第15話 裏切りのリンスレット


「ワタシを殴る? ……いいわよ、けど、その前に聞かせて」


 アレイダは上着を脱ぎ、それを手ぬぐいのようにして顔を拭いている。

 辺りには汚水しかない為、顔を洗うことも出来ないためだろう。

 冷静な判断だと思う。


 一方、当のリンスレットはというと――

 怒りと羞恥、それと申し訳なさとが混在した複雑な表情をしていた。

 彼女が取り乱していないのを見るに、現在、あの鼻は機能していないのだろう。

 そして、リンスレットの心中は察するに余り――ない。


〝ない〟


 ないのだ。

 裏切り者の顔面にアレを吐き散らかしたヤツの心中なんて、察せるはずもない。

 この時ばかりは、俺はただの傍観者に徹しよう。

 というか手に負えねえ、この状況。

 ブラピも相変わらず表情は変えず、腕組みをして静観している。

 あいつはいま、一体何を考えているのだろう。

 よくあんな難しそうな表情が出来るな、あいつ。


「……な、なにをよ」


 リンスレットが、アレイダから視線を逸らしながら答える。


「あんたら、どうやってミィミ王を倒すのさ」

「そりゃ、このまま、まっすぐ行って、ぶん殴れば済む話じゃない」


 どうやらリンスレットはフィジカルタイプのようだ。


「く、ふふふ……」


 アレイダは顔を拭き終えると、急に小さく笑い始めた。


「な、なによ……」

「はーあ……ほんと、うんざり……!」


 アレイダが冷めきった目でリンスレットを睨みつける。

 ブルッ。

 その眼力に、一番遠くにいた俺の体でさえも身震いを起こす。

 地下だからとか、薄暗いからとか、そういうのを抜きにして、ただただ暗い。


 ……いや、そうじゃない。

 あれは眼力がどうとか、そういう次元の目ではない。

 そもそもあれは、の目ですらない。

 爬虫類のような、縦に細長く黒い瞳孔。


「あんた……! それ……!」


 そう言ってリンスレットが後ずさる。

 なんだ?

 リンスレットは、アレイダの目がああなっている理由を知っているのか?


獣化剤じゅうかざい……」


 いつの間にか、俺の隣に移動してきたブラピがつぶやく。


「じゅうかざい……?」

「おそらくね。……この国が極秘裏に開発した――と言われている、服用した者を獣人に変える薬だ」

「そ、そんなものが……?」

「この目で見るまで、あくまで噂としか思っていなかったけどね……」

「でも、なんでそんなものを?」

「ボクもその用途については断言できない。ただ、獣化剤を服用した者は、まるで本物の獣人のように身軽に、しなやかに、力強くなると言われている」

「……ということは、軍事転用が目的なのか?」

「わからない。でも、普通に考えればそうだろうけど……」


 ブラピの言葉の歯切れが悪い。

 本当にその〝獣化剤〟については最低限の情報しか持っていないみたいだ。


「……でも、〝獣化剤〟っていうわりに、アレイダが変わったのは目だけ――」


 メキィッ。

 俺がそう呟くや否や、アレイダの体から嫌な音を聞こえる。

 ――ボキッ!


「う……!」


 片目を閉じ、耳を塞ぎたくなるほどの不協和音。

 そして――

 メキ……メリメリメリィィ!

