第7話 上位互換


 さらさらと、上流から下流に流れていく底の浅い川。

 水面が陽光を反射し、絶えず水が流動を続ける。

 俺はそこで全裸になり、服の汚れと体の汚れを洗い流していた。

 ……少女アンの見ている、すぐ目の前で。


「……なんだい?」


 アンが俺の視線に気づき、首を傾げる。


「……いや、なんでわざわざ川に入って……ていうか、見られてると思うように動けないんですけど」

「そう言われてもね……目を離すと君、どっか行っちゃうだろ?」

「いやそんな……子犬みたいな……」

「子犬……ねえ。そんな可愛いものだといいけど……」


 ため息交じりに吐き捨てられる。

 どうやら、俺は子犬ほど可愛い存在ではないらしい。

 ……いや、ちがう。

 どうやら、少女は全裸の俺の前から消えてくれることはないらしい。


「……あの」


 俺はまるで、怖い上司に話しかけるように、から少女に話しかけた。


「他に何か?」


 返事はそっけない。

 けれど、俺を忌避している雰囲気も感じない。

 俺はそのまま話を続ける。


「ちなみに……アンの正体が女の子だってことは、あいつらは知ってるの?」

「あいつら?」

「えっと、レジスタンスの……」

「ああ……知らないだろうね。間違いなく」

「あれ、そうなの?」


 意外……というわけでもないけど、それなら俺に正体を明かしたのが気になる。


「あの子たちはボクのことを、少し前の君と同じように、全裸の男性だと思い込んでる」


 なんてややこしい言い回しをするんだ、この子は。


「というかそもそも、この世界において、ボクの本当の姿を知っているのは、きみとボク。二人だけなんだよ」

「あ、そうなんだ……」

「うん。だから、もしよければ……このことは二人だけの秘密にしてもらいたい」


 しー。

 アンがその小さく細い指を、自身の唇に当ててみせる。


「それはわかったけど……そもそも、なんであんなおっさ……男性になってたんだ?」


 ふと我に返って、自己嫌悪に陥る。

 なんて質問してんだ俺は。

 他にもっと聞くべきことがあるだろ。

 どうでもいい事を訊くな。


「さあ? たまたま変装しようと思ったら、目の前にいたんじゃないかな?」

「たまたま……ハゲで、デブで、裸で、中年のおっさんが目の前に?」


 それはそれでなんか……色々な意味で危なくないか?

 大丈夫なのか、それ?

 もしかして、触れちゃいけないものに触れてしまったのか?


「……あのね」

「はいっ!」


 不意に声をかけられ、背筋がピンと伸びる。

 見ると、なにもかも見透かしたような、呆れたような目でアンが俺を見ていた。


「なにか勘違いしているようだけど、なにもボクだって最初から全裸だったわけじゃない」

「そうなの?」

「うん。そうだな……わかりやすく言うと、ボクを飼っていた獣人が、ペットに服を着せない派だっただけさ」

「うーん、わかりやすい」

「だろう?」

「……けど、ずっと全裸だったよな。アジト内でも、外でも」

「まぁ、動きやすくもあったからね」


 シンプルな理由だった。


「……色々な意味で」


 そんなにシンプルじゃなかった。


「他に聞きたいことは?」


 そう尋ねられ、俺の頭の中に〝訊きたいこと一覧〟がすぐ作成される。

 この世界の事。

 アンの事。

 能力の事。

 レジスタンスの事。

 女神の事。

 ギルドの事。

 エトセトラ、エトセトラ……。


「山のようにあるな」

「とりあえず、あとふたつくらいまで絞ってくれるかな?」

「ふたつ!? ……それはちょっと厳しくない?」

「もうあまり時間はないんだ。きみも知ってると思うけど、ボクはあの子たちに手を貸している。それはギルドの意志であり、ボクの意志でもあるんだ。だから、この任務は失敗できない」

「まぁ……そりゃそうだけど……」

「だから出来るだけ、手も動かしてくれると助かる」


 アンに指摘され、俺は衣服を洗う手が止まっていたことを思い出す。

 ゴシゴシゴシ。

 ジャブジャブジャブ。

 それでも汚れは落ちません。

 そもそもジャケットって、洗っていいものなのだろうか?


「……それで? 質問は?」

「うん? ああ……えーっと、アンは俺だけにしか教えてないって言ったよな?」

「この姿ナリについてだよね? ……うん、たしかに言ったね」

「……なら、なんで俺なんかに正体を明かしてくれたんだ?」

「え?」


 鳩が豆鉄砲を食ったように、目を丸くして訊き返してくる。

 なんだその反応。

 変な質問はしてないと思うんだけど。


「はは……これは、おどろいたな……」

「え?」

「〝ウソ〟とは思わなかったのかい?」

「あっ」


 アンに指摘され、ようやく気付く。

 なんでこの状況で、アンが親切に俺の質問に答えてくれると思ってるんだ?

 いままで欺かれて・・・・いたのに。

 というか、この少女の姿自体が嘘かも知れないのに。

 ……あぶないあぶない。

 全部鵜吞みにしてしまうところだった。


「でも、嬉しいよ。それを尋ねてくれるということは、きみはボクを信頼しているということだろう?」

「いやいや……」


 いまさら何言ってんだ、この子は。

 いや、〝子〟ですらないかもしれないんだよな。


「正直、自信がなかったんだよ」

「自信?」

「……ほら、ボクの能力ってこんな感じだから……」


〝こんな〟とはやっぱり変身能力の事だよな。


「君は、相槌はうっているけど、実際、心の中ではボクを疑ってるんじゃないかって。でも、きみはボクを少女だと信じてくれたうえで、その質問を投げかけてくれた。……ありがとう。礼を言うよ、ダイスケ」

「まぁ、でもさっきのアンの発言で、今の俺はアンを信じられないわけだが……」

「あはは、どうやら墓穴を掘ってしまったようだね」


 なぜか楽しそうに笑うアン。


「……とはいえ、君には、このままボクを信頼しててほしい」

「いや、さすがにそれは……」

「うん、だろうね」


 だろうねって……。

 他人事みたいだな。


「そういうわけで、お詫び……というわけではないが、ボクの秘密をふたつ、教えてあげよう」

「秘密?」


 アンはそう言うと、おもむろに自身の右手を前にかざした。


「――ステータスオープン」

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