地の良い環境を手にしたのなら、生物はその環境に適応する」


 進化は改良でも発展でもない。ただの変化であり、その変化は環境に適した姿というもの。人間にとって視力を失う事は『退化』かも知れないが、洞窟で暮らす生物にとっては、無駄なエネルギーを使わない適応的な変化である。

 環境が変化すれば、生物も変化し、適したものが生き残って子孫を残すというだけ。例えその環境が下水道だとしても、だ。


「彼女が普通の人間とは違う、新たな生存方法を身に付けた存在だ。それを超人類と言うべきか、ミュータントと言うべきか。いずれにせよ私達が相手したのは、ただの犯罪者などではない。進化した新たな人類なのだ。研究が進めば、人という存在について、様々な知見を得られるだろう」


「進化した、新たな人類……」


 平喜の言葉を、神楽はすっかり真に受けた様子だ。彼の言葉をそのままぽつりと繰り返す。


「なぁにが新たな人類だ、くだらねぇ」


 そこに異を唱えたのは、優成。

 平喜と神楽の視線を向けられても、彼は不機嫌そうな顔を隠しもしない。


「ほう。ではお前は彼女を、どう思う?」


「どうもこうも、巷で言う通りの人喰い殺人鬼だ。いや、それ以下だな」


「それ以下って……」


 神楽から向けられた言葉と視線に感じるのは、ある種の批難。彼女が犯人である少女にどんな想いを抱いているかは分からないが、少なくとも『殺人鬼』とは思っていないらしい。

 優成もそう思う。言葉通り、人喰い殺人鬼なんてという意味で。


「餓鬼だよ。ただの……親の愛情をろくに知らないまま、腹を空かせて死んだ、ただのクソ餓鬼だ」


 優成はハッキリと、断じるように答える。

 その言葉に二人は、黙するだけで何も答えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

餓鬼 彼岸花 @Star_SIX_778

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