 アレイダの体が変容・・を始めた。

 人間らしい皮・・・・・・の下から緑色の鱗のようなものが生えてくる。

 爪も太くするどく尖っていき、口が裂け、牙も下から上にかけて生えてくる。


「フゥゥゥゥゥゥ……ッ!!」


 やがてアレイダは、二足歩行のドラゴンのような姿へと変貌を遂げた。


「お、おい、ブラピ……化剤って……あれ、どうみても獣じゃなくて、ドラゴンじゃん……!」

「いいや、あれはワニだよ、ダイスケ」

「ワニ? あれが?」


 動物に詳しいというわけではないけど、ワニに関しては何度か肉眼で見たことはある。

 けど、ワニって感じには――

 いや、なんかワニって言われるとワニっぽく見えてくる。

 これだから爬虫類というやつは……。


「そう。竜人ドラゴニュートはあそこまで腕は短くないし、口も大きくない」

「へえ……!」


 ためになる。

 というか、ブラピの口ぶりから察するに、竜人ドラゴニュートっているのか。


「たしかに似てはいるけど、決定的に違うのは目だ」

「目……?」

「竜人の目は、人間のものと変わらないんだよ」


 ためになる。


『――ほんと変わんないわよね、あんたたちは!!』


 アレイダが大きな口を開き、声を発する。

 声もさっきまでと比べて、まったくの別物だ。

 なにかフィルターを通しているような、くぐもった声。


「どういう意味よ……!」


 リンスレットがおっかなびっくりといった感じで答える。


『ワタシの仕事、覚えている? リンスレット?』

「覚えてるも何も……諜報スパイ活動でしょ?」

『そう。政府に楯突く、弱小組織の諜報員……それがワタシ。でもさ、よく考えてみてよ。そんな諜報員を、政府がみすみす見逃すと思う?』

「……ま、まさか……!」


 リンスレットが驚いたように目を見開く。


『そう、ワタシは一度、ヘマをやらかして捕まっているの』

「じゃあ、その体……獣化剤を打たれたのは……無理やり……?」

『いいえ、それは違うわ。ワタシは、ワタシの意志で獣になったの』

「な、なんでそんなことを……」

『圧倒的だったからよ』

「圧倒的……?」

『そう。反政府組織こっち政府あっちの戦力差がね』

「そ、そんなことは、みんなわかってたことじゃない! でも、それでも立ち上がらなきゃって……! みんな……!」

『……わかってないわ』

「え?」

『あんたたちは、頭を潰せば国が変わるって思ってるんでしょ?』

「それは……そうだけど……」

『無駄よ。その頭を潰しても国は変わらない。……そもそも、あんたたちじゃその頭すら潰せないわ』

「ど、どういう意味よ……」


 リンスレットが訊き返すと、アレイダはこれ見よがしにため息をついた。


『……リンスレットあんた、自分の父親について、本当に何もわかってないのね』

「ち、父親ぁ!?」


 予期せぬ名前に、俺とブラピが変な声をあげる。


『……そうよ。そこのリンスレットちゃんはね、この国の王、ケィモ・ミィミ王の一人娘、リンスレット・ミィミ王女なのよ』


 ダメだ。

 正直、いっぱいいっぱいだ。

 突然押し寄せてきた情報の波に、頭がパンク寸前になる。


 いったん整理しよう。

 リンスレットの父親がこの国の王で?

 人間を完全に隷属化させようとしていて?

 でも、王女であるリンスレットは、それに反抗すべくレジスタンスの幹部をやってて?

 国王の名前が〝ケモ耳〟?

 なんじゃそら。


「……って、ブラピも知らなかったんかい!」


 俺はこの衝撃を受け流そうと、左手でブラピにツッコもうとして――空振った。

 あれ?

 いつの間に移動したんだ? ……と思い、横を見てみる。

 しかし、そこにはブラピはおらず、代わりにアンがあんぐりと口を開けていた。

 なにやってんだ、こいつ。


『ふふ……それがあなたの正体? 可愛いらしい女の子なのね……』


 アレイダが不敵に笑いながら、ブラピ……いや、アンを見る。


「しまった、驚きのあまり変装を解除してしまった……!」

「いや、どういうこと?」


 開いた口が塞がらないとはこのこと。

 次から次へと起こる不測の事態に、俺は口を開けたままブラピに尋ねた。


「変装は常時展開型ではなく、常時魔力消費型なんだよ」

「……いや、だからどういうこと?」

「そ、そうだね。うーん……つまり、君のためにわかりやすく言うと、変装はパッシブスキルじゃなくて、アクティブスキルで、一定時間が経過するたびに、再度かけなおさなくてはならないんだ」

「な、なるほど! わかりやすい!」


 いや、俺も俺で言っとる場合か。


「そ、それよりも、リンスレット……君は……君が、ケィモ王の娘……王女だったのかい!?」

「……そうよ」


 リンスレットは振り返らずに答えた。

 傍観者を気取っていようと思っていたが、もう無理だ。

 俺は口を開き、リンスレットに質問を投げかける。


「な、なんで、この国の王女が反政府組織レジスタンスに加担してるんだよ! なんの意図があって……!」

「そ、それは……」


 言いづらそうにしているリンスレットを見て、最悪の答えが予想される。


「も、もしかして、レジスタンスを壊滅させるために……? おまえ、エルネストたちを騙して……!」

「ち、ちがうの! それは……ちがう……!」


 リンスレットが振り返り、俺の顔を見る。

 その目には涙が浮かんでいた。


「……君の母親、亡きサーヤ妃から託された願い、だろ?」


 アンがぽつりとつぶやく。


「な、なんで、今度はそんなことまで知って――」

「当たり前だ。ギルドはすべての国を監視しているわけじゃない。異変に気付くのは、なにかきっかけがないと無理なんだ」

「き、きっかけ……って?」


 アンは俺の問いには答えず、まっすぐにリンスレットを見て口を開いた。


「……リンスレット王女、君なんだろう? ギルドに助けを求めたのは?」

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